作成者別アーカイブ: 白坂慎太郎

飽きるメカニズムとは?

 

白坂です、

 

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さて、

 

飽きるメカニズムとは?

 

「なぜ、人は飽きるのでしょうか?」

簡単です。

 

 

長期記憶として保存されたから

 

 

人間の脳というのは、「情報処理システム」です。

目や耳などから入ってきている情報を常に処理し続けています。

簡単に言うならば、「忘れる」・「短期的に覚えておく」・「長期的に覚えておく」、、、ということをやり続けているわけです。

 

「忘れる」というのは、本人にとって重要でもなければ・緊急でもない情報だと判断したので、脳の中から捨てるということです。

 

「短期的に覚えておく」というのは、その情報は、今、この時・この瞬間には使う緊急な情報だと判断したので、2日間くらいは覚えておくということです。

 

「長期的に覚えておく」というのは、その情報は今後の人生において重要な情報だと判断したので、3日以降も覚えておくということです。

 

 

今すぐに使う情報であれば、目の前の問題を解決するまでの間は短期記憶として覚えておく。そして、2日経ったら忘れる。今後の人生でも使う情報であれば、3日以降も覚えておくものとして長期記憶として保存する。そして、飽きたというのは、

 

 

長期記憶として保存されたから

 

 

ということになります。

 

3日以降も忘れない情報となったので、特に注意をする必要がなくなったのです。

もし本人にとってネガティブな情報であればトラウマとして残ったということです。もし本人にとってポジティブな情報であれば成功するための習慣として残ったということです。

 

いずれにしても長期記憶として残っていますから、ことあるごとに想い出します。

出来事自体は、今・この瞬間に起きていることではなかったとしても、本人としては想い出す度に臨場感を感じています。情報空間で何度も体験しているので、あらためて物理空間で再度の体験をする必要性を感じないわけです。なので、「なぜ飽きるのか?」ということに関して言うならば、

 

 

「長期記憶に保存されたから」ということになります。

 

 

では、「どういう場合に、情報は長期記憶に保存されるのでしょうか?」表現を変えるならば、「脳はどのような情報を覚えておくべき重要な情報だと判断するのでしょうか?」大きくは2つあります。すなわち、

 

(1)その情報に、繰り返し・繰り返し、、、接した場合

(2)その情報に接した時に、非常に大きな刺激があった場合

 

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まず、

「その情報に、繰り返し・繰り返し、、、接した場合」についてです。

 

ある1つの情報に繰り返し・繰り返し、、、接した場合、脳は、「こんなに何回も・何回もこの情報に接するということは、この情報は自分にとって重要な情報なのだろう」と判断します。結果、忘れないように長期記憶へ保存するわけです。この場合、時間をかけながら少しずつ人は飽きていきます。しかし、時間をかけながら飽きた分で、その情報から受けた刺激は少しずつしか弱まっていきません。

 

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もう1つの

「(2)その情報に接した時に、非常に大きな刺激があった場合」についてです。

 

その情報は自分にとって非常に大きな衝撃を与えたので、脳は「自分にこんなに大きな刺激があった情報は重要なことなのだろう」と判断して長期記憶に保存します。この場合は、ただの1回だったとしても長期記憶として残ります。この場合、人は短時間で飽きます。しかし短期間で飽きた分で、その情報から受けた刺激は急速に弱まっていきます。

 

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大きな衝撃がある情報はただの1回で飽きて、小さな刺激の情報は繰り返しの中でゆっくりと飽きていく

 

もし自己啓発という視点で見るならば、飽きるというのは必ずしもネガティブなことだとは言えません。

要するに、特に注意を向けなくても無意識でも80点以上のことが出来るようになっているということなので、もし「ポジティブ」なことを飽きることができたというのであれば、それは

 

 

成長

 

 

です。

 

あとは本人の選択次第です。

「もう既に飽きを感じているのだけれども、80点では決して満足せずにその道の100点満点を目指し続ける専門家として生きるのか?」

 

それとも、

 

「飽きを感じた時点で次にまた熱中できる新しいものを求めながら、80点の分野をたくさん体得していく経営者として生きるのか?」

 

 

いずれにしても、「なぜ人は飽きるのか?」ということを理解した上で、「飽き」と上手に付き合えるようになると、自分の人生を自由に創っていくことができます。

 

自分が決めた道を歩み続けることができるようになっています

 

飽きるメカニズムとは?

 

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白坂慎太郎

 

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日欧EPAとは?

 

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さて、

 

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EPAとは?

>「 Economic Partnership Agreementの略:

        経済連携協定と訳される。

 

自由貿易協定の柱である関税撤廃や非関税障壁の引き下げなどの通商上の障壁の除去だけでなく、締約国間での経済取引の円滑化、経済制度の調和、および、サービス・投資・電子商取引などのさまざまな経済領域での連携強化・協力の促進などをも含めた条約」

 

(ウィキペディアより一部引用)

 

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「あなたは安倍首相を支持していますか?」とか、「あなたは安倍内閣を支持していますか?」など、、、というのは本質を外しています。「あの人が言っているから正しい」とか、「あの人がやっているから間違っている」など、人で判断するようになると組織は宗教化していってしまいます。大事なのは、

 

 

【誰が正しいかではなく何が正しいか?】で判断すること

 

 

なので、今回の「日欧EPAの発効」という1つの出来事に限定して考えてみたいと思います。

これは

 

 

非常に素晴らしい出来事

 

 

と言えると思います。

本質というのはいつも単純です。シンプルです。

 

 

【自由になれば・なるほど活発になり、しかも、全体の利益が最大化する】

 

 

・人が動けば、必ず、お金も動きます

・物が動けば、必ず、お金も動きます

・情報が動けば、必ず、お金も動きます、、、

 

人・物・情報、、、などが動くとお金も必ず動きます。だから、人・物・情報、、、などの動きが自由になれば・なるほど、お金は動きます。だから、環境が自由になれば・なるほど、当然ですが、経済は活発化します。

 

たとえば、関税、、、

 

関税というのは輸入品にかける税金です。目的は簡単で、自国の生産者を守るためにかけます。外国から安い物が大量に入ってくると、自国で同じ商品を生産している人たちが困ってしまいます。だから、自国の生産者を守るために政府がかけるのが関税です。

 

しかし、国が関税をかければかけるほど、消費者は安い商品を購入する機会を失うことになります。つまり、関税というのはあくまで生産者のためになったとしても、消費者にとっては不利益になります。なぜなら消費者は依然としてずっと国内商品を割高で購入し続けなければならないから、です。

 

【関税なしの場合】の社会全体の便益

「消費者が得ることができる便益」+「生産者が得ることができる便益」

 

【関税ありの場合】の社会全体の便益

「消費者が得ることができる便益」+「生産者が得ることができる便益」+「政府が得ることができる税収」

 

 

問題は、

【関税なしの場合】と【関税ありの場合】で比べた場合の社会全体の便益は同じでは「ない」ということです。

関税なしの場合】に社会全体の便益が最大化します。【関税ありの場合】は、社会全体の便益が小さくなります。つまり、消費者の便益にも、生産者の便益にも、政府の税収にもならない完全な損失が発生してしまうということです。なぜなら、

 

 

関税がかかると物の移動そのものの絶対量が減ってしまうから

 

 

物が移動すればお金も移動します。逆の言い方をすれば、物の移動量が減れば、お金の移動も減ります。

【関税なしの場合】に比べて【関税ありの場合】は貿易面での物の移動が減りますので、お金の移動も減ってしまいます。安いから売れたであろう外国製品が売れなくなってしまう分、社会全体の中で機会損失が発生してしまうわけです。だから、

 

 

経済面では【関税なし】が正解

 

 

もちろん、【関税なし】になると生産者は外国の安い商品と競争しなければならなくなるので大変にはなります。しかし、それは当然です。消費者からすれば日本の商品だけから選ぶのではなく、世界の商品の中からも最適な商品を選びたいですから。政府に自分たちを守ってもらうことを考えるよりは、潔く世界の中で競争していった方が良いです。どうしても勝てない産業であれば、勝てる産業に移ることもできます。

 

EPAとは、経済連携協定です。2019年2月1日に発効しています。

日本とEU(ヨーロッパ連合)の間で、物・サービス・情報、、、など情報に関する制限が限りなく小さくなり、かなり自由に移動する環境整っています。当然ですが、お金の移動の制限も小さくなり、お金も自由に移動する環境が整いました。これは経済に関しては確実にプラスの要因です。

 

・ヨーロッパからチーズやワインなどが安くで日本に入ってきて、

・日本から電化製品や自動車などが安くでヨーロッパに出ていくことで、

 

 

日本経済において約5兆円超のプラスが期待されています。

 

 

政治や経済は、人で判断してしまうと適切に判断することができません。

「誰が言っているのか?」ではなく「何が言われているのか?」

「誰がやっているのか?」ではなく「何が行われたのか?」

 

 

【誰が正しいかではなく何が正しいか?】で判断する

 

 

日欧EPAの発効は、日本経済にとっては確実なプラス要因です。

消費者としても生産者として、EU(ヨーロッパ連合)との間で、物・サービス・情報、、、の移動が自由になった好機をぜひ積極的に活かしていきたいものです。そうしていくことで景気が良くなり、しかも、

 

 

社会全体の便益が最大化していきます

 

 

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白坂慎太郎

 

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統計不正問題の本質とは?

 

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さて、

 

統計不正問題の本質とは?

 

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>「毎月勤労統計調査とは?

賃金、労働時間及び雇用の変動を明らかにすることを目的に厚生労働省が実施する調査です

 

(厚生労働省のホームページより一部引用)

 

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本質とは、基本です。

だから本質が複雑ということはありません。本質はいつも単純です。

 

たとえば、

「どうやったら痩せられるのでしょうか?」

「食べる量を減らしたらよいのではないでしょうか?」

 

「どうすれば売上が上がるのでしょうか?」

「商品を売ればよいのではないでしょうか?」

 

単純です。

本質はどんなこともシンプルです。

 

複雑なのは、本質ではなく実際に実行すること。

なぜなら人間は論理の生き物ではなく感情の生き物だから。

頭では分かっていても実際にはできない。だから本質を現実化させることは難しいかもしれません。

 

しかし、

たとえ実践が難しかったとしても、本質そのものは単純です。

極めてシンプルです。今回の「統計不正問題の本質とは何でしょうか?」

 

 

厚生労働省がする必要がない勤労統計調査を厚生労働省がやっていること

 

 

民主政治には戦略がありません。

それは、誰が総理大臣なのかという政治家という人の問題なのではなく仕組み上の問題です。

民主政治というのは民主主義という考え方が大前提になっています。国民一人・一人が主権者であるという平等という価値観が土台になっています。だから、戦略がありません。つまり、

 

 

斬り捨てるということができない

 

 

民主主義というのは、一人一人が主権者です。18歳以上の人はみんな等しく1人一票を持っています。だから民主政治はどんな人の問題にも等しく対応しなければならないという宿命を負っています。だから、戦略がないのです。なぜなら、

 

 

戦略とは斬り捨てることだから

 

 

戦略というのは文字通りに「略する」ということです。やることを決めることではなく、やらないことを決めることです。「あれはやりません。これもやりません。これら全部をやりません。これ【だけ】をやります。」というのが戦略です。「あれもやります。これもやります。みんなやります。」というのは戦略がないということです。「なぜ忙しいのか?」簡単です。戦略がないからです。

 

戦略なくして成果を上げることなんかできません。

なぜなら、全ての組織は常に経営資源が不足しているからです。

 

現状があって、目標があります。

今持っている経営資源というのは、今の現状を作るために必要だった資源です。もし目標が現状よりもより高い状態だというのであれば、現状の経営資源というのは目標に対して必ず不足しています。それは、たった一人でやっている個人事業主だろうが、1億2千6百万人の国家だろうが全く同じです。

 

 

目標に対して経営資源は常に不足しています

 

 

「不足している経営資源でありとあらゆる問題の解決を図ることができるでしょうか?」できません。不可能です。国民に何か問題があるたびに政治に問題解決を求めるというのは無理があります。そして、国も国民が抱えている問題に対して、「あれもやります、これもやります、みんなやります」と言うのは無責任です。

 

 

厚生労働省がする必要がない勤労統計調査を厚生労働省がやっていること

 

 

もし1番の本質が何なのかを突き止めようと思ったならば、1番の極論から考える必要があります。過去からの現状を一切無視した上で、

 

 

「本来はどうあるべきなのか?」をゼロから考え直す

 

 

必要があります。

もし政治というのをゼロから考えた場合、

 

 

そもそも厚生労働省自体が必要ない

 

 

ということも自ずと見えてきます。

 

民間ではなく国家でなければ出来ないことというのは、極論、防衛と警察だけです。この2つだけは民間にはできません。なぜなら、防衛や警察の2つだけは経済原理で動いてはいけないものだからです。より多額のお金を払ってくれる人のために防衛するとなると国の防衛はできません。国そのものが簡単に買収されてしまいます。同じように、警察官がお金で買収されてしまったら治安を維持することができません。

 

だから、防衛と警察の2つは民間に任せることはできません。国家がやる必要があります。

しかし、逆の言い方をすれば、防衛と警察以外は絶対に国家がやらなければならないということはありません。民間でもやれます。

 

そして、民間がやった方が無駄が少なくなります。効率よくやれます。なぜなら、国家の仕事は独占業務であるのに対して、民間の仕事は自由競争下でやるからです。より良いサービスを提供できなければ民間企業は市場から淘汰されます。だから、各民間企業は戦略を立案します。そして、業務を効率化し続けていきます。

 

人の基本的人権は、最初は、「自由権」と「平等権」の2つだけでした。その後、資本主義経済の発展を伴って、「社会権」も認められるようになりました。なぜなら、自由権だけに基づいて自由競争でやってみると、競争に負けた社会的弱者が人間として非常に厳しい生活に追いやられてしまったからです。だから、その社会的弱者の人たちも「人間らしく生きる」ことを保証するために「社会権」が認められるようになったわけです。

 

 

>「(人は)、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(日本国憲法:第25条)

 

 

厚生労働省の存在根拠というのは、この国民の「社会権」に基づいています。

社会的弱者の人たちにも「健康で文化的な最低限度の生活」を送ってもらうために厚生労働省は存在しています。しかし、この日本国憲法が制定されたのは、今から73年も前の話です。この憲法が成立した頃と、今の2019年では社会の大前提が全く違っています。

 

 

人口が増加するのが当たり前の時代と人口が減少するのが当たり前の時代では大前提が180度変わっている

 

 

「今の社会的弱者は高齢者でしょうか?」

「高齢者のための社会保障関係費に税金の『3分の1』の30兆円超を使う必要があるのでしょうか?」

 

・高齢者は人口が多いです。

 つまり選挙に強いです。

 

・高齢者は預金を持っています。

 65歳以上であれば一人平均で3,000万円以上持っています。

 

貯金があって、個人として民間の保険にも入っていて、年金も受け取っている高齢者は社会的弱者ではありません。どの企業にとっても「お客様」です。日本という成熟国家の中で高齢者は社会的強者です。日本国憲法が作られた73年前は、高齢者は人口も少なく、お金も持っていなかったので高齢者は社会的弱者だったかもしれませんが、今の高齢者は社会的強者です。今の日本の本当の社会的弱者は、

 

 

若い人たち

 

 

日本人の死因の最大要因はガンだと言われています。たしかに総数としてはそうかもしれません。しかし、年代別に見ると違います。

 

・15才〜19才・・・不慮の事故または自殺

・20才〜24才・・・自殺

・25才〜29才・・・自殺

・30才〜34才・・・自殺

・35才〜39才・・・自殺

 

ガンが死亡要因1位なのは40才から89才までのことであって、20才から39才までの死亡要因1位は何と自殺なのです。ガンは生活習慣病です。自分の健康管理によって発症をかなりの確率で抑制することはできます。しかし、「自殺はどうでしょうか?」「社会の仕組みによるものではないでしょうか?」若い人たちが将来に希望が持てていない。「なぜか?」

 

 

人数の少ない若い人たちが人数が多い高齢者を支えられるはずがない【社会の仕組み】が原因

 

 

年金は、自分がかけていたお金を受け取る仕組みではありません。違います。

今、働いている若い人たちが収めている社会保険料を高齢者が受け取る仕組みです。しかし、全然足りないので、社会保険料に税金まで足された上で、今の高齢者に支払われています。

 

高齢者が少なくて、しかもお金を持っていなかったのであれば必要だった仕組みかもしれませんが、今のように人口も多くて、しかもお金を持っている高齢者を支える必要が本当にあるのでしょうか?高齢者はお金を使う必要性が小さいのにお金を持っているのです。若い人たちはお金を使う必要性が大きいのにお金を持っていないのです。

 

厚生労働省が高齢者を対象に30兆円を使い、

文部科学省が若い世代を対象に5兆円しか使っていないというのは、社会の仕組みが明らかに歪んでいます。

 

 

厚生労働省がやっている仕事で、民間では出来ない仕事はない

 

 

厚生労働省でなければ出来ない仕事というのはありません。全て民間で出来ます。何より今から73年前と今では社会的弱者が逆転しています。厚生労働省が守ろうとしている社会的弱者というのは、今は弱者ではないのです。強者なのです。

 

たとえば、高齢者ではなく労働者。

昔の労働市場は、労働の売り手の方が多くて労働の買い手の方が少ない「需要>供給」でした。だから、資本家の方が強くて労働者が弱かったわけです。結果、資本家によって長時間労働の低賃金で搾取されてしまうということもありました。だから、厚生労働省が労働者を守る必要もあったかもしれません。

 

しかし、今は労働市場の需要と供給は逆転しています。今は、「需要<供給」となっています。どの企業も人手不足で困っています。働く人は、「どの企業で働こうかな?」と自由に選べる状況になっています。昔のように労働組合などを組織しなくても、雇用主側が少しでもミスをしたら「ブラック企業だ!」「パワハラだ!!」と徹底的に社会から叩かれる世の中です。明らかに雇用主側が弱く、雇われ側が強い社会へと逆転しています。

 

厚生労働省が守ろうとしている高齢者や労働者は社会的弱者ではないのです。高齢者も労働者も、自力で「健康で文化的な最低限度の生活を営む」ことが十分に可能な世の中になっています。つまり、極論、厚生労働省は要らないのです。

 

 

戦略を持てない政治は仕組み上、よい経営を行うことが出来ない

 

 

普通、民間の企業は何かを売らなければ売上が上がりません。

しかし、たとえ企業が何かを売るという行動を取ったとしても、実際に売れるか・どうかは企業都合だけでは決まりません。市場が決めます。お客さん都合で決まります。だから、企業にお金がどれだけ入ってくるか・どうかを企業側で完全に制御することは出来ません。その中でもやっているのが企業経営です。

 

一方、

 

政府はどうでしょうか?仮に何も売らなかったとしても、そこに国民がいる限りお金が自動的に入ってきます。税収という形で強制的に徴収することが出来ます。約55兆円ものお金が入ってきます。にもかかわらず、赤字だというのは戦略がゼロだということです。全く経営が行われていないということです。

 

・「あれもやります。」

・「これもやります。」

・「みんなやります。」、、、

 

政治には戦略がありません。これでは、どれだけ税を徴収してもキリがありません。穴が空いているバケツに水を注ぎ続けるようなものです。今の社会的弱者は高齢者ではなく若い人たちなのだから、せめて徴収する税を減らすべき。20代の人たちが自分の命を自分で絶たなければならないような社会ではなく、未来に対して明るい希望を抱けるような社会を作っていくべき。だから、

 

 

厚生労働省はまるまる要らない

 

 

当然、

 

 

毎月勤労統計調査を厚生労働省がやる必要がない

 

 

もし、本当の本当に「毎月勤労統計調査」が価値ある情報だというのであれば、最も非効率な公的機関がやらなくても民間でやる企業が必ず出てきます。その情報に本当に価値があるならば、その価値ある情報は高値で売れますから、その統計調査をもっと迅速に・もっと少ない経費で行う民間企業が必ず出てきます。もし出てこないとしたら、その調査結果そのもにに情報としての価値がないというだけのことです。

 

 

問題の本質は、そもそも厚生労働省がやる必要のないことをやっている、ということです。

 

 

管理というのは、全て、整理から始まります。整理とは捨てるということです。断捨離するということです。

捨てずに仕事を増やし続けて管理するということなど不可能です。どれだけのお金があっても足りません。

もし管理をしようとするならば、まずは捨てること。廃止すること。なくすこと。

 

なくしてみて、3か月間は今までよりも困った状態だったとしても耐えてみる。

そして、3か月間耐えてみて、やっぱりどうしても必要だったというのであれば復活させればいい。

しかし、大抵、

 

 

捨てたことの99%は、なかったとしても実は困らない

 

 

公的機関の仕事を増やすのではなく減らす。なくせるものはどんどんなくす。廃止する。そうすれば、国民一人・一人が払うべき税金も自ずと減ります。あるのが当たり前だと思っていたけれど、なくても別に困らなかった。やらないと困ると思っていたけれど、やらなくても困らなかった。

 

本質は簡単です。なぜなら、本質とは基本だから。

複雑なのは本質ではなく実行。やらなければならないと頭で分かっていることを「実際にできるか・どうか?」

本質そのものは簡単です。不要なものが多過ぎる、だけ。だから、解決策も簡単。やめる、なくす、廃止する、だけ。

 

「あれもやります」

「これもやります」

「みんなやります」、、、を止めて

 

「あれはやりません」

「これもやりません」

「全部やりません」

 

 

「これ【だけ】をやります」と戦略を持つだけ。

 

 

ただ、

戦略を持つだけで

 

問題は抜本的に解決していきます

 

統計不正問題の本質とは?

 

貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。

 

白坂慎太郎

 

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年功序列とは わかりやすく

 

白坂です、

 

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さて、

 

年功序列とは わかりやすく

 

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年功序列とは?

>「勤続年数、年齢などに応じて役職や賃金を上昇させる人事制度・慣習のシステム。

加齢とともに労働者の技術や能力が蓄積され、最終的には企業の成績に反映されるとする考えに基づいている。

 

(ウィキペディアより一部引用)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

世の中には「本音」と「建前」の両方があります。

・本音とは「こうしたい」という心の衝動です。

・建前とは「こうあるべき」という頭の理屈です。

 

表現を変えるならば、

・本音とは物事を前進させる「アクセル」であり、

・建前とは物事を制御する「ブレーキ」です。

 

各個人がそれぞれ本音だけで生きたならば社会は混乱します。秩序が全く保てないので、本音を制御するためのものが法律や道徳ということになります。

 

本音は非常に単純です。分かりやすいです。たとえば、お腹が空いたから美味しいものが食べたいという食欲のようなものが本音です。本音が複雑だということはありません。もし複雑なものがあるとすれば、それは本音ではなく建前です。「それを言ったらお終いだ」という本音を、いろいろな理屈で何とか制御しようとするのが建前だと言えます。

 

では、年功序列というのは「本音」でしょうか?それとも「建前」でしょうか?

すなわち、「年功を重視していれば、本当に企業の業績は良くなっていくというのは『本音』でしょうか?それとも、『建前』でしょうか?」もちろん、

 

建前

 

>「加齢とともに労働者の技術や能力が蓄積され、最終的には企業の成績に反映される」というのは、

 

建前

 

です。「そうあるべき」という頭の理屈であって、実際ではありません。建前は、現実にある一定の歯止めをかけるための論理でしかありません。では、年功序列が建前だったとして、本音は何なのでしょうか?この社会の真理は何なのでしょうか?

 

 

新陳代謝

 

 

古いものは常に新しいものと入れ替わり続ける。これが真理です。新陳代謝こそが、この地球の中のありとあらゆる生物に働き続けている社会の仕組みです。古いものよりも新しいものが良い。だから、古いものは常に新しいものと入れ替わり続ける。それが本音です。

 

身体が一番分かりやすいかもしれません。「スポーツの世界で1番活躍している選手たちは年長者たちでしょうか?それとも年少者たちでしょうか?」スポーツの世界であれば10代後半から30代前半の選手たちが活躍しているというのが現状ではないでしょうか?」

 

そして、それは必ずしも身体の分野だけではありません。知識の分野も同じです。スポーツ界だけではなく、たとえば将棋や囲碁のような知的ゲームの世界も同じです。現実として、最も活躍しているのは、やはり10代後半から30代前半の棋士達です。だから、当然、企業の場合も

 

 

新しい人たちこそが活躍している状態こそが健全

 

 

にもかかわらず、古い人が同じ会社に30年も40年も居座り続けて、しかも、年功序列ということで高い地位を得ながら多額の報酬を得ているとしたら、その組織はまず成長していません。衰退しています。年長者が年少者が持っている可能性を押さえ込んでしまっています。

 

 

「そうは言っても、年長者が持っている経験は有益なのでは?」

 

 

経験は経験です。プラスになる場合もあれば、マイナスになる場合もあります。つまり、経験があるからこそ上手くいく場合もあれば、経験があるからこそ上手くいかない場合もあります。

 

たとえば、将棋の世界で40代後半以降のベテラン棋士たちは過去の経験から基づく大局観を頼りに将棋を指します。今までの自分の過去数十年の経験からして、「この場合は、こういう手が大体いい手なのではないか?」という長年の勘を拠り所に将棋を指します。しかし、いかに大局観を持っているベテラン棋士だったとしても、短い時間でたくさんの手を正確に読める若手棋士には勝てません。

 

なぜなら、過去の経験というは、常に、過去の状況に基づくものだからです。過去Aという状況だったからこそAという手が最善手だったというだけのことです。状況は常に変わり続けています。過去Aという状況があったとしても、そのAという状況は2度とありません。過去Aという状況でAが最善手だったとしても、今はBという状況であれば今度はAは最善手にはならないのです。

 

にもかかわらず、「過去にAという手を指して上手くいったから、今度もAという手が良い」と人は判断しがちになります。そうすると、今度は上手くいきません。なぜなら、状況が変わっているからです。この場合、明らかに経験はプラスではなくマイナスに働いていると言えます。

 

 

年功序列は建前、新陳代謝こそ本音

 

 

建前は頭の理屈です。本音は心の衝動です。

どちらがエネルギーが強いかとえいえば、本音の方が建前よりも24倍強い。

だから、いかに「社会は年功序列であるべきだ」と頭で考えたとしても、いずれ年功序列は上手く行かなくなります。

 

たとえ、いくら頭で「年長者の方が優れているはずだ」と考えようとしたとしても、実際は、年少者の方が優秀だという現実がある以上、年功序列の組織が上手くいかなくなるのは時間の問題です。経営において大事なのは、頭の理屈に捉われるのではなく現実に対応し続けること。すなわち、

 

・年長者だからといって踏ん反り返り続けるのではなく、

・年少者だからといって卑屈になり続けるのではなく、

 

 

「結果に対して、誰が正しいかではなく【何が正しいか?】」を問い続けること

 

 

年長者だから正しいことを言っているとは限りません。年少者だから間違ったことを言っているとも限りません。ある時は年長者が正しいことを言っているかもしれませんが、ある時は年少者の方が正しいことを言っているかもしれません。つまり、年齢は関係ないのです。常に、

 

 

「結果に対して、誰が正しいかではなく【何が正しいか?】」を問い続けること

 

 

結果に対して、年齢は関係ありません。もし年長者とか年少者という年齢が組織における判断の材料になっていたとしたら、その組織は衰退に向かっています。身体の面でも知性の面でも、基本、年少者の方が優秀です。10代後半から30代前半の人の方が良い結果を出します。道徳的な良い・悪いではなく、現実は現実として受け止めることがまずは大事です。

 

もし年長者の経験がマイナスではなくプラスに生きることがあるとしたら、それは、たった1つの分野しかありません。それは、

 

 

人との付き合い方

 

 

人間は若いうちは、何でもかんでも自分の思い通りにしようとします。思い通りになれば機嫌が良くなり、思い通りにならなければすぐに不機嫌になります。そして、物事を何でもかんでも白黒ハッキリつけようとします。

 

しかし、世の中に100%完全・完璧な人間がただの一人も存在していない以上、人に対して完全・完璧を求めるのは無理があります。今、目の前にいる人は決して完全・完璧な人ではありません。欠点があって、できないことがたくさんあって、過去に失敗をしてきたことで心に傷を持っている人です。だから、もし誰かと付き合うとなれば、それらの欠点は見て見ぬ振りをしながら、

 

 

相手の強みに焦点を合わせること

 

 

人が組織を作って協力をしながら仕事をするとしたら、それは弱みを指摘しあうためではありません。それくらいだったら、一人でやった方がよほど良い仕事をします。もし、人が組織を作って協力をするとしたら、各個人の弱みを無視した上で、互いに異なる強みを活かし合うため。その人の弱みを見て見ぬ振りをして、常に相手の強みに焦点を当てようとするという

 

 

人との付き合い方というのは人生経験によって磨かれていきます

 

 

「若い者にはまだまだ負けない」ということを言っている時点で未熟です。勝てないものは勝てません。負けるものは負けるのです。体力や知力においては若い人の方が優秀である方が当たり前。その現実は現実として謙虚に受け止めるということが大事です。ゆえに年長者は、

 

 

「いかに職人から本当の経営者へと進化していくことができるか?」

 

 

職人というのは、自分の知識・技能・経験で勝負し続けようとする人です。職人気質のままだから「若い者にはまだまだ負けない」という変なところにコダワッてしまうのです。世間で評価されるのは、自分のコダワリではなく、あくまで出している結果。であれば、勝てないものは勝てないと素直に認める。負けていることは負けていると素直に受け入れる。そして、勝てるもので勝負する。すなわち、若い人たちと競うのではなく、

 

 

「いかに若い人たちが活躍できる場を創れるか?」という本当の経営業務をやっていく

 

 

かつてはスポーツ選手として大活躍していた人も、やがて、監督となりオーナーへとなっていく。

観客から注目されるグランドの中では若い選手たちにスポットライトが当たる中で、その若い選手たちが活躍するためにチームを率いていく。チームが勝つために、ある時は感情的に、しかしある時は冷静・冷徹に判断し続けていく。

 

年功序列は幻想です。年を重ねれば技術や能力が蓄積され会社の業績が上がっていくとは限りません。もし出している結果に対してではなく、年齢という要素だけで年長者が高い地位や多額の報酬を得ているとしたら、その組織は衰退していきます。

 

成熟した人というのは勝てる人ではなくむしろ負けを認められる人。少なくても、体力や知力においては、若い人たちの方が優秀であるということを素直に認められる人。その現実を現実として認められた上で、「いかに若い人たちに活躍の場を創れるか?」に注力できる人。その本当の経営業務にこそ、過去の人生経験を活かすことができる人。

 

年長者だからといって踏ん反り返るのを止めてから、現実が現実をありのままに見えるようになっていきます。すなわち、「結果を出すために、誰が正しいかではなく【何が正しいか?】」を考えられるようになっていきます。そして、常に「何が正しいか?」を冷静に判断し続ける経営者に率いられた会社こそが

 

持続的に成長していく偉大な企業へと飛躍していきます

 

年功序列とは わかりやすく

 

 

貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
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白坂慎太郎

 

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顧客の創造とは?

 

白坂です、

 

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まず、

 

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さて、

 

顧客の創造とは?

 

>「企業の目的は【顧客の創造】である」(ピーター・F・ドラッカー)

 

世界中にはありとあらゆる企業があります。

日本だけで見ても350万もの事業体があります。

いろいろな企業があればいろいろな「企業の目的」があるように感じます。しかし、全ての企業に共通する目的は、

 

 

顧客の創造

 

 

もし、顧客を創造していない企業があったとすれば、その企業独自の存在価値はありません。その企業はあっても・なくてもどちらでもよい企業だということになります。お客様にとって、「その企業でなければならない理由がない」ということになります。逆に、顧客にとって「その企業でなければならない理由」があるとすれば、その企業は【顧客の創造】をしているということになります。つまり、

 

 

顧客にとって、その企業だから「こそ」提供されている価値がある

 

 

どの企業も同じ価値を提供していたとしたら、待っているのは価格競争。

提供されている価値が全く同じなのであれば、顧客の誰だって安い商品がよいに決まっています。

価格競争になると企業は利益が出せません。将来に向けた持続的成長のための再投資の源泉が確保できません。

 

企業には「衰退」か「成長」の究極の2択しかありません。現状維持というのは絶対にありません。もし、企業が「このままの現状維持でもいいかな」と考えてしまった場合、他社との比較においては確実に衰退しています。企業は常に「成長」を目指し続ける必要があります。そして、その「成長」を実現させるためには利益を必要とします。そして、その利益は価格以外の面で「その企業だから【こそ】の価値」を市場に提供する必要があります。

 

全く同じ商品だからこそ価格で比べられるのであって、もし顧客にとって違う価値なのであれば価格では比べられません。その企業が唯一独特の価値を提供しているのであれば、その価値に見合う価格で商品は売れていきます。

 

 

顧客にとって「その企業だから【こそ】の価値」を提供すること・・・【顧客の創造】

 

 

たとえば、この社会に蕎麦(そば)しか存在していなかった時、、、

蕎麦の代わりに中華麺を入れてみた企業があったわけです。この社会にラーメンが誕生した瞬間です。

ラーメンが生まれたからこそ、ラーメンを食べるお客様も生まれた。これが【顧客の創造】です。

 

では、

「【顧客の創造】とは、どのような過程で行われるものなのでしょうか?」

大きくは3つの過程で行われます。すなわち、

 

(1)顧客の立場から社会を観察する

(2)顧客の理解に徹する

(3)顧客にとって「まだ満たされていない欲求」を解決する商品を出す

 

です。

以下、1つずつ詳しく見ていきたいと思います。

 

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(1)顧客の立場から社会を観察する

 

企業はいつも企業の側から社会を観察しています。

自分たちの経営資源で「何が出来るか?」で考えています。

たとえば、「自分たちは、こういう知識・こういう技術を持っているから、こういう商品が作れるのではないか?」と、自分たち企業側から社会を観察しています。

 

しかし、「企業にとって技術的に自分たちが出来ること」と、「顧客にとって必要なもの」は、必ずしも一致していません。だから、企業側からして非常に高性能の商品を作ったとしても、顧客にとって必要ではないものは売れないわけです。だから、まずは、「(1)顧客の立場から社会を観察する」という過程から【顧客の創造】が始まります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(2)顧客の理解に徹する

 

人は無意識に相手のことを勝手に推測する傾向があります。

たとえば、「あの人は、きっと、こういう風に考えているのだろう・・・」と想像する傾向があります。しかし、その推測はまず当たりません。理由は簡単で、相手は自分とは違うからです。自分の価値観というのは自分だけの価値観であって、相手には相手の価値観があります。

 

だから、顧客を本当に理解しようと思ったら、単に企業の人間が自分たちの頭で想像するだけでは全く持って不十分です。数字で表される結果に謙虚になる必要があります。「仮説」と「検証」の繰り返しの中から、自分たちの考えと顧客の考えのズレを常に修正して小さくし続ける必要があります。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

(3)顧客にとって「まだ満たされていない欲求」を解決する商品を社会に出す

 

顧客を理解するというのは、単に、「顧客に聞く」ということに留まりません。

もちろん、「顧客に聞く」から始めてもいいのですが、単に「顧客に聞く」をするだけでは【顧客の創造】にはなりません。

 

もし見込み客の方に聞いてみて、「Aが欲しい」と教えてもらったらAを提供し、「Bが欲しい」と教えてもらったらBを提供する、、、ということをやり続けていたならば、それは単なる御用聞きです。それは、その企業だから【こそ】出来る価値ではありません。どの企業でも出来ることです。だから、御用聞きだけをやり続けている企業に待っているのは衰退だけです。

 

「顧客に聞く」から始めてもいいのですが、顧客に聞きさえすれば成功できるわけではないということは理解しておく必要があります。理由は3つあります。

 

1.人の欲求は時間とともに変わり続けるから

  → ある時に「これが欲しい」と感じていたとしても、時代とともに顧客の欲求は常に満たされ続けるので、実際に商品を提供する時にはお客さんの欲求そのものが変わっているから

 

2.「無料で欲しいもの」と「お金を払ってでも欲しいもの」が違うから

  → 自分が実際に買い物に行ってみたらすぐに分かります。何も買わないと決めているウィンドウショッピングをしに行っている時と、「今日は必ず買って帰る」と決めている時では、同じ商品を見るときの気持ちが全然違います。もし企業が、見込み客の方に「今、何が欲しいですか?」と質問してみたとして、「う〜ん、Aが欲しいかな」と教えてくれたとしても、それは、必ずしも「お金を払ってでも欲しい」とは限りません。

 

3.人は自分自身でさえ自分の本心が分からないから

  → 人は自分が心で感じていることを何でも正確に脳で言語化できるわけではありません。仮に心が100のことを感じていたとしても、実際に脳が正確に言語化できているのは、せいぜい3%くらい。それは言語が持っている音声情報であるゆえの限界です。残り97%は、人は自分で感じていることを正確に言語化できていません。「きっと、自分はこう思っているのだろう・・・」と言葉で脳を納得させているに過ぎません。

 

なので、見込み客の方に「何が欲しいですか?」と聞いてみたとしても、必ずしも、お客さんが本当に欲しいものを見つけることができるとは限らないわけです。「お客さんに聞く」ということから始めてもいいのですが、

顧客に聞きさえすれば【顧客の創造】をすることはできるわけではないということです。では、どうすればいいのでしょうか?

 

 

まず、「自分自身がお客さんの立場として心の奥底から欲しい商品か・どうか?」

 

 

本当はお客様の「心の声」を聞きたいわけです。しかし、それは事実上不可能に近い。

だから、まずは、自分たち自身の「内なる声」を聞きます。企業側の立場ではなく、顧客の側として「自分自身は心の奥底から欲しい商品か・どうか?」。少なくても、「自分自身は、その商品が高い価格だったとしても、どうしても欲しい商品か・どうか?」から発想します。それが、

 

 

【顧客の創造】のスタート

 

 

まずは、「自分自身が心の奥底から欲しい商品」を作ってみる。つまり試作品を作ってみるわけです。そして、その試作品を市場に出してみます。あとは、ひたすら数字を見ながら、「商品」と「広告」の改善を繰り返し続けます。

 

商品

 「その商品は本当に顧客のまだ解決されていない問題を解決できる商品になっているか・どうか?」

 

広告

 「その商品が持っている魅力を、顧客が一瞬で分かりやすく理解してもらえるものになっているか・どうか?」

 

あとは、「商品」と「広告」の改善・改善・改善、、、です。

決して100点満点にならなかったとしても、限りなく100点満点に近づけていくための絶え間ない改善を続けていきます。結果として、

 

 

顧客にとって「まだ満たされていない欲求」を解決する商品を社会に出すことができる

 

 

よって、【顧客の創造】は、以下の3つの過程を経ながら行われます。

すなわち、

 

(1)顧客の立場から社会を観察する

(2)顧客の理解に徹する

(3)顧客にとって「まだ満たされていない欲求」を解決する商品を社会に出す

 

 

世界にはいろいろな企業があります。

しかし、どのような企業であっても目的は同じです。

【顧客の創造】です。「その企業だから【こそ】の価値を顧客に提供する」ということです。

 

もし、【顧客の創造】をすることができたならば、競合他社との競争が関係なくなります。商品の価格も関係なくなります。社会ににとって大きな存在意義のある企業として、社会貢献をしながら大きな収益を上げることができるようになっています。すなわち、

 

持続的に成長しながら偉大な企業へと飛躍していくことができます

 

顧客の創造とは?

 

貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。

 

白坂慎太郎

 

追伸:

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コペルニクス的転回とは?

 

白坂です、

 

文章のご確認、感謝しています。

ありがとうございます。

 

まず、

 

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さて、

 

 
 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「コペルニクス的転回とは?」

>「物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉。」

 

(ウィキペディアより一部引用)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

今回は、以下の流れで理解していっていただきたいと思います。

すなわち、

 

(1)元祖:コペルニクスの転回

(2)コペルニクス【的】転回

(3)現代におけるコペルニクス【的】転回の応用

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

まず、

「(1)元祖:コペルニクスの転回」です。

 

コペルニクス以前は「地球中心主義」が常識でした。

この宇宙の中心は地球であって、その中心の地球から見て太陽が周っているという考え方が当然だと考えられていました。

 

なぜなら、人間の感覚からすると地球は止まっていて太陽が動いているように感じられるからです。そして、キリスト教の聖書における「天地創造」の記述からも、地球が中心であると解釈する方が自然だったからです。

 

しかし、コペルニックスは、中心は地球ではなく太陽であるという「太陽中心主義」を提唱しました。

今までの常識を180度、ひっくり返したわけです。これが、「元祖:コペルニクスの転回」です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

次に「(2)コペルニクス【的】転回」についてです。

 

これは、哲学者のカントが、自分の哲学について語った言葉を元にしています。

どういうことでしょうか?

 

カント以前の哲学では、「経験主義」と「合理主義」が対立していました。

 

【経験主義】:

過去から現在における経験を積み上げていくことで法則を見出そうとする考え方。

 

例:

・「Aさんは98才で亡くなった」

・「Bさんは87才で亡くなった」

・「Cさんは94才で亡くなった」、、、、

法則:

「人間は100才までに亡くなる」

 

一方、

 

【合理主義】:

理論を重視して、理論から逆算して結論を見出そうとする考え方

 

例:

・「人は、100才までに亡くなる」(大前提)

・「Dさんは、人である」(小前提)

・「よって、Dさんお100才までに亡くなる」(結論)

 

要するに、

「経験主義」と「合理主義」の対立というのは、「過去からの経験が大事だ!」という主張と「理論上の一般法則が大事だ!」」という対立だったと言えます。「経験から結論を出した方が正しいのか?」それとも「理論家ら結論を出した方が正しいのか?」ということを哲学者同士で争っていたということになります。

 

そこに、前述のカントが出てきたわけです。

そして、「『経験が大事だ』とか、『理論が大事だ』ということが問題なのではなく、そもそも

 

 

人間の認識能力そのものが問題なんじゃないですか?」

 

 

と本質をついた疑問を呈したわけです。

これが「コペルニクス【的】転回」です。

 

カント以前は、人間の認識能力は十分だという前提で、「経験が大事なのか?」「理論が大事なのか?」を争っていたわけです。しかし、カントは、「経験をしている人間の認識能力に欠点がある。理論を作っている人間の認識能力に欠点がある。認識能力に欠点がある人間の経験と理論のどちらが大事なのかではなく、『そもそも、人間はどのように社会を認識しているのか?』こそが大事なのではないか?」と提唱しました。

 

カント以前は、「人間には目があるので『あるがまま』が見えていて、耳があるので『あるがまま』が聞こえている」というのが大前提だったので、『人間の「経験」か「理論」のどちらの方が良い結論を導くのか?』」に焦点が当たっていました。

 

しかし、カントは人間はそもそも『あるがまま』が見えていないということに気づいたわけです。人間は、一人一人が「自分が見えたいものを見て、聞きたいものを聞いている」ということを問題にしたわけです。

 

認識が歪んでいる人間がやっているのであれば、「経験」も「理論」もどちらも絶対的に当てにならないのだから、まずは、そもそもの「人間の認識能力を問題にすべきでは?」と言ったわけです。これがカントの「コペルニクス【的】転回」です。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「コペルニクス的転回とは?」

>「物事の見方が180度変わってしまう事を比喩した言葉。」

 

(ウィキペディアより一部引用)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

そして、本題です。

「(3)現代におけるコペルニクス【的】転回の応用」です。「わたしたちは、この『コペルニクス【的】転回』を日々の経営にどのように活かしていけば良いのでしょうか?」結論から言うと、

 

 

「製品中心主義」から「顧客中心主義」への転回が結果を大きく変える

 

 

過去20世紀の常識は、売り手視点だったわけです。

つまり、

 

(1)企業は製品を作る

(2)製品を届ける流通網を整える

(3)顧客に販売する

 

でした。

『製品中心主義』において、「もし製品の売れ行きが良くなかった場合は、どのように考えていたでしょうか?」それは、

 

 

売れていないということは製品が良くないということだから、もっと良い製品を作らなければならない

 

 

「なぜでしょうか?」簡単です。経営の成果を決めるものは、「製品」だと考えていたからです。

・製品が良ければ売れる

・売れていないというのは製品が良くないからだ

というのが常識だったからです。

 

・売れていない。もっと良い製品を作ろう

・売れていない。もっと良い製品を作ろう

・売れていない。もっと良い製品を作ろう、、、

 

結果、過去20世紀に成功した企業であれば・あるほど「製品中心主義」という物の見方から抜けることができずに苦戦し続けることになります。「コペルニクス【的】転回」が必要なわけです。すなわち、

 

 

「そもそも、そんなに高性能の製品を誰が欲しがっているのですか?」

 

 

たしかに、製品は高性能。1つの機械でいろいろなことが出来る。しかし、その機械を使いこなすには100ページ以上もの分厚い説明書を読まなければならない。おまけにその説明書には専門用語がたくさん出て来ているので、ものの10ページも読む気にならない。もし結果を変えたいのであれば物の見方を変えなければなりません。すなわち、

 

【従来】

企業→製品→顧客

「コペルニクス【的】転回」

【これから】

顧客→必要→企業

 

 

もし製品が売れていないとしたら、その理由はただ1つ。

それは、そもそも顧客から必要とされていないから。

たとえどれほど高性能だったとしても、必要とされていない物は売れない。

 

もし200万画素で十分に綺麗な写真が撮れるのであれば、必ずしも300万画素のカメラに買い換えなければならない動機がない。なぜなら、お客様は必ずしもプロのカメラマンになりたいわけではないから。

 

 

思い出を気軽に残したいだけ、だから

 

 

もし、

・売れていない。もっと良い製品を作ろう

・売れていない。もっと良い製品を作ろう

・売れていない。もっと良い製品を作ろう、、、

 

という思考に入ってしまったら地獄です。頑張っているのに売れないから1番苦しい。

問わなければならないのは、「どうやったらもっと良い製品を作れるか?」ではなくて、

 

 

「今、この瞬間、何が求められているのか?」

 

 

・求められていないから売れない

・求められているから売れる

 

ただ、それだけ。

人の欲求にも悩みにもキリがありません。無限です。

つまり、解決しなければならない問題は山ほどあります。

顧客が今、この瞬間に抱えている課題を1つ・1つ解決し続ける度に企業はお金を受け取り続けることが出来ます。

 

問わなければならないのは「どうすれば、もっと良い製品を作れるか?」ではなく、「そもそも、その製品は今、求められているのか?」変えるべきは「物の見方」。企業側から製品を見るのではなく、顧客側から問題を見る。大事なのは、「製品中心主義」から「顧客中心主義」へと「コペルニクス【的】転回」を図ること。転回することができたならば、今までと同じ努力で、

 

 

圧倒的に大きな結果を出せるようになっていきます

 

 

 

貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。

 

白坂慎太郎

 

追伸:

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