カテゴリー別アーカイブ: 経営

【日本列島改造論】とは?わかりやすく

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白坂です、 今回のテーマは、 「【日本列島改造論】」です。 もし 興味・関心がありましたら ご視聴ください。   【日本列島改造論】とは?わかりやすく 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

【香川照之さん】性加害報道を心理分析

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白坂です、 今回のテーマは、 【性加害】です。 もし 興味・関心がありましたら ご視聴ください。   【香川照之さん】性加害報道を心理分析 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

【統一教会】とは?②わかりやすく

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白坂です、 今回のテーマは、 【統一教会①】です。 もし 興味・関心がありましたら ご視聴ください。   【統一教会】とは?②わかりやすく 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

【溶ける】感想 井川意高(いかわもとたか)さんの本レビュー

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白坂です、   溶ける   個人的に大学の卒業論文が『賭博罪』だったこともあって、興味深く拝読しました。   実は、ヨーロッパやアメリカなど先進国では、個人が自分のお金を賭ける「賭博」は犯罪になりません。なぜなら、「経済活動の自由」という基本的人権があるから。「本人が本人のお金をどのように使うか?」は基本的に自由。だから、本人のお金であれば、たとえ賭けても問題ない、、、が多くの先進国の状況。   一方、   日本では「賭博」は罪になります。理由は「勤労の義務」。日本は古来より汗水垂らして真面目に働くべき、、、という文化を持っているから。賭博は「勤労の価値」を低下させ、「早く・楽に・簡単に儲かりそう」という射幸(しゃこう)心を煽るものとして刑法で禁止されています。   もっとも、   刑法そのものが戦前の明治時代に作られたものであり、刑法の「賭博罪」は法曹界でも、「時代に合わない」という解釈になりつつあります。   たとえば、競馬・競輪・競艇などの公営競技が行われていたり、日本全国にパチンコ店が並んでいたり、日本でも「カジノを認めては?」という国会議論が行われていたりしているくらい時代は変わり続けています。   だからと言って、刑法の賭博罪そのものは廃止されていません。なので、賭博は厳密には違法。逮捕されたり起訴されたりすることがほとんどなくなっている、、、という実情と法律の間に差があるまま放置されてしまっている条文の1つです。   なので、 著者の井川さんも海外のシンガポールで賭博を行っていたもの、賭博罪で逮捕・起訴されたわけではありませんでした。井川さんの罪は   特別背任罪   会社のお金を借りて賭博を行っていたことが、会社の所有者である株主に対しての裏切り行為に当たるという特別背任で逮捕・起訴されました。そして、実刑6年の判決。   井川さんは大王製紙の創業者の孫。 祖父・父・ご本人と創業家としては3代目の大王製紙社長でした。 そして、当時、グループ会社の90%の株を保有していました。   筆頭株主の創業家でありグループ会社の社長として、子会社から借金をした上で、賭博を行っていた。そして、   106億8000万円を溶かした   これほど大きな金額を負けることが出来たのも、それだけの資金を子会社から借りることが出来たという、かなり特殊な状況の人だったから。106億円も、いざとなれば、会社の株を売って返済できる金額だった。   なので、 井川さんがギャンブルで106億負けたということに関して、金額面で参考になるところは、正直、ありません。なぜなら、99.99%以上の人は、106億も借金をすること自体が出来ないから、です。   では、 もし、この本から私たちが何か学びを得ることが出来るとしたら、、、それは、   「なぜ、そこまでギャンブルの底なし沼に落ちたのか?」   という【キッカケ】。   井川さんの人生は、ギャンブルを通じて大きく「変わりました」。 株を売って借金を完済することは出来たものの、ご本人は実刑6年の判決を受けました。そして、ご本人はもちろん、お父様や弟さんも、大王製紙から離れざるを得なくなりました。   人生は「たまたま・偶然・何となく」変わることはありません。 東大卒で、しかも上場企業の社長、しかも生まれながらのギャンブル好きとまでは言えなかった井川さんがギャンブルで全てを失うことになった【キッカケ】は、   人との【出会い】   ジャンケットと呼ばれる職業の人物に出会ったから。 そして、その人と付き合い始めたことから、井川さんの人生は大きく変わっていきます。そして、最終的に全てを失うことになっていきます。   ジャンケットとは、「カジノ」と「大金持ち」の仲介役。 ジャンケットにお金を渡すのはカジノなので、ジャンケットにとっての直接の顧客はカジノ。ただし、ジャンケットが奉仕するのは「大金持ち」。飛行機やホテルの手配などはもちろん、   カジノで負けた場合の借金の手配までする   ジャンケットは「大金持ち」の状況をよく知っているがゆえに、「大金持ち」がどれくらいまで借金が出来るのかを把握しています。だから、「大金持ち」が「カジノ」で負けた場合、たとえ「大金持ち」の手持ち金額がなかったとしても、代わりに借金の手続きをしてくれる。「大金持ち」は掛けで勝負を継続できる。この   簡単に借金が出来る状況を作るジャンケットとの【出会い】が井川さんの人生を変えた   人生は「たまたま・偶然・何となく」では絶対に変わらない。もし変わるとしたら、今まで出会ったことがない「新しい人」との出会いが必ずある。井川さんにもあった。人生を変える出会いが。ただ、残念ながら、人生を悪い方向へ変える【出会い】だった、、、   簡単に借金できる状況というのは、人を決して幸せにしない。 最初は、ちょっとした気持ちから始まった借金だったとしても、借りているうちに感覚が麻痺してしまう。そして、いつしかギャンブラーに   一発大逆転を狙わせてしまう     負ける ↓ 借金が膨らむ ↓ 一発大逆転を狙う ↓ 全てを失ってしまう     井川さんがやっていたギャンブルは「バカラ」。 確率50:50の典型的なギャンブル。 人間は確率1/2に最も興奮を覚える生き物なので、全てを取り返そうと思って勝負を続けているうちに、全てを失ってしまう。   東大卒で大企業の社長でも抵抗できないギャンブルの魔力。 だから、賭博が法律で禁止されている・されていないを超えて、     借金してまでやっては絶対にいけない     お金の原則は、余らせて・貯金して・投資する。 貯金あっての投資。貯金によらない投資は上手くいかない。 まして、借金をしてまでの投資は投資ではない。博打。   だから、 安易に借金が出来る環境や、借金を勧める人からは全力で離れなければならない。 「バカラ」のような分かりやすいギャンブルはもちろん、FXや株式であったとしても実質的な借金に当たる「信用取引」からは全力で離れなければならない。   「借金も活用した方がレバレッジが働いて効率が良い、、、」というのは『机上の空論』。人間は論理の生き物ではない。感情の生き物。借金の額が大きくなれば冷静さを失う。勝ちの後の利益確定が出来なくなる。負けが続いている中での損切りも出来なくなる。勝つまでやると意地になって、最終的には     全てを失ってしまう     井川さんだから落ちたのではなく、井川さんでさえ抵抗できなかった『ギャンブルの魔力』。確率50:50のギャンブルはやってはいけない。まして、借金をしてまでやるものではない。法律で禁止されている・されていない、、、を超えて、もし全てを失いたくないのであれば、     安易に借金が出来る環境や、借金を勧める人からは全力で離れるべき     あくまで 「貯金を再投資」が原則中の原則。 もし10年・20年・30年、、、と複利で資産を増やしていきたい場合は常に確認し続けておきたい鉄則中の鉄則だと改めて再認識しています。   溶ける   あなたのとても貴重な時間にて最後までお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。   白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

人間だからこそ

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白坂です、   人間だからこそ 「何かを分かりたい」 「何かを理解したい」、、、という場合、 文字通り、 分けて比べる ということをします。 今までの哲学は、 「人間とは?」という 人間そのものに対しての理解を 深めるとために、たとえば、 ・動物と人間を比べる ・哺乳類と人間を比べる ・猿と人間を比べる、、、 というようなことをしてきました。 また、人間同士を比べて ・日本人とアメリカ人を比べる ・男性と女性を比べる ・年長者と年少者を比べる、、、 というようなことをしてきました。 分けて・比べることで 違いを見つけ出し、 その違いをもって、 ・日本人とはこういう存在。 ・アメリカ人とはこういう存在 ・男性とはこういう存在 ・女性とはこういう存在 ・年長者とはこういう存在 ・年少者とはこういう存在、、、 として、 理解を深めてきました。 ただ、 これからの10年・20年・30年、、、で 動物と人間を比べたり、まして、 人間同士を比べたり、、、ということの 重要性は、ドンドン下がり続けていきます。 理由は、 AI(人工知能)が普及して行くから 人間同士の比較など 人間とAI(人工知能)との違いに比べたら ハッキリ言って、差は、ほとんどありません。 もし、 人間とAI(人工知能)を比べたら、 人間同士の差は微差。 たとえば、 平均的には、人の脳の情報処理能力は 1秒間で40回程度。 だから、 もし、1秒間で50回とか100回とか 情報処理できる脳を持っている人がいるとしたら、 その人は平均的な人に比べて、ものすごく 頭の回転が速いということになります。 AI(人工知能)が出てくる前だったら、 「頭が良い」とか「天才」、、、などと 認識されていたことでしょう。 しかし、 この文章を書いている現時点で、 AI(人工知能)の情報処理能力は 1秒間で 1【京(けい)】回 です。 普通の人の250兆倍も情報処理能力が 高いことになります。文字通り、圧倒的です。 だから、 たとえ、 今まで人間がやり続けて来たことだったと しても、これからはAI(人工知能)が どんどん代わりにやっていきます。 理由は、 人間がやるよりもAI(人工知能)がやった方が 大容量の情報を、超高速で、しかも正確に 処理するから、です。 だから、 これから、「人間とは?」ということに対しての 理解を深めようと思った際に、人間同士の比較には どんどん意味がなくなって来ます。これからは、 AI(人工知能)との比較 になります。 もし、 AI(人工知能)に出来ることであれば、 そのAI(人工知能)が出来ることの価値は、 どんどん下がっていきます。 なぜなら、 人:一人の雇用にかかる人件費よりも、 AI(人工知能)の導入費用の方が、 圧倒的に割安だから、です。 表現を変えるならば、 誰か優秀な人を一人、雇用するよりも、 AI(人工知能)を1つ導入した方が、 企業の生産性は圧倒的に上がる、、、という ことでもあります。 だから、 もし、10年後・20年後・30年後、、、の ことを考えた場合、AI(人工知能)には出来なくて、 人間だからこそ出来ることは何か? ということを 極めて真剣に問い続けることが重要になっています。 では、 AI(人工知能)には出来なくて、 人間だからこそ出来ることというのは 何なのでしょうか?一言で言えば、 過去の延長線上に【ない】何かを創造すること です。 たとえば、 将棋というゲームは、人間が考え出したゲームです。 ・それぞれの駒は、どのように動くのか? ・どうすればゲームの勝ちで、どうすれば引き分けになるのか? ・取った駒は使えない方が面白いのか?使えた方が面白いのか? AI(人工知能)が出来るのは、 人間が創った将棋というゲームで勝つこと。 人間はAI(人工知能)に将棋で勝つことは出来なくなりました。 そして、今後、勝てるようになる日も永久に来ません。 ただ、AI(人工知能)には出来なくて、人間に出来ることは、 将棋【以外】の別の何かを創造すること です。 AI(人工知能)の情報処理は正確です。 プログラミング通りに動きます。 もちろん、 今は、大量のデータの検証の繰り返しから AI(人工知能)そのものが学習します。 (機械学習)。 そして、 AI(人工知能)そのものが学ぶ機械学習の精度も 日々で進化し続けています。 たとえば、 与えられたデータの中から、どこに注目しながら 学習すれば良いのか、、、というのを、かつては 人間が事前に設定していましたが、 今は、注目点(特徴量)さえも、AI自らが見付けます。 (深層学習)。 だから、 AI(人工知能)の学習精度は日々、進化し続けていきます。 ただ、それでも、AI(人工知能)が処理するのは、 正確な過去のデータ であるということは変わりません。 ・どれだけ大量のデータを ・どれだけ超高速で処理し ・どれだけ学習を繰り返したとしても、 使っているデータは 正確な過去のデータ だから、 AI(人工知能)が導き出す推論の結果は、 過去の延長線上において最も起こりうる確率が 高い事象。 過去の延長線上を予測するという点では、 AI(人工知能)と人間では比較になりません。 圧倒的にAI(人工知能)の方が精度が高い。 しかし、 人間は、良くも悪くも 【不】正確な過去の記憶 を使って、 物事を思考します。 人間の記憶は、AI(人工知能)が保存している データとは明らかに違います。人間の記憶は、 良くも・悪くも 歪んでいます 自分の都合の良いように、過去の記憶を書き換えます。 なぜなら、記憶は自分の感情と紐づけながら 整理されているからです。 あまり強い感情を伴っていなかった 過去の出来事は、どんどん忘れて行く。 逆に、 かなり強い感情を伴った過去の出来事に 関しては、真実以上に、過大評価または 過小評価した出来事として記憶している。 人間の記憶が歪んでおり、 良くも悪くも、自分の信念に合うように 都合よく保存されているがゆえに、 人間は時として、 過去の延長線上には【ない】何かを創り出します。 AI(人工知能)では、決して思い付かなかった であろう、独特で面白い何かを創り出す可能性を 私たち人間は持っています。 だから、 過去のゲームよりも面白い ・音楽 ・絵画 ・スポーツ または、 ・漫画 ・アニメ ・ゲーム、、、 を人間は新たに創り出す可能性を 持っています。 日々、学習し続けるAI(人工知能)も 人工知能自らがプログラミングしながら ゲームを開発することは可能です。 しかし、 それは、どこまで言っても、 過去の人気作品を参考にして創られた ゲームに留まる。 競馬場なのに、馬の代わりに 女の子が走るという『ウマ娘』のような ぶっ飛んだゲームは、AIからは まず出て来ない。 人間だからこそ 「何をやれば効率良く完了させられるか?」 という定型業務は、10年後・20年後・30年後、、、 ほとんど、人間の代わりにAI(人工知能)が代わりに やっている可能性が極めて高い。 かつて、 日本の中心産業だった農業が、 約70年後、GDP(国内総生産)の わずか1%まで激減していることからも、 今、行われている定型的な事務作業が 生み出している付加価値は、ほとんど なくなっていく。 そうしたときに、 トラクター・田植え機・コンバインという 機械が、人間から農業という仕事を 奪ったと解釈することも出来る。しかし、 人を農業から解放した、、、とも解釈できる 同じように、 AI(人工知能)が、人間から定型業務を これからドンドン奪って行くと解釈することも 出来る。しかし、 人を定型業務から解放して行く、、、とも解釈できる これから、 10年・20年・30年、、、 活躍し続ける人財の最大の条件は、 【人間だからこそ】出来ることに 挑戦し続けられるか・どうか? 人は、今、目の前の欲望を、 実際の満足度の24倍、 過大評価する。 そして、 人は、10年後の未来に起きるべくして 起きることを、「24分の1」で、 過小評価する。 10年後にやって来るはずの未来が たとえ5年ずれたり、10年ずれたとしても、 その未来は確実にやって来る。 現状維持の延長には 衰退という事前に分かりきっていた 現実が訪れる。 10年後・20年後・30年後、、、に やって来るであろう未来に向けて、 【人間だからこそ】出来ることに挑戦し続ける そうすれば、 現在、「24分の1」に過小評価していた10年後、、、 思っていた 24倍以上、素晴らしい人生を体験できています   人間だからこそ 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む