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人を雇うということ

経営

 白坂です、 文章のご確認、感謝しています。ありがとうございます。 まず、 4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!! さて、 人を雇うということ 正社員をお一方、雇いました。わたしたちの会社にとって、とても大きな転機となる出来事です。 個人的に私は自分自身に禁止していたことが二つありました。1つは、絶対に借金をしないこともう1つは、絶対に人は雇わないこと、、、 なぜ、私は自分自身に対して「絶対に人は雇わない」と決めていたかというと簡単です。私は、「人を雇うのに向いていない人間である」と自分自身のことを理解していたからです。会社員時代で管理職だった時、そして、進学塾を経営していて講師の方々を雇っていた時、、、過去2度に渡って、  「自分は本当に人を雇うというのに向いていないなぁ・・・」と痛感していました。  なぜ私が人を雇うのに向いていないか?それも簡単です。私は厳し過ぎるから。 自分で言うもの何ですが、私は一般的に仕事が出来る方だと思います。それは、私は私自身に厳しいからです。「やります!」と1度口に出したことは必ずやります。守備範囲も広いです。必要最小限のことは一通り全部、自分で出来ます。 しかも速いです。基本、翌日に仕事を持ち越したということは、ここ7年間くらいありません。その日にやるべき仕事はその日に終わらせてから寝ています。だから、一般的な基準で言うと、私は仕事が出来る方だと自分では思っています。なぜなら、私は自分に厳しいから。しかし、自分に厳しいがゆえに  相手にも厳しい  自分が持っている厳しい基準を相手にも無意識に期待してしまいます。だから、相手の仕事に対して細かい所まで含めて、いろいろと指摘してしまうのです。相手からすると全く反論できません。何せ、私が仕事ができる上に、言っていることも論理的に妥当なことばかりだから。だから、私は人を「やる気」にするのが得意である一方、  人の心も折ってしまう  そういったことを進学塾の業界にいた14年間で、何度も・何度も体験していました。だから、諦めていたわけです。「私は人を雇うのには向いていない」、と。「人を雇ったからと言って、雇った分で会社の業績をあげられるわけでもないし、何より、相手自身を幸せに導けない」、と。 だから、私自身が1人で勝負する代わりに、私と関わる人も同じように1人で勝負した方が良いという価値観を持っていました。そうすれば、「人を雇う」とか「人を管理する」とか、そんな難しいことをやらなかったとしても、「好きなときに・好きな場所で・好きな人と・好きなことを・好きなように・好きなだけやれる」という自由な人生を実現できるのだから、それが私にとっても相手にとっても幸せなことだと思っていました。 ただ、 昨年2018年に本当にいろいろな方々とお会いさせていただく中で、私よりも圧倒的に経営者として上の結果を出されている方々から直接のアドバイスをいただく機会もありました。単なる雑談ではなく、弊社の決算書の数字を見ていただいた上での経営コンサルです。まず、ある男性経営者の方から、  「白坂さん、なんで人を入れないんですか?」  と言われました。その時は、正直、まだピンと来ていませんでした。「人を入れること」が「会社をより良くすること」だという結びつきが自分の中で出来なかったからです。話を聞きながら、「なぜ、人を入れるということが、そんなに大事なことなのだろう?」と半信半疑の気持ちでアドバイスを聞いていました。 しかし、 そのすぐ後に、今度は別の女性経営者の方からもアドバイスをいただきました。その方も経営者として信じらないくらい凄い結果を出されている方です。  「白坂さんお一人でこの結果を出されているのだったら、人を入れたら数字が1桁・2桁、、、変わりますよ。」  桁違いの結果を出されているお二方から全く同じアドバイスをいただいたことで、私は私自身に禁じていたことを破ることにしました。  「人を雇おう」、と  「なぜ、人を雇った方が良いのか?」は正直、分かっていませんでした。「人を入れること」が「会社をより良くすること」だという結びつきは、頭の中では出来ていませんでした。ただ、私よりも格段に上の結果を出している経営者の方々からすると、私の会社の最大の課題は私が1人でやっていることなのだということだけはハッキリしました。 とても貴重なアドバイスをいただいたにも関わらずやらないのだったら、その貴重なアドバイスそのものを無駄にしてしまいます。なので、昨年2018年の年末に、「来年2019年は、人を雇おう」と決意したわけです。 ・・・・・・・・・・・・ 人を雇うと決めた時点では、「なぜ人を雇った方が良いのか?」ということは正直、ピンと来ていませんでした。ただ、3回目の失敗だけは絶対にしたくない、という想いは強くありました。人は失敗しながら学んでいくものです。だから失敗してもいい。しかし、全く同じ失敗を何度も・何度もするというのは、あまりに愚かです。人としての成長が全くありません。だから、今度は、今度こそは失敗したくない。 なので、今度は事前準備をしっかりとしました。ぶっつけ本番ではなく、事前に専門家と相談をしながら法的な受け入れ態勢をキッチリと整えた上で、初めて求人を行うことにしました。そして、いざ法的な周りを固めることが出来て、いよいよ求人を始めようかなと思った矢先に、  1人の素敵な女性を引き寄せました  育休から復帰してパートタイムとして別の会社さんに復職しようとしていたところの彼女に、「それだったら、うちで正社員として働きませんか?」と声をかけたところ、二つ返事で「よろこんで!!」と引き受けていただきました。私が、私自身や妻そして娘や息子など最愛の家族と同じくらい、純粋に、  「この人にも同じくらい幸せになって欲しいな」  と感じられる方でした。 そして、いざ雇う方が正式に決まって初めて、「なぜ、人を雇った方がよいのか?」ということが分かりました。雇う方が決まるまでは「なぜ、人を雇った方がよいのか?」は分かりませんでしたが、いざ雇う方が決まったら、「なぜ、人を雇った方がよいのか?」がハッキリと分かったのです。  幸せにしたい対象が明確に決まると、やった方が良いことが自然と見えてくる  「どうすれば彼女は『うちの会社で働いてよかった!』と感じてくれるのだろう?」という視点を持つと、経営者としてやった方が良いことというのが、どんどん見えてきました。今までは自分1人が、自分のやることを把握していれば良かった。極論、ぶっつけ本番の好き放題でもよかった。しかし、彼女という他人が会社に入るとなると話は別。会社はもう私個人の所有物ではなくなります。  「私の会社」が「私たちの会社」に変わる  理念、ビジョン、戦略、、、今まで「経営学」という机上で理解していたことが、実際上で「どれほど重要なものなのか?」というのが完全に腑に落ちました。理念などは形式的にあった方が良いものではなく、実際上で本当にあった方が良いものであり、また、ない状態で経営を上手く行かせることなど出来ないということが分かりました。 結局、30才で起業して14年間、会社経営をやってきていましたが、今年2019年が本当の意味で経営者になった年となりました。今までは肩書きこそ経営者だったものの、実質的な経営者ではなかった。今までは、  職人  自分で自分の職場を作っていた、だけ。たしかに職人だったおかげで、この14年間で仕事はできるようになりましたが、自分のためではなく他人のための職場は創っていませんでした。もし私が自分自身に禁じていた「人は絶対に雇わない」というオキテを守り続けていたら、私は一生、職人として生き続けたことでしょう。 もちろん、職人には職人の素晴らしいところもありますが、職人と経営者は明らかに別です。職人は自分の職場を作りますが、経営者は  他人が働く場所を創ります  今までの14年間とは全く違った新しい仕事が始まりました。まさに3度目の正直です。今度こそ上手く行かせていきたいという気持ちはあります。そして何よりも、前の会社への復職を急遽で断ってまで、うちで働くことを決断してくれた彼女を  最高の幸せへと導いていきたい  と思っています人を雇うということ 貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。ありがとうございます。それでは、また。 白坂慎太郎 追伸:4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!!  続きを読む

勇気を出す方法

経営

 白坂です、 文章のご確認、感謝しています。ありがとうございます。 まず、 4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!! さて、 勇気を出す方法 いただいたメッセージを1通、、、 >「今回のメール胸に響いて、少し泣いてしまいました。  勇気が出ました。有り難うございます!」 勇気という言葉を聞くと、何かとても勇敢なことをする気持ちという印象があります。たとえば、バンジージャンプに挑戦してみるとか、スカイダイビングに挑戦してみる、とか、、、 もちろん、それら勇敢なことに挑戦するというのも勇気は勇気なのだとは思いますが、経営に直結している勇気というのは、必ずしも、それら勇敢なことをどれだけしたか・どうかだけには止まりません。むしろ、本当の勇気というのは、  自分の良心に素直に従えている時に出てきます  逆の言い方をすると、何か1つでも後ろめたいことがあると勇気というのは出てきません。 人は「論理の生き物」ではなく「感情の生き物」です。だから、頭では「こうやった方がいい」と分かっていたとしても、なかなかその通り完全完璧にはできません。たとえば赤信号は渡ってはいけないという交通ルールがありますが、「周りに車が全然走っていないからいいや」とか、「私だけではなく他の人も渡っているからいいだろう」と自分の都合良く解釈して、何だかんだで頭で知っていることと違うことを考えがち、です。 頭で理解していることをその通りに完全完璧にやることが出来る人なんて、ただの1人もいません。みんな完全完璧には出来ていません。8割でも出来ていれば合格。残り2割くらいは「本当はこっちの方がより正しいのだけれども、実際は、、、」というグレーゾーンみたいなものが、ありとあらゆるところに存在しています。 いついかなる時も清廉潔白(せいれんけっぱく)というのは頭の理屈だけの話で、実際の人間は「白」と「黒」の間のグレーゾーンの中で生きています。だからこそ経営者の器というのは  清濁併せ呑む  に関わっているわけです。濁っている部分に対して、イチイチ、「それはココの部分が間違っている!」「そうではなくて、コッチの方が正しいんだ!!」とやっていたら、世界中のただの1人とも良好な人間関係を築くことなんか出来ません。なぜなら、ありとあらゆる時で、いつ・いかなる時も完全完璧に正しい行為が出来る人なんて1人もいないからです。 「本当はこうするのがより良いのだけど、まぁ80点くらいは出来ているから、この人は大したものだ」というくらいの度量がないと、他人と協力しながら事業を大きくしていくということは出来ないわけです。いわば、  社会というのは80点くらいの人たちの集まりで成り立っている  ということです。 ・頭では100点のことを知っている↓・しかし、人は頭で知っている100点満点のことは実際は出来ない↓・だから、100点のことを頭で知りながら、実際は80点でも良しとする  それが、60点の人をも良しとし、40点の人をも良しとしたならば、それだけ、その人は度量が大きいということになります。 ただし、 それはあくまでも相手や世間に対しての態度であって、自分自身にとっての基準としてはやはり良くないわけです。たとえ、人間は完全完璧にはなれないと頭では知っていたとしても、それでも、  自分自身に対してだけは、あくまでも完全完璧を追求し続ける  「赤信号は渡ってはいけない」というルールが存在しているのであれば、たとえ周囲に車が全然通っていなかったとしても、たとえ他のみんなが赤信号にもかかわらず渡り始めていたとしても、自分だけは赤信号では渡らない。 なぜなら、「赤信号は渡ってはいけない」は法律だから。人が次々に法律を破り出したら、社会の秩序を維持することは出来ません。もし、その法律が時代に合わなくなり、その法律にみんなが従うことが合理的ではないというのであれば、その法律そのものを廃止すべきで。もし、その法律が廃止されずに有効に存在し続けているのであれば、やはり法律に従うことこそが正しいです。つまり、  正しいことを正しくやることが出来ている時にだけ本当の勇気が出てくる  ということです。「他の人がどう言っている」とか、「常識ではこうなっている」とか、「世間のみんながこうやっている」とかではなくて、自分の良心に照らし合わせて何1つとして後ろめたいことがなく、 ・奥さんに対しても、・旦那さんに対しても、・こどもたちに対しても、・社員さんたちに対しても、・株主たちに対しても、、、、  「これが正しいことなので、これをやります!!」  と断固として言おうとしている時に、本当の勇気が出て来ます。つまり、自分にとって本当に大事な人たちに対して、何一つとして後ろめたいことがないことをやろうとする時に  勇気が出て来ます  「これはどう考えても、こうやった方がよい」という自分の内側からの確信があったならば、「誰が反対している」とか、「みんなの賛成が得られない」とか、「あのお偉い先生からの同意が得られない」とか、、、それらのことは、一切、関係なく感じられます。たとえ100人中100人に反対されようが、  「分かりました。では、私1人でやります」  と断固として主張できるようになっています。世間というのは100点満点ではないのです。80点なのです。常識に従っていれば概ね80点は取れるかもしれませんが、100点は取れません。もし100点が取れることがあるというのであれば、それは他人の意見や世間の風潮に従ったときではなく、  自分自身の内から湧き上がる良心の声に従った時だけ  単に周囲からの反対に、ただ頑固だというのではないのです。良心の声というのは複雑ではなくとても単純なので、本当に正しいことというのは簡単に分かることなのです。「赤信号はこういう場合は渡って良くて、逆にこういう場合は渡ってはいけない、、、」などと複雑なものでは決してなくて、「赤信号は渡ってはいけない」と言うほど、極めて単純なものなのです。だから、  良心の声というのはとてもか細いけれど、聞き間違えることは絶対にありません  「いろいろな人がいろいろなことを言っているけれど、物事というのは、本当にそれほど複雑なのだろうか?」と自問自答をしてみます。周囲の複雑さに自分も流されそうになっている時には勇気は出て来ません。その時に出て来ているのは、単なる妥協の気持ち。世間の濁りを自分の基準にもしようとしている、だけ。 たとえ、相手や世間の濁りを許容できる度量は必要だったとしても、自分自身の基準までを世間に合わせてはいけません。仮に生きている間は到達できなかったとしても、あくまでも自分自身に対してだけは求める基準を  完全完璧とする  実際に出来ているか・どうかではなく、あくまでも目指して努力すること。努力し続けること。自分は自分が求めている完全完璧の基準からすると、まだ・まだ、、、だと思えること。それが自分の成長余地です。 そして、いざ本当に大事なことを決断しようとするとき、、、その時に自分の心に何一つ引っかかることがなく、これは ・奥さんにも・旦那さんにも・こどもたちにも・社員さんたちにも・株主たちにも、、、、  「これが正しいことなので、これをやります!!」  と堂々と言おうとしている時、、、その時にこそ、正真正銘、 本物の勇気が出て来ています 勇気を出す方法 貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。ありがとうございます。それでは、また。 白坂慎太郎 追伸:4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!!  続きを読む

経営者はサイコパス

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 白坂です、 文章のご確認、感謝しています。ありがとうございます。 まず、 ※最初に大切なお知らせを1点、、、あと3日後の【3月13日(水)18:00】にメルマガ読者さん限定で新プロェクトをついに発表します。もし無料での案内受け取り希望の場合はメルマガにご登録くださいませ。→ 無料案内受け取り希望はこちら さて、 経営者はサイコパス ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ サイコパスの特徴:・結果至上主義・冷静・冷徹・必要なときにリスクを取る・緊急時、重要な問題に集中する・失敗のあと回復するメンタル面の強さを持っている、、、 『サイコパス 秘められた能力』より一部引用 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ サイコパスという言葉には殺人鬼のようなネガティブな印象がついていますが、サイコパスという言葉は必ずしも殺人鬼を意味していません。一言で言えば「結果至上主義」のことです。結果を出すためであれば、冷徹な判断もするし、リスクも取るし、集中もするということです。つまり、  本当のプロは全員がサイコパス  だと言えます。当然です。プロが評価される唯一の基準は結果だけだからです。結果でのみ評価されるプロがサイコパスなのは当たり前です。サイコパスという言葉に人を殺すという殺人鬼の印象がついてしまっていたとしたら、それは設定した目標に誤りがあったというだけ、です。設定目標が殺人に対してではなく、極めて合法的な目標に対しての結果至上主義であってもサイコパスであると言えます。  経営者はサイコパス  サイコパスというカタカナに精神病質という日本語が対応しているのは、サイコパスは少数だからです。人は無意識に「人間はみんな平等である」という考えを持っています。みんな平等であり、一人一票であるから、多数派の考えが正しいという観念を持っています。そうすると、「結果至上主義」、「冷静・冷徹」、、、というサイコパスは少数派なので、異常であり、精神病質という解釈になっているわけです。 ただ、政治は「一人一票」の「多数決の原理」で動いているのかもしれませんが、経済は違います。経済は平等という観念で動いているものではなく、自由という観念で動いています。資本主義とは、欲をエネルギー源とした自由競争です。だから、多数だから合理的だけれど少数だから不合理だということにはなりません。 たとえば、会社の中で何かを議論をしていて、99人の従業員が反対しているからと言って、1人の経営者の考え方が間違っているとは限りません。逆に99人の従業員が反対していたとしても、1人の経営者の考え方が妥当だという場合もあります。なぜなら、人は基本的に変化を嫌うからです。昨日と同じ今日であれば今日にも安心を感じ、昨日と違う今日であれば不安を感じるのが人間です。 だから、99人の従業員が反対していたとしても、それが今から実現していきたい結果に対して合理的な理由で反対しているとは限りません。むしろ、過去の経験に基づいて変化を嫌い、一般的な常識で反対しているだけかもしれません。 もし過去の延長線上では絶対に実現できない目標を設定している場合は、過去の延長で考えている99人の従業員の考え方が妥当ではなく、未来からの逆算で考えている1人の経営者の考え方こそが合理的であるということはよくあります。 基本、経営者がその会社のことに関して、1番、真剣に考えています。24時間365日で、寝ても・覚めても、「どうすれば目標を達成できるか?」を誰よりも真剣に考えています。 その誰よりも真剣に考えている経営者の考えが、経営者以外による「それは上手くいかないと『思います』」とか「こうした方が良いと『思います』」という感想程度の意見より劣っているということは極めて稀です。感想程度の意見というのはほとんどアテになりません。 思いつきの感想程度の「思う」で上手くいくほど経営は甘くありません。あくまで結果に対して謙虚に、日々、「仮説→実行→検証→改善」の中で、成功の確率を高め続けていくのが本当の経営です。だから、経営者は、たとえ従業員99人が反対していたとしても、自分1人の考えを貫いて決断するということもします。そうすると、 ・「独断だ!」・「ワンマンだ!」・「まだ議論が尽くされていない!」  「あの人は人の気持ちが分からない人だ!」  という批判にもつながりがち、です。人の気持ちが分からないわけではないのです。ただ「結果至上主義」なだけ、です。つまり、  結果に対して、いつも合理的に判断しようとしているだけ  99人の人たちの意見を採用しなかった判断がたとえ冷酷に見えたとして、経営者本人としては極めて合理的に判断をした、だけ。多数意見だからいつも・いつも正しいわけでもなければ、少数意見だからいつも・いつも間違っているわけでもありません。大事なのは、  「目標に対して合理的か・どうか?」  結果だけで評価されるプロが結果至上主義なのは当たり前です。もし空気を読みながら、調和を重視し、みんなに対してニコニコしていたとしても、会社を倒産させてしまったら、結局みんなに対して多大な迷惑をかけてしまいます。であれば、たとえ付き合いが悪くて、無愛想で、全然ニコニコしていなかったとしても、結果至上主義で、目標達成に対して合理的な判断をし続けた方が、よほど、みんなの幸せにつながります。 もし会社の業績が良くなっていけば、・株式価値が上がるので、株主をよろこばせることができて、・増えた利益の範囲内で、社員さんの給料を増やすことができて、・納税を通じて、社会に貢献していくこともできます。であれば、  経営者がサイコパスなのは当然  サイコパスは少数派なので、従業員のみんなと仲良くすることは出来ない人なのかもしれません。ただ、仲良くは出来ていなかったとしても、信頼はされます。結果を出すことができる経営者は、イザという時には誰よりも頼りになります。 たとえば、もし自分の身体を治して欲しいのであれば、いつもニコニコした愛想は良いけれど並みの知識・技能しか持たない外科医の先生よりも、たとえ人付き合いは良くなくて親しみにくい人だったとしても  腕は超一流の外科医の先生に診てもらいたい  だから、サイコパス的な経営者は、たとえ人付き合いは良くなかったとしても、イザ誰かに会いたいと希望すれば、大概の人とは会えます。なぜなら結果を出しているからです。人は自分に実績があれば会いたい人にも会えます。まして自分の実績を通じて相手にも便益を与えられる提案ができるのであれば、大概、会えます。必ずしも日頃から付き合い良く笑顔でニコニコしていなければならないわけではないのです。 プロは結果のみで評価されます。であればプロが結果至上主義なのは当たり前です。であればプロの経営者がサイコパスなのも当然です。サイコパス的に結果至上主義の経営者だけが、 会社を偉大な企業へと成長させていきます 経営者はサイコパス  貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。ありがとうございます。それでは、また。 白坂慎太郎 ※最後に大切なお知らせを1点、、、あと3日後の【3月13日(水)18:00】にメルマガ読者さん限定で新プロェクトをついに発表します。もし無料での案内受け取り希望の場合はメルマガにご登録くださいませ。→ 無料案内受け取り希望はこちら  続きを読む