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退屈は才能

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白坂です、   退屈は才能 まず 才能とは何でしょうか? ある物事を簡単に出来る能力 です。 もちろん、 本人が簡単に出来るようになったのは 単純に、膨大な量をこなして来たから。 ・量をこなし ↓ ・質が高まり ↓ ・簡単に出来るようになった(才能) です。 敢えて点数化するならば、 80点以上になっている能力です。 そうすると、 80点を81点に、81点を82点に、、、 伸ばしていくのは、どんどん難しくなって行きます。 時間やエネルギーを投資しているにも関わらず、 以前ほど目に見えた伸びを実感できなく なっています。 だから、 本人が飽き始めている。 退屈し始めている。それが、 才能 です。 伸び悩んでいるときに退屈を感じている。 この時に、「感情」と「論理」を ごちゃ混ぜにしてしまい、がち。 ・伸び悩んでいる ↓ ・しかも感情的に退屈している ↓ ・「だから新しいことをした方がいい」が【誤り】。 退屈しているのは専門家だから。 新しいことに対しては素人。 だから、成功確率が高いのは、 新しいことに挑戦することより、 今までやって来たことを深掘りし続けること。 大事なことなので3回、書きます。 ・「感情」と「成果」は無関係。  たとえ退屈していても、  「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。 ・「感情」と「成果」は無関係。  たとえ退屈していても、  「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。 ・「感情」と「成果」は無関係。  たとえ退屈していても、  「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。 しかし、 人は、やはり感情の生き物なので、 伸び悩んでいる時ほど、新しいことを やり始めたがる。 たとえば、 ビジネスで実績を出した経営者が、 一時、ビジネスで伸び悩みを感じた時に、 FXをやり始めたりする。 しかし、 ビジネスに必要な能力と、 FXに必要な能力は全く別。 ビジネスに必要なのは、 企画・集客・販売、、、に関する能力が必要。 一方、 FXに必要な能力は、反射神経。 誰よりも速く買って、誰よりも速く売れる能力。 全然、違う。 しかし、ビジネスで結果を出したことがあるが ゆえに、「FXでも成功できるはずだ!」と 自分を過信し、FXで大失敗してしまう。 退屈という感情に負けて、 新しいことへの刺激を求めてしまったが ゆえの失敗。 >「退屈している。だから辞めるべき」 >「刺激がある。始めるべき」 いずれも【感情論】。 一見、筋が通っているように見えて、 実際は単なる暴論。 実際、 「感情」と「成果」は関係ない。 無関係。 たとえ、 刺激的であっても、初心者の技能しか 持っていなければ、成功は出来ない。 逆に、 退屈していても、なすべきことが 上手に出来るならば、やはり成果は出る。 退屈は才能 本人が簡単に出来るようになったものほど、 本人自身が凄いと全然に思っていない。 だから、才能というのは、本人が1番、 気が付きにくい。 もし気づけるとしたら、 本人なりの考えではなく、 【他者から頼まれた時】 >「これを、やって欲しいです」と 頼まれた時は、 相手には出来なくて自分には出来ること を、直球で教えてくれている。 そこに、自分の「やりたい」「やりたくない」 という感情を持ち込むと、話が難しくなる。 自分は簡単に出来る。 刺激はない。ワクワクもしない。 ただ、相手から頼まれている。 であれば、頼まれごとを【やる】。 退屈は才能 自分は出来る。 しかも簡単に出来る。 しかし、 たとえ自分が簡単に出来ることだったとしても、 他の人が出来ないならば、それが才能。 たとえば、 よくある失敗事例で、今まで40年間、 公務員をやり続けて来た人が、退職後に なぜかラーメン屋など外食で第二の人生を 始めてしまうパターン。 単に ラーメンや外食など食べるのが好きだという 理由だけで、今までの40年間の公務員生活を 全く活かさない。 ラーメン屋の経営は初心者。素人。 当然、上手く行かない。 もし、 第二の人生も成功させたいのであれば、 あくまで、過去40年間の公務員時代の 仕事で実績があることで何かやるべき。 同じ業界の中では全然、凄くないかもしれない。 まして、自分が簡単に出来ることだから、 自分では凄いことだとも思っていないかもしれない。 しかし、 それは、過去40年間やり続けていたから 簡単に出来るようになっているだけで、 他の人だと出来ないことが必ず、ある。 ・「感情」と「成果」は無関係。  たとえ退屈していても、  「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。 ・「感情」と「成果」は無関係。  たとえ退屈していても、  「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。 ・「感情」と「成果」は無関係。  たとえ退屈していても、  「なすべきことをなしていれば」成果に繋がる。 退屈は才能 「刺激」や「ワクワク」を満たすのは、 あくまでも『趣味』で満たす。 趣味だったら、自分のお金を使って いくらでも「刺激」や「ワクワク」を 求め続けて良い。それこそ、好きなことを 好きなだけやれば良い。 しかし、 仕事は別。事業は別。ビジネスは別。 自分が好きなことではなく、あくまで 得意なことで、相手の要望に応えるべき。 退屈は才能 「感情」と「成果」を切り分ける。 なすべきことを、なす。 求められていることを、やる。 どうしても 好きなことをやりたいのであれば、 事業を成功させて、余裕資金を沢山創って、 自分のお金で趣味として、やる。 成功を遠ざけているのは、 「やりたい」「やりたくない」という感情。 その感情さえ持ち来なければ、成功するための 才能は既に持っている。 人から求められていること、 頼まれていることに対して、 自分が簡単に出来る得意なことで応える。 そうすれば、 成功して行くことが出来ます   退屈は才能 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎 追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

専門は特殊

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白坂です、   専門は特殊 たとえば、将棋。 >「将棋をやれば・やるほど 論理的な思考力が身に付く。 だから、将棋をもっとやった方がいい」 というような考えがあったとして、、、 この考え方は、 どれほど妥当でしょうか? 実際は、 ほとんど関係がありません。 つまり、 将棋をやったから論理的思考力を 鍛えられるとは言えない。 逆に、 将棋を全くやっていなくても 論理的思考力は鍛えられる。 なぜなら、 専門は特殊だから 将棋をやることで鍛えられるのは、 将棋というゲームに強くなる力。 それ以上でも・それ以下でもありません。 だから、 将棋の超一流棋士だから 囲碁でも超一流棋士になれるとは言えない。 なぜなら、 将棋の専門技能は将棋に対してのものであって、 囲碁に対するものではないから。 将棋の超一流棋士が囲碁の超一流棋士と 囲碁で勝負すれば、当然、囲碁の超一流棋士が 勝つ可能性が高い。 一見、似ている将棋と囲碁でさえ 将棋の技能の応用が効かないのだから、 当然、 ・将棋をやっていればビジネスにおいて  論理的思考が出来るとは全く言えず、 ・将棋をやっていれば投資において  論理的思考が出来るとも全く言えない。 端的に言って 関係がない つまり、 物事というのは、ある一定上の レベルになると応用が効かない、 ということ。 だから、 将棋のプロ棋士は、一生、将棋の世界で 生きていく人達が圧倒的に多い。 なぜなら、 将棋の世界で身に付けた特殊技能は、 将棋の世界でこそ活きる技能だから。 専門は特殊 世間は、ある専門家に対して、 まるで専門以外も含めて何でも出来る スーパーマンのようなイメージを勝手に抱きがち。 しかし、 他のことに対して全く無関心だったからこそ、 専門家が専門分野に集中できていたという事実を 忘れてしまっている。 だから、もし相手が本当に専門家である場合、 その専門家は、その専門以外はほとんど何も出来ない。 それが現実。 ・専門家だから何でも出来るというわけではない。 逆に、 ・色々な分野で出来ないことがあるからと言って  専門家になれない、というわけでもない。 だから、 何か1つの分野で専門家になれたからと言って、 「他の分野も含めて何でも出来る」という スーパーマン幻想を見ると危険。 本人は傲慢になり、周囲は盲信する。 悪い意味で宗教化してしまう。 一方、 他の大勢が普通に当たり前に出来ることが 自分は出来ないとしても、だからと言って、 何の専門家にもなれない、というわけでもない。 出来ないことが10個あっても、100個あっても、 だからと言って、成功には何も関係がない。 なぜなら、成功は出来ないことがもたらすものではなく、 出来ることがもたらすものだから。 1つで良い。1つあれば充分。 たとえば、 小学校では、国語・社会・算数・理科・英語・ 音楽・体育、、、など、たくさんの教科を 一通りやらせる。 もちろん、 やってみなければ、才能があるのか・ないのかが 分からないので、一回は、やらせてみることにも 意味がある。 しかし、 実際、やらせてみれば、「才能がない」は すぐに分かる。 もし小学校範囲で苦戦しているならば、 「才能がない」。そして、それで良い。 選択肢を1つ消せている なので、 >「音楽が出来るんだから、 体育も頑張れば出来る」は【嘘】。 関係ない。 >「国語が出来るんだから、 算数も頑張れば出来る」も【嘘】。 関係ない。 本当に才能がある子だったら、 周囲から「頑張れ!」なんて言われていない。 無意識に出来ている。 1度もやったことがなければ、 やってみないと分からないので、 やってみることには価値がある。 しかし、 やってみれば「才能がない」ことには 簡単に気づく。小学校範囲で つまづいている時点で「才能がない」。 だから、 選択肢をちゃんと1つ消せている 物事は、ある一定以上になると 応用が効かない。 体育が出来るから音楽も出来るようになるわけでもない。 さらに、野球で1位になれたからバスケでも1位に なれるわけでもない。 専門は特殊 出来ないことが10個あっても、 100個あっても大丈夫。 気にする必要はない。 なぜなら、 出来ないことは成功や夢実現に 関係のないことだから。 逆に、 たった1つの専門分野に関しては、 他者の意見を聞く必要はない。 >「人は、どんな人からも学べる」 は、専門「以外」に関しては真実でも、 専門分野に関しては【嘘】。学べない。 素人100人、千人、1万人、、、 の意見よりも、専門家1人の意見の方が 真実に近い。 だから、 専門家になれば・なるほど、 アドバイスをもらえる相手が減り、 また話を理解してもらえる相手も減る。 専門は特殊ゆえに、 専門家は必然的に孤独になる。 人間関係の豊かさは、 専門「以外」の家族や趣味の分野では 実現するとしても、専門分野では実現しない。 本当に優秀な人が孤独なのは、 彼ら・彼女たちが専門家だから。 その道を極めようとすれば・するほど 理解されなくなる。それでも、更に 先に進みたいか・どうかは、 まさに「生き方」の問題。 専門は特殊 ・たくさんのことが出来なくても大丈夫。  1つ出来れば充分。 ・1つの専門家だからといって、何でも  出来るわけではない。傲慢になってはいけない。  盲信してもいけない。 そして、 ・専門を極めようとすれば・するほど  道は細く、世界は狭くなる。  それでも極めようとすれば、  あくまで専門を進み続ける、のみ。 専門は特殊であるがゆえに希少性が高い。 だからこそ、 専門家は社会に大きな価値を提供しています   専門は特殊 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎 追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

やらないリスクは?

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白坂です、   やらないリスクは? 人は、 リスクと言うと「やる」リスクのことばかり 考える傾向があります。 たとえば、起業。 「起業するか・しないか」を考える時の リスクは、「起業することのリスク」。 従業員時代の安定収入を失ってしまうリスクとか、 失敗したら生活していけなくなる可能性があるリスクとか、、、 とにかく「起業することのリスク」について考えがち。。。 ただ、 本当に大事なのは「『する』リスクなのか・どうか?」。 もし、「する」リスクについて、そこまで 考えるのであれば、その10分の1でも、 【やらないリスクは?】 を考えた方が よほど現実的。 もし、 起業しないことにリスクがないのであれば、 起業する必要などない。 ただ、 「起業しないことにリスクがない」というのは 単なる思考放棄。実際は存在しているリスクを 「見ざる」「聞かざる」「言わざる」で 目と耳を塞いでいるだけ。たとえば、 「60歳で定年退職した【後】の人生は?」 その会社一筋40年で働いた場合、 定年退職日は、会社からも家族からも、 祝福されるかもしれない。 ただ、その定年退職日のお祝いの1日が 生きていながらに迎える社会的な生前葬。 今までは会社の信用力で仕事をしていた人が 定年退職をした後は、会社の信用を失う。 社会的な繋がりは退職後1年も経たずに 全て失くなる。 後の10年・20年・30年、、、は 長い・長い余生。社会的な孤独の中で、 年金をもらいながら年金の範囲内で 質素倹約の生活を続けるのみ、、、 そういう、 【やらないリスク】も考えることが大事。 人生における大事な決断をする場合、 「やるリスク」と同じように「やらないリスク」も 同じように考えることが重要。 最も分かりやすいのは、 ガンになった場合。 ガンの専門の先生が、 完治の可能性があるのは手術であるという 説明をしてくださったとする。 当然、 手術をした場合のリスクを医師の先生は説明する。 最悪、手術中に命を落とす可能性があることも 手術前に本人や家族に説明する。 もし、手術をしないことにリスクがないのであれば 手術などしない方が良いに決まっている。 自分の大事な身体にメスを入れて傷をつけながら わざわざ生命の危機に直面する必要はない。 ただ、 それでも手術という決断をするとしたら、 それは「する」リスクよりも、「しない」リスクの方が 上回っているから。 もし手術をしなければ、この後の推定余命が2年以内で、 逆に、手術に成功すれば完治の可能性があり、その後、 10年・20年、、、と生き続けられるとしたならば、 「する」ことのリスクを承知で、やっぱり【する】という決断になる。 【やらないリスクは?】 人は、ついつい「やる」リスクばかりを気にする。 もちろん、何をやるにしても「やる」ことには リスクはある。だから、やらないことにリスクが ないのであれば、やる必要はない。 しかし、 実際は、【やらないことにもリスク】がある。 たとえば、 日本経済で考えた時に、 ・日本の総人口が減少し続けていて、 ・少子高齢化の中で、 ・若者・子どもたちの税や社会保険料負担が  大きくなり続けることが目に見えているのに、 それでも、 「やらない」というのは、もはや論理的な思考を 完全に放棄している。いわゆる「加齢ジリ貧」。 挑戦することに保証はない。リスクはある。 何をやっても必ずリスクはある。 だから、リスクがあるのは当たり前。 問題は、 【やらないリスクは?】 手術は手術中に命を落とす危険性を承知で、 それでも完治を目指し、10年後・20年後・ 30年後、、、の自分が過去の自分の決断に 感謝するために行うもの。 「やる」ことのリスクは無意識に誰でも考える。 だから、それ以上に深刻に考える必要はない。 むしろ真剣に考えるべきは、 【やらないリスクは?】 「やる」ことと「やらない」ことで  どちらの方が、より大きなリスクか? もし、 「やらない」ことにリスクがないなら、 「やる」必要はない。そのまま時間とともに 今までと同じように年を重ねていけばいいだけ。 逆に、 決断し・行動し・挑戦している人も居る、、、 というのであれば、【やらないリスク】のことを 誰よりも真剣に考えているから。 今から10年後・20年後・30年後、、、に 分かりきった未来が実際に到来する前に、 実際に決断する。そして動く。動き始める。 そうすれば、 たとえ、日本全体を変えることは出来なくても、 個人単位・家族単位・会社単位、、、では、 長期的な衰退を逃れることが出来る。 むしろ、リスクを承知で リターンを全力で獲りに行った分、 想像以上に 遥かに大きな夢実現を体験することが出来ています   やらないリスクは? 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む