人間だからこそ

白坂です、

 

人間だからこそ

「何かを分かりたい」
「何かを理解したい」、、、という場合、
文字通り、

分けて比べる

ということをします。

今までの哲学は、
「人間とは?」という
人間そのものに対しての理解を
深めるとために、たとえば、

・動物と人間を比べる
・哺乳類と人間を比べる
・猿と人間を比べる、、、

というようなことをしてきました。
また、人間同士を比べて

・日本人とアメリカ人を比べる
・男性と女性を比べる
・年長者と年少者を比べる、、、

というようなことをしてきました。

分けて・比べることで
違いを見つけ出し、
その違いをもって、

・日本人とはこういう存在。
・アメリカ人とはこういう存在

・男性とはこういう存在
・女性とはこういう存在

・年長者とはこういう存在
・年少者とはこういう存在、、、

として、
理解を深めてきました。

ただ、

これからの10年・20年・30年、、、で
動物と人間を比べたり、まして、
人間同士を比べたり、、、ということの
重要性は、ドンドン下がり続けていきます。

理由は、

AI(人工知能)が普及して行くから

人間同士の比較など
人間とAI(人工知能)との違いに比べたら
ハッキリ言って、差は、ほとんどありません。

もし、
人間とAI(人工知能)を比べたら、
人間同士の差は微差。

たとえば、

平均的には、人の脳の情報処理能力は
1秒間で40回程度。

だから、

もし、1秒間で50回とか100回とか
情報処理できる脳を持っている人がいるとしたら、
その人は平均的な人に比べて、ものすごく
頭の回転が速いということになります。

AI(人工知能)が出てくる前だったら、
「頭が良い」とか「天才」、、、などと
認識されていたことでしょう。

しかし、
この文章を書いている現時点で、
AI(人工知能)の情報処理能力は
1秒間で

1【京(けい)】回

です。

普通の人の250兆倍も情報処理能力が
高いことになります。文字通り、圧倒的です。
だから、

たとえ、
今まで人間がやり続けて来たことだったと
しても、これからはAI(人工知能)が
どんどん代わりにやっていきます。

理由は、
人間がやるよりもAI(人工知能)がやった方が
大容量の情報を、超高速で、しかも正確に
処理するから、です。

だから、
これから、「人間とは?」ということに対しての
理解を深めようと思った際に、人間同士の比較には
どんどん意味がなくなって来ます。これからは、

AI(人工知能)との比較

になります。

もし、
AI(人工知能)に出来ることであれば、
そのAI(人工知能)が出来ることの価値は、
どんどん下がっていきます。

なぜなら、
人:一人の雇用にかかる人件費よりも、
AI(人工知能)の導入費用の方が、
圧倒的に割安だから、です。

表現を変えるならば、

誰か優秀な人を一人、雇用するよりも、
AI(人工知能)を1つ導入した方が、
企業の生産性は圧倒的に上がる、、、という
ことでもあります。

だから、
もし、10年後・20年後・30年後、、、の
ことを考えた場合、AI(人工知能)には出来なくて、

人間だからこそ出来ることは何か?

ということを
極めて真剣に問い続けることが重要になっています。

では、
AI(人工知能)には出来なくて、
人間だからこそ出来ることというのは
何なのでしょうか?一言で言えば、

過去の延長線上に【ない】何かを創造すること

です。

たとえば、
将棋というゲームは、人間が考え出したゲームです。

・それぞれの駒は、どのように動くのか?
・どうすればゲームの勝ちで、どうすれば引き分けになるのか?
・取った駒は使えない方が面白いのか?使えた方が面白いのか?

AI(人工知能)が出来るのは、
人間が創った将棋というゲームで勝つこと。

人間はAI(人工知能)に将棋で勝つことは出来なくなりました。
そして、今後、勝てるようになる日も永久に来ません。
ただ、AI(人工知能)には出来なくて、人間に出来ることは、

将棋【以外】の別の何かを創造すること

です。

AI(人工知能)の情報処理は正確です。
プログラミング通りに動きます。

もちろん、
今は、大量のデータの検証の繰り返しから
AI(人工知能)そのものが学習します。
(機械学習)。

そして、
AI(人工知能)そのものが学ぶ機械学習の精度も
日々で進化し続けています。

たとえば、

与えられたデータの中から、どこに注目しながら
学習すれば良いのか、、、というのを、かつては
人間が事前に設定していましたが、
今は、注目点(特徴量)さえも、AI自らが見付けます。
(深層学習)。

だから、
AI(人工知能)の学習精度は日々、進化し続けていきます。
ただ、それでも、AI(人工知能)が処理するのは、

正確な過去のデータ

であるということは変わりません。

・どれだけ大量のデータを
・どれだけ超高速で処理し
・どれだけ学習を繰り返したとしても、
使っているデータは

正確な過去のデータ

だから、
AI(人工知能)が導き出す推論の結果は、
過去の延長線上において最も起こりうる確率が
高い事象。

過去の延長線上を予測するという点では、
AI(人工知能)と人間では比較になりません。
圧倒的にAI(人工知能)の方が精度が高い。

しかし、
人間は、良くも悪くも

【不】正確な過去の記憶

を使って、
物事を思考します。

人間の記憶は、AI(人工知能)が保存している
データとは明らかに違います。人間の記憶は、
良くも・悪くも

歪んでいます

自分の都合の良いように、過去の記憶を書き換えます。
なぜなら、記憶は自分の感情と紐づけながら
整理されているからです。

あまり強い感情を伴っていなかった
過去の出来事は、どんどん忘れて行く。

逆に、
かなり強い感情を伴った過去の出来事に
関しては、真実以上に、過大評価または
過小評価した出来事として記憶している。

人間の記憶が歪んでおり、
良くも悪くも、自分の信念に合うように
都合よく保存されているがゆえに、
人間は時として、

過去の延長線上には【ない】何かを創り出します。

AI(人工知能)では、決して思い付かなかった
であろう、独特で面白い何かを創り出す可能性を
私たち人間は持っています。

だから、
過去のゲームよりも面白い

・音楽
・絵画
・スポーツ

または、

・漫画
・アニメ
・ゲーム、、、

を人間は新たに創り出す可能性を
持っています。

日々、学習し続けるAI(人工知能)も
人工知能自らがプログラミングしながら
ゲームを開発することは可能です。

しかし、
それは、どこまで言っても、
過去の人気作品を参考にして創られた
ゲームに留まる。

競馬場なのに、馬の代わりに
女の子が走るという『ウマ娘』のような
ぶっ飛んだゲームは、AIからは
まず出て来ない。

人間だからこそ

「何をやれば効率良く完了させられるか?」
という定型業務は、10年後・20年後・30年後、、、
ほとんど、人間の代わりにAI(人工知能)が代わりに
やっている可能性が極めて高い。

かつて、

日本の中心産業だった農業が、
約70年後、GDP(国内総生産)の
わずか1%まで激減していることからも、

今、行われている定型的な事務作業が
生み出している付加価値は、ほとんど
なくなっていく。

そうしたときに、
トラクター・田植え機・コンバインという
機械が、人間から農業という仕事を
奪ったと解釈することも出来る。しかし、

人を農業から解放した、、、とも解釈できる

同じように、
AI(人工知能)が、人間から定型業務を
これからドンドン奪って行くと解釈することも
出来る。しかし、

人を定型業務から解放して行く、、、とも解釈できる

これから、
10年・20年・30年、、、
活躍し続ける人財の最大の条件は、

【人間だからこそ】出来ることに
挑戦し続けられるか・どうか?

人は、今、目の前の欲望を、
実際の満足度の24倍、
過大評価する。

そして、
人は、10年後の未来に起きるべくして
起きることを、「24分の1」で、
過小評価する。

10年後にやって来るはずの未来が
たとえ5年ずれたり、10年ずれたとしても、
その未来は確実にやって来る。

現状維持の延長には
衰退という事前に分かりきっていた
現実が訪れる。

10年後・20年後・30年後、、、に
やって来るであろう未来に向けて、

【人間だからこそ】出来ることに挑戦し続ける

そうすれば、
現在、「24分の1」に過小評価していた10年後、、、
思っていた

24倍以上、素晴らしい人生を体験できています

 

人間だからこそ

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

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