作成者別アーカイブ: 白坂慎太郎

孤独との向き合い方

白坂です、

 

孤独との向き合い方

結論:
孤独と向き合うためには、
孤独への解釈を変えること。

もし平均ではなく、
平均以上の成功を目指そうとした場合、
孤独は必然です。

と言うのは、
その人がどれだけ
大きな成功するか・どうかは、

「どれくらい【先】のために今を生きているか?」

に尽きるから、です。

・「今、この時・この瞬間の欲求を満たすために
  今を生きているのか?」

・「10年後に実現したい目標を達成するために
  今を生きているのか?」、、、によって、

その人の生き方は
全く違ってきます。

たとえば、
小学生の中学受験。

鹿児島のような地方都市の場合、
「東京の開成中」や「鹿児島のラサール中」のような
いわゆる難関中学校に合格する小学生というのは、
クラスに1人どころか、小学校に1人だったりします。

つまり、
99%の小学生は、難関中に合格しないし、
まして、目指してすらいません。

だから
99%の小学生は、小学校から帰ってきたら、
人間らしく、小学生らしく、
今、この瞬間の欲求を満たすための行動をします。

友達と一緒に遊んだり、
自宅でゲームをしたり、、、します。

それが
地方都市の99%の小学生の普通。

その中で
たった1人、1週間に6日、塾に通い、
予習・勉強・宿題、、、を、ヒタスラ・ヒタスラ
毎日やり続ける受験生。当然、

孤独

です。

小学校に友達は居ない。
友達が居ないだけなら、まだ良い方。
なかには、イジメられている場合もある。

なぜなら、
友達と一緒に遊んでいる普通の子たちからして、
いつも・いつも勉強ばかりしている子は
友達付き合いが悪いから。変わっている。

普通に対する脅威の存在

だから、

地方都市の中学受験で、
いざ「東京の開成中」や「鹿児島のラサール中」に
合格した生徒たちのための『合格祝賀会』では
保護者たちの反応は、喜びよりも安心の方が遥かに大きかった。

>「先生、合格できて本当に良かったです。
  これで、

地元の中学校に進学させないで済みます。」

子どもたちの合格という果実は
孤独の代償によって得られたもの。

99%の普通の子たちが
今、この時・この瞬間の欲求を満たすために
時間を使い続けた1年間、勉強・勉強・勉強、、、に
投資し続けたからこそ得られた成功。

これは
小学生の中学受験に限らず、
基本、

生きている限り同じ

10年後のために今、懸命に努力している
大人というのは、割合的は少ない。
それこそ1%くらいの人たち、だけ。

だから、
残り99%の人たちとは、時間の使い方が違う。
普通の人たちが持ち続けている慣習に従わない。
必然的に

孤独

となる。

人の間に「能力」の差はない。
数学的に完全なゼロではなかったとしても、
ほぼゼロ。

まして、これからの時代は
AIとの比較になるので、
人間同士の差は限りなくゼロ。

・能力はほぼ同じ。
にも関わらず、
もし時間の使い方まで同じだったら

結果も当然、同じ。

平均以上の結果など
望めるはずもない。 

・能力が同じであるにも関わらず、
人より優れた結果を望むのであれば、
当然、

人より時間をかけて努力するのは当たり前

生き方が違う。分かり合えない。
相手は自分を変えることは出来ないし、
自分も相手を変えることは出来ない。

だから、
孤独との向き合い方は、
孤独という状態への
自分の解釈を変えるしかない。

孤独は決して悪いものではなく、
成功を目指す上では

必然

もし孤独という状態を悪いものだと
解釈してしまい、孤独を避けようとすると
自分の本心を殺して迎合するしかない。
群れるしかなくなる。

もちろん、
常識的な慣習に従えば、角は立たない。
丸く収まる。近くに居る人たちの関係を
表面上だけなら繫ぎ止めることは出来る。

ただ、
迎合すればするほど、
群れれば群れるほど

自分の魂が確実に干からびて行く

いつの間にか、本気で夢実現を目指さなくなり、
時間の経過とともに緩やかに・緩やかに
周囲とともに衰退し続けて行く。
当然、成功は絶望的になる。

自分が成功しないだけなら、まだ良い。
夢が叶わないだけなら、まだ良い。

最悪なのは、
自分が成功しなかった人に限って、
夢を叶えなかった人に限って、

他者の夢を破壊する側の人間になってしまうこと

子どもは生まれながらに好奇心の塊。
「やりたいこと」ばかり。

しかし、
20年後の20才の時には、

>「やりたいことが分かりません」

という無気力な青年になっていたりする。
なぜか?

周囲の親や教師たちに夢を壊されたから

自分自身が一生懸命に生きたにも関わらず、
夢を叶えられなかった場合、目の前の
相手の夢実現を信じてあげられない。

無理だと決めつける。
無謀だと決めつける。
世間知らずだと決めつける。
そして、

親や教師にとってだけの現実を、
「これが現実だ」と子どもに教えてしまう

目の前の子供達が夢を叶えられなかったことに
どこか安心感を感じている。それどころか、
上手くいっていない子どもたちの欠点を
偉そうに指摘し続けている。

そんな
子どもたちの夢を潰すような
最悪な大人にならずに済むのであれば、

孤独、上等。

ただ昔から続いているというだけで
今では何の意味もなくなっている慣習に
従い続けながら自分の魂を干からびせて
行くくらいなら、

30年後・20年後・10年後、、、の
最高の未来に1ミリでも近づくための
努力を実際にした方が100万倍マシ

孤独との向き合い方は、
孤独への解釈を変えること。

孤独は悪い状態ではない。
成功を目指す上では必然。

避けようとする必要はないし、
自分を押し殺して孤独を解消しようとする
必要もない。

孤独、上等

もし、あなたが、今、
孤独を感じているとしたら、、、
それは、あなたは、あなたにだけ見えている

30年後・20年後・10年後、、、の
【最高の未来に続く道】の途上に居るから、

です。

 

孤独との向き合い方

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

追伸:

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運と実力

白坂です、
 

運と実力

まず、
結果に対して
運が関係していることは確かです。

たとえば、
サイコロを振って「1」の目が出る
確率はいくらでしょうか?

長期的に、
ほぼ無限に近い回数でサイコロを
振った場合は、「1/6」です。

しかし、
短期的な少ない回数の場合、
必ずしも「1/6」とは言えません。

6回振るどころか
最初の1回目で「1」の目が
出ることもあり得ます。

「1」の目をが出て欲しいと願い、
1回しか振っていないのに
最初の1回目で「1」の目が出た。
すると、「運が良い」と感じます。

確率で「1/6」というのは、
あくまで、長期的に
ほぼ無限に近い回数でサイコロを
振った場合だけ。

短期的には、
最初の1回目で出る場合もあれば、
6回振って1回も出ないこともある。

なので、
結果に運が関係していることは確かです。

・幸運で結果に恵まれることもあれば、
・不運で結果に恵まれないこともある。

ただ、
人生に運が関係していることは
確かだったとしても、

運に期待してはいけない

理由は簡単で、
運は制御できないからこそ運だから、です。
再現性がありません。

そして
何より

運に期待するようになると努力が少なくなる

もし
結果が運で決まると考えると
努力の価値が低下します。

しかし、
短期的には運で決まるように見える結果も、
長期的には実力で決まります。

たとえば、
中学生の勉強。

ある生徒が
ほとんど勉強しなかったのに90点を
取ったとします。

すると、
>「自分はほとんど勉強しなかったのに90点だった!」と
喜んでしまいがち。

勉強しなかった割に点数が良かったことを、
凄いと評価してしまっています。

万が一、
こういう思考法になってしまうと
成功は絶望的です。
なぜなら、

・ほとんど勉強しないで取った90点よりも、
 猛烈に勉強して取った100点の方が価値が高いから

・ほとんど勉強しないで取った90点よりも、
 猛烈に勉強して取った100点の方が価値が高いから

・ほとんど勉強しないで取った90点よりも、
 猛烈に勉強して取った100点の方が価値が高いから

「時間」「お金」「エネルギー」をほとんどかけず、
まぁまぁの結果に恵まれることを幸運と解釈するのであれば、
成功は絶望的。本当に成功する人は、

「1」の目が出るまでサイコロを振り続ける人

・最初の1回目で「1」が出なくても、
・6回振っても「1」が出なかったとしても、
・10回振っても「1」が出なかったとしても、

「1」の目が出るまでサイコロを振り続ける人

もし、
テストで100点を目標しているのであれば、
運に関係なく、実力で100点満点を取れるだけの
努力を猛烈にし続ける。

結果に運は関係している。
しかし、本当に成功する人は、
たとえ運に恵まれなくても、

結果を必然的に創り出すだけの努力を続ける人

ほとんど「時間」「お金」「エネルギー」を
かけていないことなど、自慢にも何にもならない。
幸運は存在していたとしても、再現性が小さいので
長期的には期待できない。

かけていない割に良い結果を得られることより、
たとえ「時間」「お金」「エネルギー」を
猛烈にかけてでも必然的に好結果を
創り出している方がよほど価値が高い。

運を否定することは出来ない。
しかし、運に期待するようになったら
成功は絶望的。

そうではなく、
>「それだけ膨大な『時間』『お金』『エネルギー』を
かけて努力したら、それは成功する方が当たり前」
というだけのことを実際に【やる】。

運を制御することは出来ない。
だから、結果を完全に制御することも出来ない。
しかし、結果が出る確率を上げるための

努力であれば制御できる

人生、
6回中1回で、出て欲しい目が出たかどうかは
本質ではない。大事なことは、

出て欲しい目が出るまで10回でも100回でも
振り続けることが出来るか・どうか?

人生、
「PDCAを何回までしか回してはいけない」
という決まりは【ない】。欲しい結果が出るまで
回し続けていい。

結果に運は関係している。
ただ、制御できないからこそ運であり、
制御できないのであれば期待してはいけない。

期待すべきは、
あくまで

・自分の実力であり、
・実力を高める努力であり
・努力し続けられる自分の潜在可能性

出て欲しい結果が出るまで
PCCAを何十回・何百回、、、と
回し続ける。そうすれば、

夢実現を必然的に体験できています。

 

運と実力

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

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オタクとは?簡単に

白坂です、

 

オタクとは?簡単に

まず、
オタクの定義から、、、

(1)こだわりがある対象を持っている
(2)対象に対して時間やお金を極端なほど使う
(3)深い知識と想像力を持っている。
(4)情報発信活動や創作活動なども行っている人々

個人的には、
ゲーム『ウマ娘』で、
オタクの人たちの実力を日々で実感しています。

彼ら・彼女たちの
『ウマ娘』への時間とお金の使い方は
想像を遥かに・遥かに超えていました。

私自身、『ウマ娘』のチームランクは
最高の「SS」であり、
チーム競技場も最高の「クラス6」なので
トップ1%のプレイヤーの1人だと思っています。

しかし、
世界1位など最上位層の
『ウマ娘』への傾倒具合には
正直、足元にも及ばない。

私の場合、まだどうしても、
>「とは言え、たかがゲーム、、、」という
認識が残っていますが、彼ら・彼女たちは

『ウマ娘』に、人生の「今」を全て賭けている

だから、
・たった1人のウマ娘について
・たった1枚のサポートカードについて、
さらに、
・たった1つのスキルに、

20分・30分、、、平気で語れる

知識が猛烈に細かい。
あまりに細かすぎて『ウマ娘』以外には
全く応用が効かない知識。
しかし、異常に詳しい。

知識だけでなく、
やり込み方も常軌を逸しています。

何か1つのデータを検証するために
50レース・100レース、、、
普通に走らせた上で数字を収集し続けている。

>「ゲームで勝つために、
  ここまでやるか、、、」

と呆れを完全に通り越して、
尊敬の念を覚えています。

オタクという言葉の対義語は
大衆ということになると思います。
すなわち、

・多数の大衆から支持されているのが
 メインカルチャー

・少数のオタクから支持されているのが
 サブカルチャー

ただ、

大事なのは「メインカルチャー」と「サブカルチャー」の
明確な線はないということ。要するに、
多数か少数か、、、という違いだけであり、
時代はいつも、

かつてサブカルチャーだったものが
やがてメインカルチャーになり続けて来た

たとえば、
オタクという言葉が最初に有名になり出したのは、
1990年代のパソコンオタク。

今から30年前は、パソコンというコンピュータを
一生懸命にイジっている人たちは、ごく少数だった。
だから、パソコンはオタクの道具であり、パソコンは
サブカルチャーだった。

もちろん、
30年経った今、毎日のようにパソコンを
触っている人のことをオタクとは認識しない。
今では、ごくごく当たり前になっている。

つまり、
かつてサブカルチャーであったパソコンは、
今ではメインカルチャーの1つになっている。

日本が世界と戦える
・漫画
・アニメ
・ゲーム、、、

なぜレベルが高いのか?
それは、もちろん、日本に
「漫画オタク」「アニメオタク」「ゲームオタク」、、、が
それぞれ一定数ずついるから。

彼ら・彼女たちが持っている知識と技術は
尋常ではないので、その彼ら・彼女たちから
支持されている創作物は

本物

日本国内だけでなく全世界で戦える。

ここで
改めて「オタク」の定義を、、、

(1)こだわりがある対象を持っている
(2)対象に対して時間やお金を極端なほど使う
(3)深い知識と想像力を持っている。
(4)情報発信活動や創作活動なども行っている人々

この「オタク」の定義は、
まさに、

成功者の定義と全く同じ

なぜなら、
成功するために最も重要なことが

集中

限られた時間や情報処理能力を
分散させてしまったら、全てが
中途半端になってしまう。

何か1つの分野で卓越した結果を出す人は、
ほとんどのことを「やらない」代わりに、
ある、たった1つのことに持っている
時間・お金・脳の情報処理能力、、、を

全集中できる

「オタクの定義」と「成功者の定義」は同じ。

・オタク=成功者であり、
・成功者=何らかのオタク

『ウマ娘』という1つのゲームに
500万円以上も課金できるプレイヤーは、
創作活動で500万円以上を稼ぎ出せている。

オタクの方々が持っている『ウマ娘』に
関する知識・技能は、あまりに専門的すぎて
他の分野には応用が効かない。
しかし、彼ら・彼女たちの、1つの分野に

全集中できる気質

が、彼ら・彼女たちを
それぞれの分野で成功させている。

・漫画
・アニメ
・ゲーム、、、などの、

この30年間の進化は
本当に凄まじい。

初代:『スーパーマリオブラザーズ』や
『ファイナルファンタジー I 』を
ファミコンで遊んでいた人間からすると、
今のゲームは、とんでもないレベルになっている。

一方、

「家庭教育」「学校教育」「塾教育」では、
今だに、「漫画」「アニメ」「ゲーム」よりも、
「国・社・数・理・英、、、」の方が
大事だと思っている。

日本全国で、子どもたちは
>「ゲームばっかりしないで勉強しなさい!」と
言われ続けている。

「なぜか?」
簡単。
日本の教育は成功者を育てる教育ではなく

平均的な従業員を育てる教育だから

従業員に創造力は要らない。
決められた規則やマニュアルに従って
1日8時間、我慢強く作業が出来る人を
育てるのが日本の教育。

日本人であれば、
誰もが平均的な価値観の家庭環境で育ち、
そして、小学校・中学校、、、などで
普通教育を受ける。

だから、
オタクを目指さない。

たった1つのことを卓越して極めることよりも、
「国・社・数・理・英、、、」など全てを
平均点以上で満遍なく出来る人を目指させる。

だから、

日本の「家庭教育」「学校教育」「塾教育」からは
世界的な成功者は出ない。出ているとしたら、
主要5教科以外の音楽やスポーツなどの分野。
いわゆるサブカルチャーの分野だけ。

従来の常識的な教育を受けて来た
常識的な大衆の価値観からすると、
オタクの人たちの長所ではなく短所を気にしがち。
たとえば

>「他者とのコミュニケーション能力に劣る人」

など。
しかし、それは大衆のオタクの人たちへの

嫉妬

人間に対して完全完璧を求めるのは、
単なる嫉妬。たった1つのことに完全に没入できる
才能に対する嫉妬心が批判になっているだけ。

オタクとは?
(1)こだわりがある対象を持っている
(2)対象に対して時間やお金を極端なほど使う
(3)深い知識と想像力を持っている。
(4)情報発信活動や創作活動なども行っている人々

彼ら・彼女たちの
こだわりの対象への知識・技能は凄まじい。
だから、彼ら・彼女たちが支持している創作物は
本物であり、世界と戦える創作物。

だからこそ、
「オタクの人たち」と「創作物」こそが、

これからの新しい時代を創っていきます

 

オタクとは?簡単に

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

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怒りが人生を変える

白坂です、

 

怒りが人生を変える

怒りという感情は、
他者との関係を悪化させる
可能性があるエネルギーであり

【自分自身を守る】感情でもあります

一般的に、
「怒っちゃいけない」「怒っちゃいけない」、、、
という考え方が常識になっているのは、
自分の周囲に居る人との関係を重視してこそ。

・みんな仲良くしましょう

・怒ると相手との人間関係が悪くなる

・だから怒っちゃいけない、、、

しかし、

そもそも、
「なぜ怒りという感情が湧き上がって来たのか?」
簡単です。相手の言動が許せる範囲を超えているから。
つまり、

度が過ぎているから

たとえば、
会う度・会う度に、
小言を言われるとします。

>「あれは良くなかったんじゃないのか?」とか、
>「もっと、こうした方が良かったんじゃないのか?」とか、
>「次から気をつけた方がいい!」とか、、、

完璧主義者は心配性。
100点満点を基準にしているから、
自分の価値観に合わないことがあれば、
些細なことでも、やたら気になる。

小言が分かりにくいのは、
一見、「あなたのために言っている」、、、
という雰囲気であること。

ここで、
真面目な人であれば・あるほど
解釈を間違ってしまう。

>「あぁ、こんなに心配してくれる人に
  何度も・何度も注意されて、
  自分は何てダメな人間なんだ、、、」と。

違う。

もし、本当に「あなたのため」なんだったら、
あなたに元気・希望・勇気を与えてくれる
ことを言ってくれるはず。

相手の小言を聞かされる度に、暗い気持ちに
なるとしたら、相手は「あなたのため」になど
言ってはいない。

どれだけ、
言葉は「あなたのため」に聞こえたとしても、
心から「あなたのため」になど小言を言っていない。
単に、

あなたのことを信じていない、だけ

言葉で、
「あなたのため」「あなたのため」、、、と言いながら、
小言を言う度に、

あなたはダメだ、、、という暗示を与え続けている

だから、
落ち込む必要などない。
むしろ逆。

「いい加減にしろ!」
「大概にせい!!!」

と怒っていい。
猛烈にブチギレ立って構わない。

>「そんなことをしたら、
  相手の関係が悪くなってしまうのでは!?」

では、
逆に聞きたい。

「自分を不幸に引きずり込もうとする相手と
仲良くした方がいい理由は何なのか?」、と。

人生というのは、
何も全世界80億人みんなと仲良く出来なければ、
幸せに生きられないものではない。

もちろん、
日本人1億2千6百万人みんなと
仲良く出来なければ、
幸せに生きられないものではない。

むしろ逆。
1人でいい。たった1人でいい。

>「あなたと出会えて本当に良かった」

と心の奥底から感謝してくれる人と、
80億人中1人で出会えたら、
それだけで人は幸せに生きられる。

「怒らない方が良い」というのは、
あくまで人生を変えないための考え方。

怒ると相手との人間関係が悪化する可能性がある。
だから、人生を変えないためには、怒ることは
リスクが高い。今までの環境・人間関係で
今までの人生を続けたいなら、常識通りに怒らない方が正解。

しかし、
もし人生を変えたいのであれば、

怒りが人生を変える

人生の究極の矛盾は、
・自分の人生は100%、自分の価値観での
 判断の結果でありながら、

その
判断基準の100%は、自分以外の
他者が作っていたものであること。

だから、
人生は、

・100%、自己責任でありながら、
・100%、他人のせいでもあるという

矛盾がある。

・判断したのは自分自身。
 だから、人生は100%、自己責任。

しかし、

・判断の大本になっている価値観は
 環境・人間関係によって作られた。
 だから、人生は100%、他者のせい。

最悪なのは、
・自分の判断の間違いで上手くいっていないのに、
・環境や人間関係を変えることなく、
・何度も・何度も、人生を変えることに挑戦してしまうこと

不可能なことに取り組んでいる

判断そのものを間違ったとしても、
その判断の源は他者が作っている。

だから、
今までと同じ環境・人間関係に居続ける限り、
判断基準の価値観も同じであり続けるので、
自分の判断を変えられない。

大事なのは、

・変えたくないなら怒ってはいけない。
 今までと同じ環境・人間関係を
 維持したいのであれば、怒ることは
 あまりにリスクが高い。

しかし、
もし変えたいのであれば、

怒っていいい

「いい加減にしろ!」
「大概にせい!!!」

と怒っていい。
猛烈にブチギレ立って構わない。

真面目な人が怒るというのは余程のこと。
優しい人がブチ切れるというのは相当なこと。
怒りは自分自身を守る最後のエネルギー。
そこまで怒らせるというのは、

相手が悪い

本当に「幸せに生きたい」
本当に「成功に向かって挑戦したい」
本当に「夢を叶えたい」、、、のであれば、
その足を下に引っ張る人間関係は

邪魔でしかない

怒ったことで
相手との人間関係は壊れるかもしれない。
しかし、人生、相手が
間違っているということもある。

特に、
今までと違う結果を、これからに
望んでいるのであれば相手は間違っている。

たとえば、プロ野球選手でない人に
「どうすればプロ野球選手になれますか?」と
聞いたところで、本当に役立つアドバイスは
もらえない。

もし本気の本気でプロ野球選手に
なりたいのであれば、今までの
身近な人たちに聞き続けるのではなく、

プロ野球選手と1分・1秒でも
時間を共有できる環境・人間関係に
自分の方から移るべき

怒りが人生を変える

今までと同じ環境
今までと同じ人間関係で
今までと違う結果を
たまたま・偶然に得る、、、ということは【ない】

もし、
今までも身近に居た相手から、
会う度・会う度に、また何か小言を
言われたとしたら、

怒っていいい

「いい加減にしろ!」
「大概にせい!!!」

と怒っていい。
猛烈にブチギレ立って構わない。

なぜなら、
相手が悪いのだから。

相手が間違っているのだから。
「あなたのため、、、」という
雰囲気でありながら、本当は

あなたのことなど、ただの1ナノも
信じていないのだから

あなたのことを信じていない人に
囲まれながら、あなただけが
あなたのことを信じ続けるなど無理。
机上の空論。

もし、あなたがあなた自身を信じられる
としたら、それは、たとえ、たった1人でも
あなたのことを肯定してくれる人の近くに
居てこそ。

会う度・会う度に、小言を言って、
あなたから元気を奪うような人の
近くに居るのではなく、

あなたに、
元気・勇気・希望、、、を感じさせてくれる人の
近くに居てこそ、あなたはあなた自身を信じられる。

怒りが人生を変える

>「怒っちゃいけない」など悪魔の教え。
怒りとは変えるためのエネルギーであり
情熱そのもの。

>「怒っちゃいけない」というのは
「変えてはいけない」と同じ意味であり、
「情熱など持つな」というのと同じ意味。

人から怒りを奪えば情熱もなくなる。
無気力になる。

日頃、
真面目な人が怒るというのは余程のこと。

日頃、
優しい人が怒るというのは余程のこと。

そういう、
真面目な人・優しい人が、心の底から
怒りという感情が湧き上がって来た
というのであれば

怒っていい

それでダメになってしまう人間関係であれば
それまでの縁だった、、、というだけ。

社会には人はたくさん居る。
世界80億人とか、日本1億人とか、、、
途方もない人数の人が居る。

みんなと仲良くしようとか、
誰からも嫌われないようにしようとか、
不可能なことを努力するから苦しくなるだけ。

・怒りは自分自身を守る最後の砦
・怒りは変えるための原動力
・怒りは高い壁へ挑戦するための情熱そのもの

怒りが人生を変える

どうしても許せないときは、
許せないのが正解。

怒った自分が悪いのではなく、
怒らせた相手が悪いことだってある。

だったら、
怒りという感情を、これからの夢実現に向けて
行動のエネルギーにしていく。怒りという
エネルギーを情熱に高い壁に挑戦していく。

もし、
怒りを境に環境が変わり、
人間関係が変わり始めた時に
初めて、あなたの価値観も変わり始め、

あなたの人生も変わり始めます

 

怒りが人生を変える

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

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転売屋の何が悪い?

白坂です、

 

転売屋の何が悪い?

「転売屋の何が悪い?」

結論:
・道徳的には悪いと感じる
・法律的には基本、合法
・経済的には見えざる手の一部

まず、
転売屋の定義から。

今回は、
新品を定価で仕入れて、
定価以上の高い価格で販売する行為を
転売と定義した上で進めます。

具体的な事例を使った方が
分かりやすいので、今回は仮に
ソニーの『プレイステーション5』を
例にしてみます。

プレイステーションの新品を
5万円で購入して、
9万円で販売した、、、というのが
今回で取り上げる転売に該当します。

転売屋の何が悪いのでしょうか?

道徳的には悪い、、、と感じます。
理由は、

『プレイステーション5』を
5万円で本当に買いたいという人が
買える機会を少なくしているからです。

だから、
道徳的に悪い、、、と感じるとしたら
極めて自然な感情だと思います。

では、
道徳的に悪いと感じるとしたときに、
法律的にはどうなのでしょうか?
転売は、

基本的には合法

「基本的には」という条件を付けているのは、
「コンサートチケット」のように、ピンポイントで
転売を法律が違法と決めている商品もあるからです。

なので、
チケットの転売は規制する法律があるので違法。
ところが、ほとんどの転売に対しては規制する
法律がありません。

今回の例に挙げた『プレイステーション5』の
転売も違法ではありません。合法です。
だから、警察が動くことはありません。

転売屋の何が悪い?

・道徳的な感情では悪いと感じる
・法律的には合法

では、
・経済的には?

転売屋は、社会的には何の付加価値も
創っていません。ただ転売しただけで
4万円の利益を得ています。

付加価値を創っていないので、
転売屋が上げた利益4万円は、
GDP(国内総生産)には計上されません。

転売屋は価値を生み出していないのに
なぜ利益を得られているのでしょうか?
理由は、

市場に【歪み】が生じているから

市場というのは、
「消費者」と「生産者」の取引の場です。

・消費者は1円でも安くで買いたい
・生産者は1円でも高くで売りたい

消費者のことだけを考えれば、
安ければ安い方が良い。
でも、不当に安過ぎる価格は
社会の豊かさは極論ゼロに近づきます。

なぜなら、
消費者が不当に安いことで得ることが
できた利益を、生産者の損失で打ち消して
しまうからです。

・消費者の利益最大
・生産者の損失も最大
・結果、社会全体の豊かさはゼロ

生産者の損失が最大になると、
当然、従業員の給料は増えません。
最悪、人員削減が行われる場合もあります。

だから、
生産者は家計単位で見れば同時に
消費者である場合がほとんど。

なので
生産者の損失は給与の減少、
そして、さらなる消費の減少という
悪循環のデフレスパイラルの原因に
なります。

ゆえに、

消費者のことだけ考えて、
ヒタスラ・ヒタスラ安売りをしている企業
というのは、実は社会全体の豊かさを
減少させていることになります。

市場というのは、
「消費者」と「生産者」の取引の場。

・消費者は1円でも安くで買いたい
・生産者は1円でも高くで売りたい

だから、
市場は「見えざる手」によって、

売買によって「価格」と「数量」が調整される

・安過ぎれば商品不足になって
 価格上昇圧力になる。

・少な過ぎれば同じく商品不足になって
 供給増加圧力になる。

・合理的な価格で
・合理的な数量で取引されてこそ
・社会全体の豊かさが最大になる

今回の例で挙げた
『プレイステーション5』に関しては、

・本体価格が安過ぎる
・日本での販売台数が少なすぎた
という

企業の方にこそ責任があります

まず、
本体価格に関して、ゲーム機で5万円というのは
他のゲーム機に比べれば相場的に妥当な価格に
見えるかもしれません。

しかし、
『プレイステーション5』は、
ゲーム機とは言え
超高性能コンピュータです。

発売当時20年末の時点で、
世界最先端だった「7ナノ」
半導体が使われています。

その「7ナノ」半導体は、
ソニーグループの子会社
ソニーセミコンでは技術的に作れない。

台湾の企業TSMCだけが、
世界で唯一、提供できていた
当時における最先端の半導体。

それだけ
最先端:高性能の半導体を使っている
ゲーム機なので、コンピュータの
性能としても世界最高峰。

つまり、
『プレイステーション5』の
5万円というのは、

売れば・売るほど赤字になる価格

もちろん、本体販売で赤字になっても、
その後に、ソフトの売上げや有料会員からの
月額利用料金などの合計で黒字にするという
戦略的な赤字販売ではありますが、しかし、

本体価格としては不当に安い

のは事実。

『プレイステーション5』ほど高性能コンピュータを
5万円で提供されたら、時価総額:数兆円以上の
任天堂・メタ・マイクロソフト、、、以外では
経営が成り立ちません。

つまり、
『プレイステーション5』の5万円での
全世界発売は、

独占禁止法に抵触すら可能性すらある

ということ、
です。

この製品の性能に対して不当に安過ぎる
価格設定が、付加価値を全く生んでいないのに
転売屋に利益を上げさせてしまう原因の1つ。

そして、
転売屋が成り立ってしまう、
もう1つの理由は

日本での販売台数が少な過ぎた

ということ。

一般的には、『プレイステーション5』の
日本での販売台数が少ないのは、
いわゆる「半導体不足」が理由と言われていますが、
日本に限定すれば違います。

『プレイステーション5』の日本への割当が少なかったから

『プレイステーション5』は、
ソニーが提供しているゲーム機ですが、厳密には、
子会社の『ソニーインタラクティブエンタテインメント』が
提供しています。

そして、
子会社の本社はアメリカです。

だから、
親会社のソニーグループ自体は
日本企業だったとしても、
『プレイステーション5』に関して言えば、

アメリカの子会社がアメリカ・ヨーロッパ向けの
『プレイステーション5』を日本でも発売している

という形態になっています。

1世代前の『プレイステーション4』に
関して言えば、

・全世界での発売台数:1億2千万台
・日本での発売台数 :  900万台
・日本の発売シェア :   8%

つまり、
1世代前の『プレイステーション4』に関しては、
日本以外で92%、売られています。

ちなみに、
『プレイステーション4』は、日本は海外の
3か月遅れで発売開始され、しかも、その後
初速の100万台まで1年近くかかっています。

だから、
今回の『プレイステーション5』の
初回出荷数に関しては、

全体の約6%しか日本で供給されなかった

だから、日本における今回の
『プレイステーション5』は、
供給台数そのものも少なかった。
結果、

転売屋が利益を上げられる余地があった

ということです。

経済的に、
もし、

・価格
・数量

の両方が
「消費者」「生産者」の両者にとって
合理的であれば社会の豊かさは最大化します。

そして、
社会の豊かさ最大の状態こそが
経済的は最も効率的なので、

転売屋が利益を得られる余地はゼロ

なぜなら、
「消費者」「生産者」の双方が合意できている
数量と価格であれば、

・不当に安くで売ってくれる企業もいなければ
・不当に高くで買ってくれる消費者もいないから、

です。

にも関わらず、

『プレイステーション5』に関しては、
1年半以上、ずっと転売屋が利益を
上げ続けることが可能だった。理由は、

・製品性能のわりに価格は安過ぎるし、
・本当に買いたい人数に対して
 日本での供給台数が今回は少な過ぎたから

つまり、

企業に責任があります

だから、
企業が本当に取り組むべきは、
転売屋の取締りを家電量販店などに
依頼することではなく、

・値上げ
または
・日本での供給台数を増やす


「いずれか」または「いずれも」。

売れば・売るほど赤字が拡大する
という販売戦略は、明らかにオカシイ。
歪んでいます。その歪みが

転売屋が存在できる理由

と言うことで、

「転売屋の何が悪い?」

結論:
・道徳的には悪いと感じる
・法律的には基本、合法
・経済的には見えざる手の一部

もし
転売屋の活動があったならば、
転売屋そのものを悪としてみるのではなく、

市場に【歪み】を生じさせている
企業の方にこそ、責任追及の眼を
向けることが

合理的な視点となります。

 

転売屋の何が悪い?

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

白坂慎太郎

 

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