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日本人だからこそ

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白坂です、   日本人だからこそ もし、 一人当たりの実質GDP(国内総生産)ではなく、 実質GDP(国内総生産)を国力と仮定した場合、 日本の全世界における相対的な影響力は 低下し続けていくことが予想されています。 理由は単純で、 総人口が減少し続けているからです。 人口が減少し続けるというのは、 「生産者」であり「消費者」でもある 生活者が減り続けていくということなので、 国力にとっては、基本、ネガティブ。 だから、 円がドルに対して円安になるのも ある意味、当然。 国の相対的な経済力が低下し続ければ、 長期的には、円の価値も下がり続け、 今後も円安が進行する可能性が高い。 そして、 円安というのは、 単純に、 ・輸入に不利で ・輸出に有利 だから、 もし、生産者という企業側の立場で見れば、 ・輸入に頼っている業種・業態は不利で、 ・輸出することが出来る業種・業態は有利 だということになります。 なので、今まではもちろん、 今以降も、 その商品・サービスは輸出できるか? という視点で社会を観察することが 重要になってきます。 世界全体を上から俯瞰した場合、 その国に資源が沢山あるものこそ余っているので その国に強みがある、ことになります。 であれば、 ・アメリカが日本より持っているのは  資源・合理性・革新性 ・中国が日本より持っているのは  資源・歴史・人口 だから、 もし、アメリカと日本の二国間に限定して考えた場合、 資源はもちろん強みになりませんし、 合理性や革新性も強みになりません。 特に、 資本主義で最も大きな価値を生み出すのは 革新(イノベーション)ということになりますが、 残念ながら、アメリカに比べて日本が革新性で 強みを持つことは極めて考えにくい。 理由は、 人の構成です。 アメリカには、黒人・白人・黄色人種、 キリスト教と、イスラム教と、仏教徒、、、と 全世界の色々な人たちが移住して来ているので 多種・多様な考え方の中で生活しています。 だから、 基本、意見が違う。 考え方が違う。 多様性のマイナスは、分断と対立に繋がりやすいこと。 だから、アメリカは日本よりも、よほど法律と裁判の 重要性が高い。根本的な思想が違うので、話合っても 分かり合えない。法律で線を引くしかない。 逆に、 多様性のプラスは、違う考え方の融合で、 常識を超える夢を描けること。 商品・サービスに対しても理想を追求し、 革新的な企画が生まれること。 一方、 日本人は、良くも・悪くも、99%以上が 日本民族です。似ています。共通点も多い。 もし一人・一人が違うとしたら、 かなり細かい部分で違う、だけ。 似ている部分が多く、共通点もあるので、 話し合いの余地がある。だから、問題解決の 最終手段として法的手段まで発展しにくい。 法律よりも世間体や空気の方が影響が大きい。 ただ、 多様性が低いので、良くも・悪くも 考え方が現実的。壮大な夢は滅多に描かないし、 それを実現させるための革新的な企画も出にくい。 だから、 既存の商品・サービスに対して 改善・改善・改善、、、こそが 日本の強みになっている。 アメリカと日本、、、という たった2か国で見たとしても、 180度、違う。 であれば、 アメリカに対して日本が輸出できる 商品・サービスというのは、アメリカよりも 日本の方に強みがある商品・サービスだけ。 具体的な例としては、 ・漫画 ・アニメ ・ゲーム、、、などは、 日本が輸出していて、 なおかつ、今後も伸びることが期待されている 商品・サービスの代表例。 日本人は、 細かい差を追求し続けて来たからこそ、 登場人物の設定や心理描写などへの コダワリが凄まじい。 たとえば、 任天堂は、今や ・売上:  1.7兆円 ・時価総額:8兆円の 企業にまで成長したが、 売上の8割は海外。 つまり、マリオやポケモンなどは 全世界に通用するコンテンツ だということ。 「漫画」「アニメ」「ゲーム」などは、 日本が世界一であり、また、今後も 成長が期待されている業種の1つ。 最も大事なことは、 「日本人だからこそ活かせる強みは何か?」という【観点】 縮小し続ける市場というのは、 下りのエスカレーターのようなもの。 今までよりも早く走ることで、今まで居た場所に 止まろうとすることは出来たとしても、持続的な成長は難しい。 だから、望むと・望まざると、 これからの日本は、 世界への輸出に活路を見出していかざるを得ない。 「商品」「サービス」、、、 そして、その「商品」「サービス」を生み出す 【人】 もし、 「【人】を育てる」というのであれば、 輸出できる【人】を育てる」という 視点でこそ、今後の教育は成立する。 当然、 世界共通語である、 ・数字 ・英語 ・プログラミング言語、、、 などは、 大きな強みになる。 たとえば、 任天堂の大ヒットソフトの1つに 『あつ森』(あつまれ どうぶつの森)がある。 ・日本での販売本数:1,000万本 ・海外での販売本数:1,300万本 1本の素晴らしいゲームソフトは、 日本語版だけでなく、他国の言語に 翻訳された海外版も売れている。 「商品」「サービス」 そして、 【人】 日本人だからこそ得意な分野で勝負して、 海外へ輸出する ・物事を観察する時 ・理解を深める時 そして、何より ・複数の選択肢から決定をする時、、、 これまでも、 そして、 これからは 「海外に輸出できるか?」 本質的には 「日本人だからこそ出来ることか?」 というのが、 極めて重要な視点だと認識しています。   日本人だからこそ 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

内製化のメリット

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白坂です、   内製化のメリット 内製: 自社でやる 外注: 他社に頼む もし、理論だけで言うならば、 「内製」は「得意なことだけ」で最小化して、 「外注」は「不得意なことを中心」に最大化する、、、 という結論になりそうです。 なぜなら、 【分業→ 「特化」→ 取引】 が、理論上、 最も利益が最大化するからです。 しかし、 理論は理論。実際は実際。 理論と実際の間には、 現実的に差があります。 実際に、 業績を複利で伸ばし続けている企業は、 圧倒的に 内製化の比率が高い つまり、 ・最初は自社が得意なことだけに「特化」する ↓ ・「特化している」と生産性が上がる  (より短時間で・より付加価値の高い   活動が出来るようになる) ↓ ・【余裕】が生まれる ↓ ・【余裕】を活かして、 内製の範囲を拡大していく。 たとえば、 ・最初は「小売」だけ ↓ ・そのうち、「製造」も。 ↓ ・さらに、「製造」と「小売」を繋ぐ「物流」も、、、 外注が便利、、、というのは、 あくまでも「短期的」「一時的」です。 たしかに、 外注は、お金さえ出せば、品質の高い 商品・サービスを、自社でやるよりも 割安で入手できるので圧倒的に効率が良い。 しかし、 外注には、 【蓄積がないので複利が効かない】 毎回・毎回、 その都度・その都度、 取引しなければならない。 一方、 内製し始めた場合、 まず品質が低い。おまけに 時間と手間がかかるので、割高にもなる。 短期的な面で言えば、効率は最悪です。 しかし、 内製は、 「知識」「技能」「経験」、、、で 【蓄積があるので複利が効きます】 日々の改善・改善・改善、、、で どんどん品質を上げていくことが出来ます。 そして、かかる「お金」「時間」、、、などを どんどん小さくしていくことが出来ます。 だから、 たとえ、 1年・2年、、、で見たら、 外注が効率的だったとしても、 10年・20年、、、で見たら 内製が圧倒的に効果的 後は、 外注から内製に切り替えていく 優先順位の課題だけ。 たとえば、 自社にとって、1回限りのような 単発の業務は、外注で良い。 たとえば、 大企業でない限り、会社設立などの 法的手続きを自社で何度も・何度もやる、、、 ということはありません。 極論、 たった1回、1社だけを設立するのであれば、 会社設立手続きを内製化するメリットは ほぼゼロです。外注した方が良い。 一方、 会社を経営する以上、その後、何度も・何度も 繰り返しで発生する業務に関しては、 どんどん内製化していった方が良い。 なぜなら、 繰り返しで発生する業務を 10年間、ずっと外注し続けていた場合、 結局、内製した場合よりも割高になるから。 そして、 それ以上に大きいのは、 外注先にとっては自社は、数多くの顧客の1社に 過ぎないので、外注先を完全に制御することは 出来いのに対して、 内製の場合、 【自社なのでPDCAを計画通りに回せる】 結局、 会社の実力というのは、 会社としてどれだけの生産能力があるか? ・服の会社であれば、  服に関する必要な業務は、  究極的には、自社で全て出来るようになる ・食の会社であれば、  食に関する必要な業務は、  究極的には、自社で全て出来るようになる ・住の会社であれば、  住に関する必要な業務は、  究極的には、自社で全て出来るようになる、、、 内製化のメリットは、 自社でPDCAを回せるので、 会社内に「知識」「技能」「経験」、、、が 蓄積されていことで、時間とともに 【複利で成長し続けていくことが出来る】 ことです。   内製化のメリット 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

取引の利益とは?

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白坂です、   取引の利益とは? もし、今から約160年前の 江戸時代の人が、現在:2022年の 日本にタイムスリップして来たとしたら、 きっと腰を抜かすと思われます。 なぜなら、 ・みんなが当たり前に  色とりどりの服を着ていて、 ・みんなが当たり前に  色々な和食・洋食・中華を食べていて ・みんなが当たり前に  鉄筋など立派な家・アパート・マンション、、、に住んでいて ・テレビ・冷蔵庫・洗濯機・電子レンジ・  クーラー・自動車・パソコン・スマホ、、、を  当たり前に使っていて、、、 「なぜ、これほどまでに豊かな生活を  することが出来るようになったのか?」 と驚くはずです。 もし、その理由の本質を一言で表すならば、 日本は戦後の資本主義の中で 取引の利益を得ることが出来たから だと言えます。 どういうことか? ・江戸時代の人たち :  自給自足が基本 ・戦後の現代の人たち:  取引の利益を得続けている 取引の利益で 最もイメージしやすいのは、 『わらしべ長者』の物語。 最初に、たまたま偶然に手につかんだのが 「わら」だったにも関わらず、 どんどんと価値の高いものに交換していくうちに 長者になることが出来た、、、という原理。 実際、 日本など先進国の人たちは、みんな 知らず知らずのうち、リアルで わらしべ長者になることが出来ていたわけです。 自給自足というのは、 要するに、衣食住その他を 全て自分自身、もしくは自分たち 家族だけで全てやってしまうという生き方。 だから、 確かに、衣食住を全て何とか賄うことは 出来たけれど、価値の高いものと次々に 交換していく、、、ということを あまりしていなかった。 つまり、 取引することによって得られる 取引の利益を、ほとんど得られていなかった。 ところが、 戦後、日本にも資本主義的な考え方が 浸透していくにつれて、自給自足から ・分業 ↓ ・特化 ↓ ・取引 が進みました。 たとえば、 現代でも、非常に優秀な人であれば、 「医者」と「飛行機の操縦士」の両方の 資格を得ることは物理的には可能でしょう。 しかし、 仮に能力的に、 そして物理的にも可能だったとしても、 ・医者だけに専念して、その後、数十年間  医者として生きている人 ・飛行機の操縦士だけに専念して、その後  数十年間、操縦士として生きている人 の両者より 確実に経験で劣ります。 両方ともが出来るようになることは可能でも、 その道一筋の専門家には敵わない。 つまり、より小さな価値しか創れない。 だから、 両方を目指すのは経済的に賢くないわけです。 もし、最大の価値を提供しようと思えば、 【特化した方が、より効率良く、より大きな価値が提供できる】 だから、 たとえば、社会の中で分業が進み、 各個人は特化した。 ・超一流の医者は、服を創れない ・超一流の医者は、食べ物を育てられない ・超一流の医者は、住む場所を建てられない しかし、 ・超一流の医者であれば、 人の病気を治すことで大きな価値を提供できる その 提供した価値の大きさに見合うだけの お金を受け取る。そして、受け取った お金を使って、 色々な物と交換していく 自分自身で作るよりも はるかに安い経費で、 しかも良質の服・食べ物・家を 手に入れ続けることが出来るようになった。 仕事を通じて、 より大きな価値を提供しながら、 お金という道具を使った取引で 別の価値あるものを得続けていく。 それを、 戦後70年以上、日本人のそれぞれ各自が やり続けた結果、つまり、 取引の利益の結果で豊かになり続けている もし、 お金という道具を使った取引が出来なければ 必要な衣食住・その他が手に入れられません。 もし、 お金という道具を使った取引が出来なければ、 全て自分でやることになり、全てが割高で しかも低質のものしか手に入れられません。 だから、 資本主義の基本は、 ・分業 ↓ ・特化 ↓ ・取引 取引がない社会は10年・20年・30年前と 現代で、それほど生活に大きな差が生まれない。 逆に、 取引を盛んにするようになったからこそ、 安くて良質なものを、どんどん手に入れられる ようになった。 つまり、 現代社会は 取引の利益によって豊かになった だから、 ・まずは取引をすること ↓ ・次に取引の機会を増やせるように  特化した仕事で、より大きな価値を創り、  より大きなお金を受け取っていく ↓ ・最後に、取引そのものを上手になっていくこと。  相対取引よりも、「買い手」と「売り手」の  両方が多数参加している市場を、上手に  利用していくこと。 そうすれば、 今まで通り、そして、今まで以上に、 取引の利益の享受を受けられるように なっていきます。 自分自身で全てやろうとするよりも 何倍・何十倍、、、と少ない経費で、 より価値の高いものを、市場を通じて手に入れられます。 すなわち、今後も 複利で豊かさを拡大させることが出来ています   取引の利益とは? 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

「埋没費用」と「機会費用」

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白坂です、   「埋没費用」と「機会費用」 「埋没費用」というのは、 特に説明は要らないと思います。 普通、日常生活で「費用」と 言っているのは、正確には 「埋没費用」のことです。 たとえば、 映画を観るために映画館に 2,000円を支払ったとしたら、 映画を観るための費用は2,000円です。 つまり、 正確な表現を使うならば、 埋没費用が2,000円です。 なので、 「埋没費用」に関しては、 特段、説明は要らないと思います。 腑に落としたいのは、 もう1つの費用である 「機会費用」の方です。 機会費用というのは、 【捨てる「機会」】 のことです。 たとえば、 もし、仕事をすれば時給:1,000円を もらえる人が、映画を1時間、観る場合、 仕事をすればもらえた1,000円の機会を 捨てていますので、 1時間につき1,000円の機会費用を 支払いながら映画を観ている ということになります。 では、 より具体的に考えていきましょう。 ・映画代:2,000円 ・映画 :2時間 ・最初の1時間を観た段階で映画は期待ハズレだった。  面白くないと感じている (1) まず映画を観るために 最初に2,000円を支払った瞬間は、 ・埋没費用:2,000円 ・機会費用:    0円 ・合計費用:2,000円 を支払っています。 (2) 1時間、映画を観ました。 すると、 ・埋没費用:2,000円 ・機会費用:1,000円 ・合計費用:3,000円 さて、 映画の残り1時間、 どのように判断するのが合理的でしょうか? A:映画代:2,000円がモッタイないから   残り1時間も我慢して映画を観続ける B:これ以上、映画を観ることに   追加の機会費用を支払わないように   映画館を出る。 もし、 Aを選択した場合は、 ・埋没費用:2,000円 ・機会費用:2,000円 ・合計費用:4,000円 です。 一方、 Bを選択した場合、 ・埋没費用:2,000円 ・機会費用:1,000円 ・合計費用:3,000円のまま。 もし、 その日のうちに、時給1,000円の 仕事を3時間、やったならば、 映画に支払った「埋没費用」+「機会費用」 【合計】3,000円の費用を回収することも出来ます 要するに、 通常、「費用」「費用」、、、と言っているのは 正確には「埋没費用」のことであり、 「埋没費用」は「将来のために今、何をすべきか?」に 何の関係も【ない】。 「将来のために、今、何をすべきか?」を 判断するのに大事なのは、同じ費用でも、 【機会費用】の方である ということです。 この話は、 映画のような身近な話だけではなく、 人生全般でも言えます。 たとえば、 18歳の人が大学に入学して、 入学金と、1年前期の授業料を 大学に納めたとします。 しかし、 いざ大学に入学して半年過ごしてみたら、 事前に期待していた大学とは全然、 違ったとします。 では、 その大学生は、どのように判断するのが 合理的でしょうか? A: 支払った入学金と前期の学費がモッタイないから 残り3年半も、我慢して大学に残り続ける べきでしょうか? それとも、 B: 大学を中退するべきでしょうか? もちろん、 「B:大学を中退」が合理的です。 なぜなら、 もし大学を中退すれば、 まず、その後、3年半の授業料を 払う必要がなくなります。さらに、 ・アルバイトをして稼ぐ ・どこかの会社へ就職をする ・起業してビジネスを始める、、、 など、いずれかを選択することで、 この後の3年半で、 大学に支払った「入学金」と「前期授業料」 以上のお金を回収できる可能性もあるから、です。 このように、 機会費用というのは、 【捨てる「機会」】 なので、 大事なことは、 まず、 自分の時給を正確に知っていること。 ・日給で働いている場合は、8で割る ・月給で働いている場合は、170で割る ・年棒で働いている場合は、2,000で割る 次に、 たとえ、目に見えるお金を 払っていなかったとしても、 それは「埋没費用」を支払っていないだけの 話であって、 機会費用は、常に支払い続けながら生きている ということ。 もし、 自分の時間を1時間、無駄にしたということは、 たとえ、目に見えるお金を全く支払っていなかった としても、1時間分の機会費用は支払った、ということ。 もし、 相手の時間を1時間、無駄にしたということは たとえ、目に見えるお金を全く奪っていなかった としても、相手に1時間の機会費用を支払わせてしまった、 ということ。 日常的に「費用」「費用」、、、と言っているのは、 正確には「埋没費用」のこと。感情的には、たとえ モッタイないと感じたとしても、未来に対しての 意思決定には何の影響も与えない。 逆に、 日頃、意識することが少ない、 目に見えない「機会費用」すなわち、 【捨てる「機会」】 こそが、 未来に対しての意思決定に影響を与える。 もし、 今から1時間、何かをするとして、、、 たとえ、目に見えるお金を支払わずに 無料でするとしても、 機会費用を支払ってでも、やった方が良いことか・どうか? たとえ、 埋没費用はゼロでも、機会費用が高く付くならば、 やるべきではない。 逆に、 たとえ、埋没費用が大きな金額だったとしても、 それ以上に大きな機会を失わないで 済むのであれば、 やはり、やるべき 合理的な意思決定というのは、 常に、基準の費用が「機会費用」。 すなわち、 「捨てようとしている機会は幾らか?」 決断の基準を、 常に、 機会費用を最小化する するようにする。 そうすれば、 ・より少ない費用で ・より大きな機会を 活かしていくことになるので、 時間とともに複利で 経済的に豊かになっていくことが出来ています   「埋没費用」と「機会費用」 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

生産性とは何か?

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白坂です、   生産性とは何か? 今回は 生産性を、一人・一人個人の生産性ではなく、 会社全体での生産性で考えていきます。 そうすると、 常識的な感覚とは180度:逆の 結論に行き着きます。すなわち、 一人・一人個人の生産性を 追求すればするほど 会社全体の生産性は低下する。 にわかに腑に落ちない結論です。 なので、1つずつ考えを深めて いきたいと思います。 まず、 一人・一人個別の生産性というのは どういうことでしょうか? 簡単に言えば、 一人一人が同じ時間で今までよりも たくさんの仕事をする、ということに なります。 たとえば、 Aさんは、今までは8時間で8つの 仕事しか完了していなかったのに ・本人の知識・技能など能力が向上したか? ・仕事に使う物が良くなったか? それとも、 ・方法(システム)が改善されたか? など、 「人」「物」「方法」のいずれか、 または、いずれもの要因で 8時間で10の仕事を完了させられた としたら、 個人としての生産性は向上した と判断できます。 だから、一人一人の個人の生産性は 比較的に簡単です。しかも、常識的な 感覚とも合います。ところが、 一人一人、個人の生産性を追求してしまうと 全体の生産性は低下してしまう という 生産性の結論を、すぐに腑に落とすのは 簡単ではありません。 では、 まず「なぜ、一人一人、個人の生産性を 追求してしまうと全体の生産性は 低下してしまうのでしょうか?」 最大の理由は、 やっている仕事が違うから です。 組織というのは、 「分業」という形を取っています。 理想的には ・Aさんが得意なAという仕事をして、 ・Bさんが得意なBという別の仕事をして、 ・Cさんが得意なCという、また別の仕事をして、、、 という状態。 そして、仮に仕事の繋がりとして、 A→ B→ C→・・・ となっているとします。 すなわち、 AさんのAという仕事を受けて、 BさんのBという仕事をする、、、ということです。 もし、 一人・一人・個別に生産性を高めてしまうと 全体では、どうなるでしょうか? 生産性が落ちてしまう なぜでしょうか? それは、A・B・C、、、という分業が 違う仕事であれば・あるほど、 仕事を完了させるまでの時間に バラツキがあるから です。 仮に、 A→ B→ C、、、という繋がりのある仕事で、 Bという仕事が、最も難易度が高く、 知識・技能・経験が必要とされ、 かつ、完了させるまでに時間がかかる 仕事だとします。 にも関わらず、 AさんがAという仕事の生産性を高め、 一生懸命に仕事をしてしまうと どうなるでしょうか? Bさんの所に、次から次に 未完了の仕事が溜まり続けていってしまう ・AさんはAという仕事の生産性を高めた ↓ ・Bさんのところに未完了の仕事が溜まり続けて  Bさんの処理能力が落ちる。(数が増えて  複雑になれば・なるほど管理にコストがかかるから) ↓ ・Cさんのところには完了した仕事が流れて来ず  手待ちの状態になる。 結果、 Aさんという一人の個人の生産性を追求した結果、 逆に、全体としては生産性が低下してしまった という矛盾が起きるわけです。 だから、 もし、繋がりのある全体で仕事をする場合、 一人・一人、個別の生産性を追求しては 【いけない】ということになります。 すなわち、 先ほどの例で言えば、 最も時間がかかる仕事をやっている Bさんの前のAさんは、 一生懸命にやっては【いけない】 ということ、です。 全体の生産性を決めるのは、 最も時間のかかるボトルネック(制約条件)。 だから、 休みなしで仕事をしなければならないのは、 ボトルネック(制約条件)であるBという 工程だけであり、ボトルネック(制約条件)以外は、 ヒマが正解 です。 一人・一人個別の生産性追求という 部分最適ばかりやって来た日本人が すぐには腑に落とせないのが全体最適。 私たち日本人は、 家庭教育であれ、学校教育であれ、 または、社員教育であれ、 ヒマで良い という考え方を、ただの1度も 教えてもらったことがありません。 もし 家庭に4人が居たら、4人が4人とも 何らか忙しそうにしているのが正解で ヒマそうにしている人は何か悪い状態だという 感覚がある。 もし 学校に35人の生徒が居たら、35人が35人とも 何らか忙しそうにしているのが正解で ヒマそうにしている人は何か悪い状態だという 感覚がある。 もし 会社に100人の社員が居たら、100人が100人とも 何らか忙しそうにしているのが正解で ヒマそうにしている人は何か悪い状態だという 感覚がある。 だから、 日本の99%は中小企業なわけです。 一人一人の個別の生産性を追求することは 得意なので、一人一人が職人的な働き方は 出来るけれど、 全体最適の考え方で 組織を運営することが出来る人は少ないから もし部分最適ではなく 全体最適を実現しようとしたら、 忙しいのはボトルネック(制約条件)の工程だけ、が正解。 結果、他の工程全ては ヒマなのが正解 です。 だから、 全体の生産性を高めようとした時も、 一人一人全員に、そして、全工程を底上げするような 投資をしても意味がない。 ・組織で何人の人が働いていても関係がない。 ・組織に工程数が幾つあるのかも関係がない。 ・組織全体の生産性を決めるのは、ただ1つ。 ボトルネック(制約条件)の工程だけ だから、 もし、組織全体の生産性を本当に 上げようと思ったら、 ボトルネック(制約条件)に対して 一点集中で「人」「物」「方法」を 投資する必要がある 他の工程のヒマは、とりあえず ヒマのままで良い ↓ まずは何はともあれボトルネック (制約条件)を徹底的に活用し、 そして、投資によって能力を上げる ↓ そうして初めて 全体の生産性が上がる ボトルネック(制約条件)は、 大抵、最も難易度が高く、 かつ、最も付加価値の大きい業務です。 そして、 組織の生産性は、その最も付加価値の大きい ボトルネック(制約条件)が、どれだけ 稼働するかで全て決まります。 逆の言い方をすれば、 ボトルネック(制約条件)以外の工程は、 ボトルネック(制約条件)にかかる負荷を いかに小さくするか、、、という支援工程。 ボトルネック(制約条件)への負荷を 出来るだけ小さくするのが目的なのに、 下手に頑張ってしまい、逆に、ボトルネック(制約条件)への 負荷をさらに高めたとしたら、まさに本末転倒。 ・分業をしている以上  仕事の内容に違いがある ↓ ・仕事の内容が違う以上、  完了させるのに必要な  能力や時間にも違いが出る ↓ ・だから、必要な投資量も、  また、出す付加価値の大きさも違う その 「違い」を不平等や不公平だと感じる 日本人の常識的な感覚が、日本の99%が 中小企業であり続けている最大の理由。 大企業を経営するためには、 「内容が違う」ならば、 「必要な能力も違い」 「出す成果も違い」、 得られる報酬も違うのが当たり前 ということを腑に落とす必要がある。 部分最適の合計が全体最適に なるわけではない。 部分・部分の生産性を高め続けたからと言って、 全体の生産性が高まるわけでもない。 もし、 本当に全体の生産性を高めようとしたら、 「違い」を認めることから始まる。 どの工程こそがボトルネック(制約条件)に なっていて、だからこそ、どこに集中投資を することが、全体の生産性を上げることに繋がるのか? 教育の場が、 「家庭」だろうが「学校」だろうが 「会社」だろうが、、、 ・新卒一括採用 ↓ ・年功序列 ↓ ・終身雇用、、、、 「みんな同じ」「みんな平等」、、、 という横並び意識から脱却した 新しい教育が求められている。 すなわち、 特化 みんなが同じことをするのは 社会全体で見て非効率。 それぞれが・ぞれぞれで 得意なことをやる。 そして、 それぞれが得意なことをすれば、 その難易度に違いがあり、 結果、提供する付加価値にも違いが 出ることを、社会全体が許容する。 最も難易度が高く、 最も付加価値が高いことの工程が 最も大きな富を受け取る。それが経済。 経済は平等を実現しない。 公平も実現しない。 だからこそ、 最も大きな富を受け取った企業が、 最も多額の税金を支払う。そして、 経済が創り出した富を政治が再分配する。 経済と政治は、 役割が違う。 経済の役割は、 生産性を向上させ続けること。 その生産性とは 一人一人、個別の生産性ではなく、 全体の生産性を向上させ続けること。 すなわち、 ・ボトルネック(制約条件)を発見し、 ・ボトルネック(制約条約)を最大限に活用し ・ボトルネック(制約条件)の能力を向上させ続ける そのために、 もし投資をするというのであれば、 ボトルネックに対してこそ、集中投資をする 生産量はボトルネック(制約条件)で 全て決まります。だからこそ、 集中投資によって、ボトルネック(制約条件)の 能力が向上し続けることが、 社会全体の生産性を向上させ続けます   生産性とは何か? 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

効率的市場仮説 わかりやすく

経営

白坂です、   効率的市場仮説 わかりやすく 結論から言うと、 効率的市場仮説というのは、 株式投資において、 市場平均以上の利益を 上げることは出来ない、という仮説です。 まず、 効率的というのは、 資源が上手く用いられていて、 あらゆる機会が活用され尽くしている 状態のことを言います。 株式投資における資源というのは、 情報です。 つまり、 株式投資において有益な情報は 上手く用いられているので、 市場平均以上の利益をもたらすような 機会は活用され尽くされている というのが 効率的市場仮説という考え方であり、 だから、 株式投資において、 市場平均以上の利益を 上げることは出来ない という結論になります。 では、 市場平均というのどれくらいでしょうか? 現時点では、約3.6%です。 つまり、 年:3.6%ずつの複利で資産を 増やし続けることは可能でも、 それ以上の利率で資産を増やすことは出来ない というのが『効率的市場仮説』ということになります。 年:3.6%の根拠は簡単で、 世界経済の成長率です。 つまり、 世界が年:3.6%経済成長するのであれば、 世界経済全体に分散投資すれば、 当然、年:3.6%は企業価値が上がる。 つまり、株式価値が上がる。 だから、 何も考えずに、世界経済に分散投資をしたのと 同じ意味を持つ投資信託を買えば、 後は何もせずとも年:3.6%ずつは資産が増えていく。 銀行預金よりは100倍以上、賢い。 だから、 市場平均で資産を増やしていくのは簡単。 ただ、 もし『効率的市場仮説』が 完全に正しいと仮定するならば、 株式投資で市場平均の収益を上げるのは簡単でも、 平均以上は不可能 ということになります。 では、 『効率的市場仮説』は、正しいのでしょうか? それとも正しくないのでしょうか? 分かりやすさとは極論なので、 まずは、極論、 「100%、完全完璧に正しいのか?」から 考えてみたいと思います。もちろん、 100%ではない。 理由は簡単です。 市場の中には平均以上で収益を 上げている人たちが沢山いるからです。 市場は『効率的市場仮説』ほど 効率的ではない。 つまり合理的ではない。 不合理な株価が実在している ということです。 最も分かりやすいのは「バブル」。 ・価値よりも遥かに・遥かに高い価格が付く  → バブル発生 ・価値よりも遥かに・遥かに低い価格まで急落する  → バブル崩壊 『効率的市場仮説』は、 市場は合理的であり、 「価値=価格」が正確だということなので、 もし『効率的市場仮説』が完璧ならバブルは発生しません。 バブルの発生、そして、バブル崩壊そのものが 市場は理論が定義するほど合理的ではなく、 不合理であるという証拠。つまり、 人間は感情の生き物である ということ、です。 欲望と恐怖という感情が 不合理に株価を大きく 上げたり・下げたりする。 だから、 『効率的市場仮説』は、 100%、完全・完璧に正しい理論ではない。 ゆえに、 株式投資で市場平均以上に 利益を上げることは可能で、 また実際に上げている人たちは沢山いる。 では、 全く逆で、『効率的市場仮説』は、 100%、完全完璧に間違っている デタラメな考え方なのでしょうか? もちろん、 こちらの考えも、NOです。 もし デタラメであれば、5年以上の 長期で見た場合、「企業価値=時価総額」で 均衡しているということは確認できない。 5年以上、10年以上、15年以上、、、でも 市場は全く当てにならず、株価の変動は いつ・いかなる時も不合理なランダムだったら どんな人にとっても株式投資は50:50のギャンブルのまま。 実際はそうではなく、 市場が合理的だからこそ、 価値あるものが時間をかけてでも、 ちゃんと価格でも正確に評価される。 だから、 企業経営者は、安心して企業価値向上に 専念すれば良いのであって、投資家も 安心して短期の株価変動を気にすることなく、 長期保有できる。 だから、 『効率的市場仮説』は、 100%、正しい完璧な理論でもなければ、 逆に、完全に間違っているデタラメな理論でもない。 では、 『効率的市場仮説』は どの程度は正しくて、 どの程度は正しくないのか? あくまで 5年以上の長期投資ということを前提にするならば、 『効率的市場仮説』は、 99.9%、正しい 100%ではないにしても、 99.9%は正しい。 つまり、 99.9%の投資家は、 市場平均以上の成績を出すことは出来ない 理由は簡単で 株式投資というのは、素人の世界ではないから。 プロの世界であり、超一流の世界だから。 ・ウォーレンバフェットが  その公開情報を本当に見落としていると思うか? ・ウォール街の投資銀行が  その公開情報を本当に見落としていると思うか? ・GPIF(年金法人)が  その公開情報を本当に見落としていると思うか? 何より、 ・AI(人工知能)が、その公開情報を  本当に見通していると思うか? 99,9%、見落としているはずがない。 当然、把握している。理解している。 理解した上で、妥当な企業価値を算出している。 そして、その結果が、株価に織り込まれている。 だから、 『効率的市場仮説』は、基本的に正しい。 99.9%、正しい。つまり、 市場は99.9%の場合、正しい この現実を知らないから、 株式投資を甘く見る。 そして、基準が低くなる。 素人が ・平均的な熱心さで情報収集をし、 ・平均的な努力で企業分析をし、 ・平均的な多数決の原理で意思決定をした上で、 なぜか自分だけは平均以上の結果を出せるという 幻想の中で生きている あり得ないです。 全ての基準が平均的だったら、 得られる結果も平均以上には絶対になりません。 日本の株式市場に限定しても、 時価総額という資産価値が700兆円。 たった1日で平均3兆円もの お金が流通している市場。 素人の世界のはずがない。 プロの世界であり、超一流の世界。 ・情報の見落しは、基本、ない。 ・自分が一生懸命に発見したと錯覚している  事実は、株式市場では常識。 ・自分が懸命に分析した結果が合理的であれば・あるほど  株価には当然に織り込まれている 株式投資を甘く見ているから、 情報源も甘くなる。 素人同士で情報交換をした結果、 市場に逆らって「逆張り」をしてみたり、 証券口座を開設したばかりなのに、 「信用取引」をやってみたり、する。 決算書を読めない素人が 「逆張り」をしたり 「信用取引」をしたりするのは、 運転免許証を持っていないドライバーが F1でドリフト走行に挑戦するようなもの 勇気ではない。 無謀です。 『効率的市場仮説』は、基本、正しい。 5年以上の長期投資であれば、99.9%、正しい。 だから、 99.9%の投資家は、 市場平均以上の収益を上げられない 大前提です。 であれば、 選択肢は2つしかない。 A: 市場平均で素直に満足するか? それとも、 B: 至難の道だと承知で、 それでも市場平均以上の10倍・100倍、、、に 挑戦するか? 実は、 素直に市場平均で満足する、、、は、 相当に合理的な選択。なぜなら、 少ない努力で年3.6%の複利が期待できるから。 仮に1,000万円を運用した場合、 ・銀行預金だと、ほぼ1000万円のまま。 年3.6%複利であれば、 ・ 5年運用:1,193万円(+ 193万円) ・10年運用:1,424万円(+ 424万円) ・15年運用:1,699万円(+ 699万円) ・20年運用:2,028万円(+1,028万円) つまり、 仮に45歳の人が市場平均:年3.6%で 複利運用をした場合、20年後の 65歳の時点では資産を2倍以上にすることが出来ている。 ヨーロッパ人やアメリカ人が、 日本の高齢者よりも、かなり裕福なのは、 単純に、これだけの理由。 だから、 『効率的市場仮説』が99.9%、正しいと 素直に受け入れてしまって、敢えて、 市場平均で十分に満足する、、、というのは 実はかなり賢い選択。 一方、 B: 至難の道だと承知で、 それでも市場平均以上の10倍・100倍、、、に 挑戦するか? は、正直、厳しい。 修羅の道と言っても良い。 繰り返しになりますが、 ・ウォーレンバフェットが  その公開情報を本当に見落としていると思うか? ・ウォール街の投資銀行が  その公開情報を本当に見落としていると思うか? ・GPIF(年金法人)が  その公開情報を本当に見落としていると思うか? 何より、 ・AI(人工知能)が、その公開情報を  本当に見通していると思うか? まず、見落としがない。 その中で、平均以上の結果を出すというのは、 それこそ、想像の10倍・100倍、、、難しい。 不可能ではないにしても、ほぼ不可能に近い。 それでも、 敢えて挑戦するとしたら 勝機はどこにあるのか? 公開情報には見落しがない。 つまり、公開情報は知っていて当たり前。 理解できて当然。それは、自動車の運転前に 自動車学校を卒業しているというくらいの前提。 前提は前提。 当たり前は当たり前。 だから、ソコでは勝負はつかない。 勝負が付くのは、 公開情報【以外】の情報 もちろん、 ココでいう公開情報【以外】の情報というのは、 インサイダー情報のことではない。 本当だったら明日正式発表される情報を、 コネのような裏口で秘密裏に入手して、 市場を出し抜いて取引をする、、、というような 違法なことを意味しているわけでは当然に【ない】。 その 公開情報【以外】ではない。 そうではなく、 自分だけが腑に落とせている情報 で勝負する、 ということ。 つまり、 自分の【経験】 公開情報は、どこまで言っても、 文字や数字での情報。 だから、ある程度、抽象的なことしか理解できない。 たとえば、 医療業界で1度も働いたことがない人には、 薬1つ・1つの細かな差の区別が付かない。 しかし、 医療業界で1度でも働いたことがある人は、 少なくても、働いたことがない人に比べて、 10倍・100倍、細かな微差の区別が付けられる。 だから、 そもそも、 ・医療業界は、統計で言われているほど、  今後も伸びるのか・どうか? ・もし仮に統計通りに伸びるとして、  今後5年後・10年後・15年後、、、  どの企業が業界1位になっているのか? を、 言葉や数字を超えて 肌実感で分かる ・生産者としての【経験】 または、 ・消費者としての【経験】 もしくは、 ・生産者・消費者の両者としての【経験】 人は、全ての人が違う【経験】を 持っているがゆえに、 その人の【経験】で勝負した時にこそ、 市場平均を大きく超えられる だから、 どんな時も、最も当てになるのは 自分の【経験】。 ネット情報を広く・浅く、懸命にかき集めたとしても、 せいぜい、雄弁な評論家になるのが関の山。 日本人は分析は得意。 評論も得意。 非難・批判は超一流。 にも関わらず、 ヨーロッパ人やアメリカ人よりも、 高齢者に豊かさ感覚がないのは、 実際に「お金」を投じられる人は少ないから 分析や評論は、言葉や数字に詳しくなれば 誰にでも出来る。しかし、実際にお金を 投じることは出来ない。なぜなら、実際に お金を投じられるのは、 圧倒的な「経験量」に基づいた【確信】が必要だから まだ来ていない5年後・10年後・15年後の 未来に対して、 ・「イケる!」 ・「必ずイケる!!」 ・「絶対にイケる!!!」 という【確信】を持つには、 それこそ、5年・10年・15年、、、で 積み上げ続けてきた圧倒的な「経験量」が要る。 99.9%の場合、 自分自身の確信で勝負するのではなく、 他者の意見で判断しようとする。 なぜか多数決の原理で判断しようとする。 みんなの意見に自分も従いながら、 なぜか、自分はみんなよりも 優れた結果を得ることを期待してしまう 市場平均と同じ結果でいいなら簡単。 『効率的市場仮説』を素直に受け入れればいい。 株式投資において、 市場平均以上の収益を得ることは出来ない という結論を 素直に受け入れてしまえばいい。 しかも、実は、かなり賢い選択でもある。 もし、 『効率的市場仮説』を却下できるとしたら、 超一流としての基礎・基礎は当然に しっかりと押さえた上で、それプラスαで 自分自身に固有の圧倒的「経験量」に基づく 【確信】で勝負した時、だけ。 その場合、 はっきり言って、市場平均など眼中になくなる。 それこそ、10倍・100倍、、、と、 桁違いの成功を目指すことが出来ています   効率的市場仮説 わかりやすく 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む