縁起【伏見ひふみ】

こんにちは、伏見です。

 

文章をご確認下さいまして感謝しています。

ありがとうございます。

 

今回は、「縁起」というテーマで書きます。

 

 

私事ではありますが、先週末、友人の結婚式にお招きいただき行ってきました。

友人との出会いは中学で、同じ部活に入り、意気投合してすごく仲良くなりした。

中学3年の時は受験勉強の為に同じ予備校に通って、予備校のあとは一緒にラーメンを食べに言ったり公園で話したり、別々の高校へ行くことになりましたが、中学時代にそんな濃い付き合いをしました。

 

彼女はもう長く海外で生活をしていて、なかなか簡単には会えなくなってしまったのですか、地元が一緒という事もあり、帰国すれば連絡をくれ、私達の親同士も仲が良いので、近くにいるような感覚を覚えましたし、遠く離れていても、それぞれが全く違う生活をしていても、中学時代から計算するともう早18年19年が経ちますので、月日の流れの早さを感じたりもしましたが、こうして今もなお、変わらぬお付き合いをさせていただいていることに有り難さを感じました。

 

本当に素敵な結婚式でした。

 

前置きが長くなってしまいましたが

今回のテーマの「縁起」ですが、

「縁起」と言う言葉は多くの方がご存知だと思います。

 

「天地宇宙の全ての事象は縁によって起きている」

と、釈迦が2600年前に悟った真理ですよね。

 

シンプルなようで、すごく深い言葉ですよね。

 

縁っていうのは確率的には奇跡の連続であって、

例え、それが偶然に見えたとしても、全ては必然によって起こっているという事です。

 

例えば

その人との関係を切りたいと思ったとしてもなかなか切れなかったり、逆に、切りたくないと思った相手と、いともたやすく切れてしまったりすることもあるかと思います。

 

縁とは、本当に人の知を超えた事象なんだなぁと感じていますし

まさに、縁起という字の通り、縁によって起こっていると感じています。

 

なので、世の中に偶然はないですし、世の中は必然なんですよね。

 

その出会いを貴重な縁に変えていけるように、

 

目の前の相手を喜ばせることに全力を注げられたのならば、小さな一つの出会いは濃い縁へと変えることが出来ると思っています。

 

お釈迦様は釈迦族の王子として生まれて

老人や病人、死人に会っていく中で

「人は老いるし病気になるし死ぬ。生きるために伴う苦しみを乗り越える術はないか」という風に考えて、そんな時に、ある修行僧に出会って、自分の妻子を残して出家を決意したんですよね。

そして苦行をして瞑想をして35歳の時に悟りを開きますよね。

 

そして、縁起について

物事はすべてお互いに関係しあっている。という上で、

生まれたものもいつかは死ぬ。若者も老いるし病気になる。

そして愛し合う者たちにも、いつかはいろんな形で別れが来る。

これは人間の多くの苦しみを生み出す原因であり、このように物事はお互いに関係しあっている。

という風に「縁起」を悟ります。

 

少し寂しいように感じてしまいますが、反対に

「縁起が良い」という言葉も、まさにこの事だと思っています。

 

私、個人的になのですが、

【目の前の相手の自己重要感を高めること】を対人関係の基本的な考えにしていけたらいいなと改めて感じました。

 

一つの出会いに感謝する。

素直な気持ちでありがとうを伝える。

 

シンプルですが、長い人生の中で最も大切なことだと感じています。

人生における大切なことっていうのは、言葉にするととても簡単なことばかりですが、これを実際に行動に移せているかどうかで大差が出ると感じています。

私も引き続き自己磨きをしていこうと思っています。

 

私も正式に仏様の教えを学んだわけではないので、あまりエラそうなことはいえないのですが、今回は縁起について、自分の解釈にて自分が感じた事、改めて思ったことをお伝えさせて頂きました。

 

 

今回のお話がらなんらかあなたのお役に立てたということであれば嬉しいです。

 

貴重なお時間の中で文章をご覧いただきまして、本当に感謝しています。

ありがとうございました!

それでは、また。

伏見ひふみ