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仏教の教え 一切皆苦

 

白坂です、

 

文章のご確認、感謝しています。

ありがとうございます。

 

まず、

 

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さて、

仏教の教え 一切皆苦

 

仏教に関して、最近、より深い「気づき」があったので共有させていただきたいと思います。

 

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1.諸行無常(しょぎょうむじょう)

2.諸法無我(しょほうむが)

3.一切皆苦(いっさいかいく)

4.涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)

 

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今回は、「3.一切皆苦についての学びを深めていきたいと思います。

 

文字通りに解釈したならば、「ありとあらゆるものが全て苦しい」となりそうですが、現実的には、「ありとあらゆるものが全て苦しいと【感じられる】」ということだと思います。つまり、人生とは絶対的に苦しいという現実があるのではなく、

 

 

人生をありとあらゆる面で苦しいものだと感じる【人】がいる

 

 

と解釈する方がより現実的だと思います。

なぜなら、全く同じ出来事なのにその出来事を、苦しいと解釈する人もいれば、楽しいと解釈する人もいるからです。ありとあらゆる出来事は苦しくもなければ・楽しくもありません。全ては無色透明。

 

 

その無色透明な出来事に解釈を加えているのは本人

 

 

ある出来事があった。

その出来事は本当は無色透明。

にもかかわらず、ある人はその出来事をプラスに解釈し、ある人はマイナスに解釈する。

マイナスに解釈すると、ありとあらゆるものが苦しいと感じられる。

 

では、

「なぜ、ありとあらゆるもを苦しいと感じられるのでしょうか?」

それは、簡単です。

 

 

自我があるから

 

 

つまり、

「諸行無常」なのに「無我」ではなく「自我」があるから。

 

・ありとあらゆるものは常に変化し続けている

・だから、ありとあらゆるものの中の一人である自分も常に変化し続けている

(「これが「私です!」と断定できるような絶対的な自分など存在していない)

・にもかかわらず、全てが変わり続けている中で、記憶だけを拠り所として「これが私です!」と断固として主張し続けているから

 

 

・「これが私の好きなことです!」

・「これが私の嫌いなことです!」

 

・「これが私の得意なことです!」

・「これが私の苦手なことです!」

 

・「これが私のやりたいことなんです!」

・「これは私のやりたくないことなんです!」

 

・「これが私のやり方なんです!」

・「これが私のコダワリなんです!」

・「これが私の信念なんです!!!」

 

 

苦しくなるだけ

 

 

たとえるならば、みんなが電卓でわり算をしているのに、今だに鉛筆を持って筆算で計算し続けているようなものです。

 

 

「電卓で計算するなんて私は認めません!自分の手で筆算するからこそ意味があるんです!!」

 

 

と主張し続けているようなものです。

それは苦しいです。もっと楽に・簡単に・速くできるようになっているのに、わざわざ自分から大変で・難しく・時間のかかることをやり続けることにコダワッているわけですから。苦しくなるのは当たり前です。

 

 

コダワリを持てば持つほど人生はどんどん苦しくなる

 

 

人生そのものが苦しいわけではありません。昔、誰かから習った「これが正しい」という固定観念に縛られている人が、人生を勝手に苦しくしているだけ、です。

 

・冷蔵庫が普及しているのに、「冷蔵庫なんて邪道だ!水で冷やす方が食べ物にはいいんだ!!」

・洗濯機が普及しているのに、「洗濯機なんて邪道だ!手洗いをすることにこそ価値があるんだ!!」

・電子レンジが普及しているのに、「食べ物を温めて食べるなんて邪道だ!食べ物はその時・その場で作ることこそ正しいんだ!!」と言っているようなものです。

 

その人が、

・冷蔵庫を使わないのも勝手です。

・洗濯機を使わないのも勝手です。

・電子レンジを使わないのも勝手です。

 

しかし、

もっと楽に・簡単に・速くできるようになっているのに、わざわざ自分から大変で・難しく・時間のかかることをやり続けているのですから、

 

 

人生が苦しくなるのは当たり前

 

 

・インターネットが普及しても、「いや、手書きの手紙にこそ価値があるんだ!」と主張し、

・スマートフォンが普及しても、「いや、今までのガラケーの方が使いやすくていいんだ!」と主張し、

・人工知能が普及しても、「いや、自分の頭で考えることこそ意味のあることなんだ!」と主張するのは本人の勝手です。ただ、

 

 

人生は苦しくなります

 

 

周囲についていけず、時代からも他人からもどんどん置いていかれます。

やがて、年齢とともに身体がどんどんと硬くなり、やがて心もどんどん硬くなります。

頑固がさらに頑固を強化していきます。

 

人生そのものが苦しいのではなく、人生を苦しいと解釈する人がいるという人の問題。

「諸行無常」なのに「無我」ではなく「自我」があるから。

 

 

ありとあらゆるものが変化し続ける中で、「自分だけは絶対変わらない」と頑なにコダワッているから人生が苦しく感じられている

 

 

では、無色透明の人生を苦しいと感じながら生きるのではなく、楽しいと感じながら生きるにはどうしたらいいのでしょうか?簡単です。

 

 

自我をなくせばいい

 

 

つまり、

コダワらなければいい。時代が変わっているのだったら、その時代の変化に合わせて自分も変わり続けていけばいい。時代に素直に対応し続ければいい。

 

・みんなが冷蔵庫を使っているのだったら、自分も冷蔵庫を使えばいい

・みんなが洗濯機を使っているのだったら、自分も洗濯機を使えばいい

・みんなが電子レンジを使っているのだったら、自分も電子レンジを使えばいい

 

・みんながインターネットを使っているのだったら、自分もインターネットを使えばいい

・みんながスマートフォンを使っているのだったら、自分もスマートフォンを使えばいい

・みんなが人工知能を使い始めているのだったら、自分も人工知能を使い始めればいい、、、

 

たった、

それだけのことです。

そうすれば、

 

 

どんどん・どんどん楽に・簡単に・速くできるようになっています。

 

 

人生そのものが苦しいのではありません。違います。

苦しくしている自分がいるというだけ、です。

 

この世に絶対的に正しいことなんて、何一つありません。

たとえ、ある時代に一時期は正しかった考え方があったとしても、その考え方が正しかったのは、その時代だったからこそ。

 

 

時代が変われば正しい考え方も変わっています

 

 

昔、誰かから教えてもらったある考え方に執着し、「私が信じているこの正しい考え方からして、その考えは間違っている!」と主張し続けるのは本人の勝手です。人生は自由。本人が過去に作った固定観念でガンジガラメで縛られながら生き続けていくのも自由です。ただ、無色透明の人生を勝手に苦しいものだと解釈し続けているのは自分自身だということ。

 

ありとあらゆるものは常に変化し続けています。

だったら、その時代の変化に合わせて、自分も変化し続けていけばいいだけ。

そうすれば、時代は常に良くなり続けているのですから、

 

人生も常に良くなり続けていきます

 

仏教の教え 一切皆苦

 

貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。

 

白坂慎太郎

 

追伸:

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