作成者別アーカイブ: 白坂慎太郎

退屈は才能

白坂です、

 

退屈は才能

まず
才能とは何でしょうか?

ある物事を簡単に出来る能力

です。

もちろん、
本人が簡単に出来るようになったのは
単純に、膨大な量をこなして来たから。

・量をこなし

・質が高まり

・簡単に出来るようになった(才能)

です。

敢えて点数化するならば、
80点以上になっている能力です。

そうすると、
80点を81点に、81点を82点に、、、
伸ばしていくのは、どんどん難しくなって行きます。

時間やエネルギーを投資しているにも関わらず、
以前ほど目に見えた伸びを実感できなく
なっています。

だから、
本人が飽き始めている。
退屈し始めている。それが、

才能

です。

伸び悩んでいるときに退屈を感じている。
この時に、「感情」と「論理」を
ごちゃ混ぜにしてしまい、がち。

・伸び悩んでいる

・しかも感情的に退屈している

・「だから新しいことをした方がいい」が【誤り】。

退屈しているのは専門家だから。
新しいことに対しては素人。

だから、成功確率が高いのは、
新しいことに挑戦することより、
今までやって来たことを深掘りし続けること。

大事なことなので3回、書きます。

・「感情」と「成果」は無関係。
 たとえ退屈していても、
 「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。

・「感情」と「成果」は無関係。
 たとえ退屈していても、
 「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。

・「感情」と「成果」は無関係。
 たとえ退屈していても、
 「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。

しかし、
人は、やはり感情の生き物なので、
伸び悩んでいる時ほど、新しいことを
やり始めたがる。

たとえば、
ビジネスで実績を出した経営者が、
一時、ビジネスで伸び悩みを感じた時に、
FXをやり始めたりする。

しかし、
ビジネスに必要な能力と、
FXに必要な能力は全く別。

ビジネスに必要なのは、
企画・集客・販売、、、に関する能力が必要。

一方、
FXに必要な能力は、反射神経。
誰よりも速く買って、誰よりも速く売れる能力。

全然、違う。
しかし、ビジネスで結果を出したことがあるが
ゆえに、「FXでも成功できるはずだ!」と
自分を過信し、FXで大失敗してしまう。

退屈という感情に負けて、
新しいことへの刺激を求めてしまったが
ゆえの失敗。

>「退屈している。だから辞めるべき」
>「刺激がある。始めるべき」

いずれも【感情論】。
一見、筋が通っているように見えて、
実際は単なる暴論。

実際、
「感情」と「成果」は関係ない。
無関係。

たとえ、
刺激的であっても、初心者の技能しか
持っていなければ、成功は出来ない。

逆に、

退屈していても、なすべきことが
上手に出来るならば、やはり成果は出る。

退屈は才能

本人が簡単に出来るようになったものほど、
本人自身が凄いと全然に思っていない。
だから、才能というのは、本人が1番、
気が付きにくい。

もし気づけるとしたら、
本人なりの考えではなく、

【他者から頼まれた時】

>「これを、やって欲しいです」と
頼まれた時は、

相手には出来なくて自分には出来ること

を、直球で教えてくれている。
そこに、自分の「やりたい」「やりたくない」
という感情を持ち込むと、話が難しくなる。

自分は簡単に出来る。
刺激はない。ワクワクもしない。
ただ、相手から頼まれている。
であれば、頼まれごとを【やる】。

退屈は才能

自分は出来る。
しかも簡単に出来る。

しかし、
たとえ自分が簡単に出来ることだったとしても、
他の人が出来ないならば、それが才能。

たとえば、

よくある失敗事例で、今まで40年間、
公務員をやり続けて来た人が、退職後に
なぜかラーメン屋など外食で第二の人生を
始めてしまうパターン。

単に
ラーメンや外食など食べるのが好きだという
理由だけで、今までの40年間の公務員生活を
全く活かさない。

ラーメン屋の経営は初心者。素人。
当然、上手く行かない。

もし、
第二の人生も成功させたいのであれば、
あくまで、過去40年間の公務員時代の
仕事で実績があることで何かやるべき。

同じ業界の中では全然、凄くないかもしれない。
まして、自分が簡単に出来ることだから、
自分では凄いことだとも思っていないかもしれない。

しかし、
それは、過去40年間やり続けていたから
簡単に出来るようになっているだけで、
他の人だと出来ないことが必ず、ある。

・「感情」と「成果」は無関係。
 たとえ退屈していても、
 「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。

・「感情」と「成果」は無関係。
 たとえ退屈していても、
 「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。

・「感情」と「成果」は無関係。
 たとえ退屈していても、
 「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。

退屈は才能

「刺激」や「ワクワク」を満たすのは、
あくまでも『趣味』で満たす。

趣味だったら、自分のお金を使って
いくらでも「刺激」や「ワクワク」を
求め続けて良い。それこそ、好きなことを
好きなだけやれば良い。

しかし、
仕事は別。事業は別。ビジネスは別。
自分が好きなことではなく、あくまで
得意なことで、相手の要望に応えるべき。

退屈は才能

「感情」と「成果」を切り分ける。
なすべきことを、なす。
求められていることを、やる。

どうしても
好きなことをやりたいのであれば、
事業を成功させて、余裕資金を沢山創って、
自分のお金で趣味として、やる。

成功を遠ざけているのは、
「やりたい」「やりたくない」という感情。
その感情さえ持ち来なければ、成功するための
才能は既に持っている。

人から求められていること、
頼まれていることに対して、
自分が簡単に出来る得意なことで応える。
そうすれば、

成功して行くことが出来ます

 

退屈は才能

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

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専門は特殊

白坂です、

 

専門は特殊

たとえば、将棋。

>「将棋をやれば・やるほど
論理的な思考力が身に付く。
だから、将棋をもっとやった方がいい」
というような考えがあったとして、、、

この考え方は、
どれほど妥当でしょうか?
実際は、

ほとんど関係がありません。

つまり、
将棋をやったから論理的思考力を
鍛えられるとは言えない。

逆に、
将棋を全くやっていなくても
論理的思考力は鍛えられる。
なぜなら、

専門は特殊だから

将棋をやることで鍛えられるのは、
将棋というゲームに強くなる力。
それ以上でも・それ以下でもありません。

だから、
将棋の超一流棋士だから
囲碁でも超一流棋士になれるとは言えない。

なぜなら、
将棋の専門技能は将棋に対してのものであって、
囲碁に対するものではないから。

将棋の超一流棋士が囲碁の超一流棋士と
囲碁で勝負すれば、当然、囲碁の超一流棋士が
勝つ可能性が高い。

一見、似ている将棋と囲碁でさえ
将棋の技能の応用が効かないのだから、
当然、

・将棋をやっていればビジネスにおいて
 論理的思考が出来るとは全く言えず、

・将棋をやっていれば投資において
 論理的思考が出来るとも全く言えない。

端的に言って

関係がない

つまり、
物事というのは、ある一定上の
レベルになると応用が効かない、
ということ。

だから、
将棋のプロ棋士は、一生、将棋の世界で
生きていく人達が圧倒的に多い。

なぜなら、
将棋の世界で身に付けた特殊技能は、
将棋の世界でこそ活きる技能だから。

専門は特殊

世間は、ある専門家に対して、
まるで専門以外も含めて何でも出来る
スーパーマンのようなイメージを勝手に抱きがち。

しかし、
他のことに対して全く無関心だったからこそ、
専門家が専門分野に集中できていたという事実を
忘れてしまっている。

だから、もし相手が本当に専門家である場合、
その専門家は、その専門以外はほとんど何も出来ない。
それが現実。

・専門家だから何でも出来るというわけではない。
逆に、
・色々な分野で出来ないことがあるからと言って
 専門家になれない、というわけでもない。

だから、

何か1つの分野で専門家になれたからと言って、
「他の分野も含めて何でも出来る」という
スーパーマン幻想を見ると危険。

本人は傲慢になり、周囲は盲信する。
悪い意味で宗教化してしまう。

一方、

他の大勢が普通に当たり前に出来ることが
自分は出来ないとしても、だからと言って、
何の専門家にもなれない、というわけでもない。

出来ないことが10個あっても、100個あっても、
だからと言って、成功には何も関係がない。
なぜなら、成功は出来ないことがもたらすものではなく、
出来ることがもたらすものだから。

1つで良い。1つあれば充分。

たとえば、
小学校では、国語・社会・算数・理科・英語・
音楽・体育、、、など、たくさんの教科を
一通りやらせる。

もちろん、
やってみなければ、才能があるのか・ないのかが
分からないので、一回は、やらせてみることにも
意味がある。

しかし、
実際、やらせてみれば、「才能がない」は
すぐに分かる。

もし小学校範囲で苦戦しているならば、
「才能がない」。そして、それで良い。

選択肢を1つ消せている

なので、

>「音楽が出来るんだから、
体育も頑張れば出来る」は【嘘】。
関係ない。

>「国語が出来るんだから、
算数も頑張れば出来る」も【嘘】。
関係ない。

本当に才能がある子だったら、
周囲から「頑張れ!」なんて言われていない。
無意識に出来ている。

1度もやったことがなければ、
やってみないと分からないので、
やってみることには価値がある。

しかし、

やってみれば「才能がない」ことには
簡単に気づく。小学校範囲で
つまづいている時点で「才能がない」。
だから、

選択肢をちゃんと1つ消せている

物事は、ある一定以上になると
応用が効かない。

体育が出来るから音楽も出来るようになるわけでもない。
さらに、野球で1位になれたからバスケでも1位に
なれるわけでもない。

専門は特殊

出来ないことが10個あっても、
100個あっても大丈夫。
気にする必要はない。

なぜなら、
出来ないことは成功や夢実現に
関係のないことだから。

逆に、
たった1つの専門分野に関しては、
他者の意見を聞く必要はない。

>「人は、どんな人からも学べる」

は、専門「以外」に関しては真実でも、
専門分野に関しては【嘘】。学べない。

素人100人、千人、1万人、、、
の意見よりも、専門家1人の意見の方が
真実に近い。

だから、
専門家になれば・なるほど、
アドバイスをもらえる相手が減り、
また話を理解してもらえる相手も減る。

専門は特殊ゆえに、
専門家は必然的に孤独になる。

人間関係の豊かさは、
専門「以外」の家族や趣味の分野では
実現するとしても、専門分野では実現しない。

本当に優秀な人が孤独なのは、
彼ら・彼女たちが専門家だから。

その道を極めようとすれば・するほど
理解されなくなる。それでも、更に
先に進みたいか・どうかは、
まさに「生き方」の問題。

専門は特殊

・たくさんのことが出来なくても大丈夫。
 1つ出来れば充分。

・1つの専門家だからといって、何でも
 出来るわけではない。傲慢になってはいけない。
 盲信してもいけない。

そして、

・専門を極めようとすれば・するほど
 道は細く、世界は狭くなる。
 それでも極めようとすれば、
 あくまで専門を進み続ける、のみ。

専門は特殊であるがゆえに希少性が高い。
だからこそ、

専門家は社会に大きな価値を提供しています

 

専門は特殊

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

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やらないリスクは?

白坂です、

 

やらないリスクは?

人は、
リスクと言うと「やる」リスクのことばかり
考える傾向があります。

たとえば、起業。

「起業するか・しないか」を考える時の
リスクは、「起業することのリスク」。

従業員時代の安定収入を失ってしまうリスクとか、
失敗したら生活していけなくなる可能性があるリスクとか、、、
とにかく「起業することのリスク」について考えがち。。。

ただ、
本当に大事なのは「『する』リスクなのか・どうか?」。
もし、「する」リスクについて、そこまで
考えるのであれば、その10分の1でも、

【やらないリスクは?】

を考えた方が
よほど現実的。

もし、
起業しないことにリスクがないのであれば、
起業する必要などない。

ただ、

「起業しないことにリスクがない」というのは
単なる思考放棄。実際は存在しているリスクを
「見ざる」「聞かざる」「言わざる」で
目と耳を塞いでいるだけ。たとえば、

「60歳で定年退職した【後】の人生は?」

その会社一筋40年で働いた場合、
定年退職日は、会社からも家族からも、
祝福されるかもしれない。

ただ、その定年退職日のお祝いの1日が
生きていながらに迎える社会的な生前葬。

今までは会社の信用力で仕事をしていた人が
定年退職をした後は、会社の信用を失う。
社会的な繋がりは退職後1年も経たずに
全て失くなる。

後の10年・20年・30年、、、は
長い・長い余生。社会的な孤独の中で、
年金をもらいながら年金の範囲内で
質素倹約の生活を続けるのみ、、、

そういう、
【やらないリスク】も考えることが大事。

人生における大事な決断をする場合、
「やるリスク」と同じように「やらないリスク」も
同じように考えることが重要。

最も分かりやすいのは、
ガンになった場合。

ガンの専門の先生が、
完治の可能性があるのは手術であるという
説明をしてくださったとする。

当然、
手術をした場合のリスクを医師の先生は説明する。
最悪、手術中に命を落とす可能性があることも
手術前に本人や家族に説明する。

もし、手術をしないことにリスクがないのであれば
手術などしない方が良いに決まっている。
自分の大事な身体にメスを入れて傷をつけながら
わざわざ生命の危機に直面する必要はない。

ただ、
それでも手術という決断をするとしたら、
それは「する」リスクよりも、「しない」リスクの方が
上回っているから。

もし手術をしなければ、この後の推定余命が2年以内で、
逆に、手術に成功すれば完治の可能性があり、その後、
10年・20年、、、と生き続けられるとしたならば、
「する」ことのリスクを承知で、やっぱり【する】という決断になる。

【やらないリスクは?】

人は、ついつい「やる」リスクばかりを気にする。
もちろん、何をやるにしても「やる」ことには
リスクはある。だから、やらないことにリスクが
ないのであれば、やる必要はない。

しかし、
実際は、【やらないことにもリスク】がある。

たとえば、
日本経済で考えた時に、

・日本の総人口が減少し続けていて、
・少子高齢化の中で、
・若者・子どもたちの税や社会保険料負担が
 大きくなり続けることが目に見えているのに、

それでも、
「やらない」というのは、もはや論理的な思考を
完全に放棄している。いわゆる「加齢ジリ貧」。

挑戦することに保証はない。リスクはある。
何をやっても必ずリスクはある。
だから、リスクがあるのは当たり前。
問題は、

【やらないリスクは?】

手術は手術中に命を落とす危険性を承知で、
それでも完治を目指し、10年後・20年後・
30年後、、、の自分が過去の自分の決断に
感謝するために行うもの。

「やる」ことのリスクは無意識に誰でも考える。
だから、それ以上に深刻に考える必要はない。
むしろ真剣に考えるべきは、

【やらないリスクは?】

「やる」ことと「やらない」ことで
 どちらの方が、より大きなリスクか?

もし、
「やらない」ことにリスクがないなら、
「やる」必要はない。そのまま時間とともに
今までと同じように年を重ねていけばいいだけ。

逆に、
決断し・行動し・挑戦している人も居る、、、
というのであれば、【やらないリスク】のことを
誰よりも真剣に考えているから。

今から10年後・20年後・30年後、、、に
分かりきった未来が実際に到来する前に、
実際に決断する。そして動く。動き始める。

そうすれば、
たとえ、日本全体を変えることは出来なくても、
個人単位・家族単位・会社単位、、、では、
長期的な衰退を逃れることが出来る。

むしろ、リスクを承知で
リターンを全力で獲りに行った分、
想像以上に

遥かに大きな夢実現を体験することが出来ています

 

やらないリスクは?

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

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とりあえず会社を作る

白坂です、

 

とりあえず会社を作る

もし
起業しようとした時に、
最初に大きな2択があります。
すなわち、

・個人事業主として始めるか?
それとも、
・最初から会社を作って始めるか?

です。
相談された場合、

とりあえず会社を作った方が良い

と答えています。
理由は、

個人事業で始めた個人の99.9%が、
その後もずっと個人事業のまま、、、
という現実があるから、です。

個人事業で始める人は、

>「最初は取り敢えず個人事業で始めて、
  もし、事業が上手く行って成長したら、
  将来的には会社を作ろう、、、」

という考えの方が多いです。

しかし、
事業を実際に成長させ、その後、個人事業を
会社設立に切り替える人は0.1%。
千人に1人。残りの999人は、
その後もずっと個人事業のまま、、、が現実。

「なぜでしょうか?」
簡単です。

個人事業の居心地の良さに慣れてしまうから

「起業する」と決断した瞬間が、
最もエネルギーがあります。

であれば、そのエネルギーのまま、
一気に会社を設立しない限り、後から
「会社を設立しよう、、、」という
考えにならない。

>「今まで個人事業で大きく
困っていないのだから、
これからも個人事業のままで、、、」と
なっている。

個人事業の1番のメリットは、
会社設立にかかる約30万円の費用を
かけずに済むこと。

節約した状態で事業を始められる
というのが個人事業の1番のメリットです。

一方、

個人事業のデメリットは、
「お金」の財布が公私で同じであること。

管理が甘くなる、または、
全く管理が行われない。
だから、無駄遣いが増え、
自転車操業から抜けられない。

原則:
・管理が行われないと無駄が増える。
・管理が行われるようになると、
 管理された資源が増える。

だから、

とりあえず会社を作る

「起業する」という大きな決断をした時点で、
勢いで「会社まで作ってしまう。」

まず、
「お金」の公私をハッキリと分ける。

・会社の「お金」は会社の「お金」
・個人として「お金」が必要なのであれば、
 会社から役員報酬を受け取り、その役員報酬の中で
 生活のやり繰りをする。

そして、
会社の方には、自分以外の「お金の管理者」
(経理担当者または顧問:税理士)に
最初から入ってもらう。社長である自分に

>「社長、それは会社経費になりません」

と、
感情を1ミリも入れずに、冷静・冷徹に
指摘してくれる人に最初から入ってもらう。

最も大事なことは、
人は、自分で自分を管理することは
絶対に出来ない、という現実を受け入れること。

意志で本能は制御できません。
管理するためには、管理するための環境を整え、
仕組みとして管理するしかない。
だから、

とりあえず会社を作る

会社を設立しなければ、
最初の約30万円は節約した状態で
始められるかもしれません。

また、
顧問:税理士など「お金の管理者」を
入れなければ、その顧問料も
節約できるかもしれません。

ただ、
その節約できたはずの支出の何倍・何十倍も
無駄遣いを防ぐことによって、長期的には
大きな経費削減が出来ます。
そして、何より、

事業でいくら売り上げたいのか?

が問われます。

自分の生活費分が得られれば良いのか、
それとも、会社として年商:数千万円以上を
目指していくのか、、、

もし、
数千万円以上の事業を創って行く気が
あるのであれば、最初の約30万円の
会社設立費用や、月額の顧問料などは
正直、タダみたいなものです。だから

とりあえず会社を作る

大原則は、
自分で自分を管理できる人は、
この社会に、ただの1人も居ない、
ということ。

自分で自分を律するなど無理なことに挑戦して、
「やる気」を問題にしていると、課題を
解決できません。

個人事業であれば、
自分で自分を律しようとして、
結局、律することが出来ないので、
事業を伸ばせられない。成長させられない。

だったら、
最初から、会社という仕組みを利用する。

自分で自分を律することは出来ないので、
自分を律する会社という仕組みで、
最初から始める。

起業当初から
会社という仕組みの全てを理解することは
出来ません。また、始める前から全てを
理解する必要もありません。

「起業する」と決断した
エネルギーを利用して、

とりあえず会社を作る

会社が出来たら、
少しずつ・少しずつ、、、分かって来ます。
すなわち「会社の仕組み」を通じて、
「資本主義の仕組み」そして、

「社会の仕組み」を理解できるようになって行きます

 

とりあえず会社を作る

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

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ガバナンスとは?わかりやすく

白坂です、

 

ガバナンスとは?わかりやすく

「ガバナンス」というのは、
日本語では【企業統治】と略されています。
簡単に言うと、

【どうやって社長を取り締まるか?】

ということです。

まず、
「人は、自分で自分を管理できる人は居ない。
楽な方へ・楽な方へ流され続ける」、、、
というのが大前提。

例外はありません。
もちろん、社長も同じです。

社長を管理しなければ、
社長は楽をします。
手を抜きます。サボります。

しかも、
公私混同で

好きなことをやり始めます。

個人の性格とか気質ということではなく、
それが「人」だと言うことです。

自分で自分を律することが出来る人など
この社会には、ただの1人も居ません。
どんな人も例外なく、痛みを避けて
快楽を得よういう本能で動く。

「会社は誰のもの?」ということに対して、
法律の答えは「株主のもの」です。

そして、
株主が求めているのは利益。

会社が1年間で利益を出し、
その出した利益の一部を株主に
還元して欲しいと株主は求めています。

であれば、

株主から経営を委任された社長は、
会社の利益を成長させるために
経営をするべきですが、しかし、社長も「人」です。
管理しなければ堕落します。だから、

ガバナンス【企業統治】

「どうやって社長を取り締まるか?」。
最も分かりやすいのは、取締役を任命すること。

取締役というのは、
文字通り、社長を取り締まる役です。

社長が手を抜き・楽をしようとし、
そして公私混同しようとしたら、
株主の代わりに社長を取り締まるのが
取締役の業務。

なので、
社長1人の会社よりは、
社長以外の取締役も居る会社の方が

ガバナンス【企業統治】が効いている

可能性が高いと言えます。

ただ、
実際には、

・「社長=筆頭株主」である場合も多く
ゆえに、実質、
・「社長が取締役を選んでいる」場合も多い

ので、
たとええ取締役が居ても、取締役が社長を
しっかりと取締れていない場合が多いのも現実です。

何せ、
取締役の人事権を持っているのが社長であれば
社長は取締役にとっての上司。上司を部下が
取締るというのは現実的に難しい。

だから、
「資本」と「経営」を分離した方が良い、、、
という考え方になっています。

もし、「筆頭株主=社長」だと、結局、
会社で社長を取締れる人が居ません。
であれば、社長の堕落とともに
会社も必然的に衰退していきます。

しかし、
「資本を持っている株主」と「経営を委任されている社長」が
別の存在であれば、株主は社長の人事権を持っています。

株主が社長を解任することを可能にすることで、
社長の取締を可能にしよう、、、というのが
株式会社におけるガバナンス【企業統治】の
基本的な仕組みです。

と言うことで、
ガバナンス【企業統治】とは、
わかりやすく言うと、

【どうやって社長を取り締まるか?】

という
「考え方」であり「仕組み」のこと、
となります。

 

ガバナンスとは?わかりやすく

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

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管理による自由

白坂です、

 

管理による自由

一般的に、
自由と言うと、誰からも管理されていない
状況であるかのようにイメージされがち。

しかし、
もし実際に誰からも管理されていない
状態が実現したとしたら、それは自由ではなく
単なる堕落。

少しずつ・少しずつ、
しかし状況は確実に悪化していきます。

理由は簡単です。
人は、やっても・やらなくても、
どちらでも良い状況だと、

やらないから、です。

悲しいことに、
人間は、楽な方に・楽な方に
流されて続けて行きます。

だから、

誰からも管理されていない状態だと、
現状維持すら出来ない。頭では現状維持が
出来ているような感覚だったとしても
実際は確実に衰退して行っている。

管理のない状態は自由ではなく堕落。
自由というのは管理から逃れることで
実現するものではなく、逆に、

管理によってこそ自由は実現する

たとえば、
小・中学生の塾。

塾は一見、授業や教材を提供している
ように見えて、実際に提供しているのは環境。
勉強するしかない環境を塾は提供している。

小・中学生の保護者の最大の悩みは、
>「先生、うちの子は全然、
家で勉強しません。。。」ですが、
だからこそ、

塾は日本全国に1万箇所以上も存在している

もし、
子どもたちが家で勉強できるのだったら、塾は要らない。
日本に、ただの1箇所も塾は必要ない。

なぜなら、
子どもたちが成績を上げて・
志望校に合格するための教材そのものは、
子どもたちは持っているから。

教材を手に入れるのは簡単。
ネットでも・本屋さんでも、
誰でも簡単に教材を手に入れられる。

だから、
もし子どもたちが家で勉強できるのであれば、
塾は必要ない。ただの1箇所も必要ない。

子どもたちが家では勉強できないからこそ
塾が存在している。そして、塾が提供している
価値は、勉強するしかない環境にこそある。

そして、
子どもたちに限らない。
大人になり、30才だろうが・40才だろうが、、、
例外は一切ない。

やっても・やらなくてもどちらでも良い環境なら、
人は、必ず、やらない。

・「やる」のは大変
・「やらない」のは楽
だから、
・人は例外なく「やらない」。

子どもたちに限らない。
大人も全く同じ。
年齢とか・個人差ということではなく、
人は、楽な方に・楽な方に流され続ける。

「やらなければならない」という論理より、
「やりたくない」という感情の方が24倍も強い。
例外がない。人の意志の力など、本能の前では
悲しいほど弱い。

だから、
管理がなければ、人は、やらない。
だから、堕落していく。衰退していく。

もし、
一生一回だから、やりたいと思っていた
夢を叶えようと思ったら

どれだけ厳しい環境に自分を置けるか?

に全て、かかっている。

世の中に、
特別に意志が強い人が居るわけではない。
意志は弱い。どんな人も悲しいくらい弱い。

ただ、
違うのは、置かれている環境。

・ある人は、やっても・やらなくても
 どちらでも良いヌルイ環境に居て

・ある人は、やるしかないという
 追い込まれた厳しい環境に居る、、、、

という環境の違いがある、だけ。

もし、
ある人が、「やっている」というのであれば、
それは、「やらざるを得ない」厳しい環境に居るから。
ただ、それだけ。

管理による自由

管理すれば・するほど、
無駄が削ぎ落とされていく。

たとえば、
仕事が出来ない人が最もたくさん
言う言葉が、「忙しい」。

要するに、
>「忙しいから出来ない」と言う。

しかし、
実際は単純に仕事が遅いだけ。
本質以外の無駄なことを沢山やっている。

人は与えられた時間を最大限に使って
終わらせようとする本能がある。

早く終わらせたら、次から次に
頼まれて損だと感じるから、
1つのことを時間をかけて
ゆっくり・じっくり、やろうとする。

だから、
もし1年間、与えられたら
1年間でやり終わる。

しかし、

その1年間の仕事は、
実際、半分の半年でも出来る。
残り半年は、本質以外の無駄なことに
時間を使っていた、というだけ。

そして、
・半年で出来たことは、
 実際は3か月間で出来るし、

・3か月間で出来たことは、
 実際は1か月間で出来る。

時間が短いから出来ないのではない。
むしろ、反対。与えられた時間が長ければ
長いほど、逆に無駄なことを沢山やるので
逆に出来なくなる。

締切がないものが完成することはない。

自分で自分を律することが出来る人など、
この社会に、ただの1人も居ない。
どんな人も例外なく、楽な方・楽な方へ、、、と
流され続ける。

もし、
堕落ではなく自由を実現しようと思ったら、
管理から逃れるのではない。むしろ逆。
どれだけ厳しい管理下に自分の身を置けるか?

厳しく管理されれば・されるほど、
無駄なことが出来なくなる。

厳しい締切があれば・あるほど、
無駄なことをやっている暇がなくなる。
だから、重要な本質だけに集中せざるを得なくなる。

すると、

・かつては、1年でやっていたことを
 半年で出来るようになり、

・かつては、半年でやっていたことを
 3か月で出来るようになり、

・かつては、3か月でやっていたことを
 1か月で出来るようになることで、

自由な時間が拡大する

やるべきことをやって成果を出す。
しかも以前よりも、短い時間で成果を出す。
すると、

自分の本当にやりたいことがやれる

少ない量を時間をかけて
ダラダラ・ダラダラやっているから、
夢が夢のままで終わってしまう。

>「いつか・きっと・そのうちに、、、」
と思いながら、結局、
10年前と同じ環境・同じ人間関係で
同じことをやっている。

そして、

10年間、結果が変わらなかったのに、
なぜか、同じ環境・同じ人間関係でやっぱり、
「いつか・きっと・そのうちに、、、」
と思い続けてしまっている。

幻想

人が人に対して
「優しい」とか「思いやりがある」とか、
「親切」、、、などの面から、『性善説』を
価値観とするのは、その人の生き方。自由。

ただ、
仕事・ビジネス・投資、、、において、
何より自分自身に対しての『性善説』は
あり得ない。

・人は楽な方・楽な方へ流される
・人は選べるならば「やらない」
そして、
・「なぜ、やらなかったのか?」の言い訳を雄弁に語る

年齢は一切で関係ない。
子どもたちが家で勉強しないのであれば、
大人は家で仕事をしない。

結局、リモートワークも幻想に終わった。
外出自粛が緩和されたら、どの企業も
社員は出社、、、に、どんどん戻っている。

自由とは、管理から逃れることで
実現するものではない。

管理がない場所で実現するのは堕落。
何の生産性のない無駄でダラダラした
時間だけが増える、だけ。

もし、
自由を実現しようとしたら、むしろ逆。
「どうやって管理から逃れるか?」ではなく、
「いかに厳しい管理下に身を置けるか?」。

「やる」「やらない」が選べる環境ではなく、
「やるしかない」環境に身を置く。

無駄が見逃され、放置されている環境ではなく、
いつも監視され、常なる改善が改善が図られ
続けている環境。

もし
一生一回、本当に「やりたい」ことがあるならば、
いかに、「やりたくないこと」を沢山やれるか?

・勉強
・練習
・改善、、、

自分の意志でやれる人など1人も居ない。
信頼の問題ではない。単なる現実。

いつか自分の意志でやれるようになると
幻想を見続けるのではなく、環境を変える。
人間関係を変える。ヌルい場所から距離を置き、
厳しい場所へ自ら近づく。

管理が厳しい環境に身を置けば・置くほど、
やらざるを得なくなる。量をこなさざるを得なくなる。

そして、
量をこなせば誰だって能力を上げられる。
やがて量が質を産むようになる。
以前よりも格段に短い時間で、やれるようになっている。

結果、
創り出した余裕時間で、夢として思い描いていたことを
思い切りやる。一気呵成にやる。そうすれば、

好きな時に・好きな場所で、
好きな人と、好きなことを、
好きな方法で、好きなだけやれる

自由を体験することが出来ています

 

管理による自由

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

参考書籍:

『稼ぐ言葉の法則』

 

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