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【死なばもろとも】感想 東谷義和(ガーシー)さんの本レビュー

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白坂です、   【死なばもろとも】   結論: とても面白かったです。   内容は、 芸能界という厳しい競争世界で生きている人たちの実情。 テレビで活躍している芸能人たちは、実際、どういう状況なのか?   かつて運営されていたガーシーさんのYouTubeチャンネルは芸能人の暴露話という感じでした。   しかし、 本の方は芸能界で生き抜くための【処世術】というような内容になっています。 全般的に面白かったですが、個人的に特に「なるほど」と勉強になった場所を2か所、ご紹介します。   (1) >「『忖度』と『恩義』は違う。   どうもパッとしない若手芸人は、レギュラー番組がほしい。レギュラーという利益がほしいから、プロデューサーに必要以上に気を遣う。真心がなく我慢と不満がベースにあるのが『忖度』や。こういう人間関係は弱い。   『忖度』とは対照的に、『恩義』に基づく人間関係は強い。恩には恩で返す。利害で結びついた人間関係やないから利益を得られようが得られまいが、関係性は変わらない。それどころか、こちらにデメリットがあっても、恩をくれた人に対しては徹底的に恩返しをする。これが『恩義』の強さや。   真心がベースにあるんや。」     ・自分の利益のために本心ではなく相手に気を遣う「忖度」 と ・ただ・ただ相手の幸せのために相手に気を遣う「恩義」   気を遣うという表面上の言動は同じでも、その言動が出ている『心の在り方』が違う、、、ということなのだと思います。   そして、忖度は自分に利益を与えてくれる可能性がある人であれば誰にでも表面上で気を遣うのに対して、恩義は自分が「して上げたい」と本心から思える特定の相手に対して気を遣う行為なのだとも感じています。   ・・・・・・・・・・・・   (2) >「『スター』と『ホシ』を分けるモノ   芸能界の超一流は「スター」と呼ばれる。しかし、スターの座は長くは続かない。多くの者は闇に落ち、いずれ警察用語で犯罪者を意味する『ホシ』と呼ばれる。   俳優、アーティストとして超一流とそれ以外を分けるものは何か。 それはマスコミや世間一般の声なんて気にせず、芸事を磨けるかどうかや。   圧倒的努力や。   努力したからこそ、あいつらはスーパースターに成り上がったんや。 マスコミの力なんか借りずに、あいつらはステージで実力を見せつけて成り上がった。」     「ホシ」は、広告代理店やマスコミなどの力を借りて一時的に有名になった人たちであるのに対して、「スター」は圧倒的な努力によって実力を磨いた結果で表舞台に立ち続けることが出来ている。   一見、特別に見える芸能界も、実は他の業界と全く同じ。 テレビに出られさえすれば成功できるのではなく、極論、テレビに依存しなかったとしてもファンが応援してくれる本物の実力があってこそ本当の成功が実現する。   読む人が読めば自己啓発本にもなる『死なばもろとも』。 とても面白くかったです。   お勧めします。   【死なばもろとも】   あなたのとても貴重な時間にて最後までお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。   白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

孤独との向き合い方

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白坂です、   孤独との向き合い方 結論: 孤独と向き合うためには、 孤独への解釈を変えること。 もし平均ではなく、 平均以上の成功を目指そうとした場合、 孤独は必然です。 と言うのは、 その人がどれだけ 大きな成功するか・どうかは、 「どれくらい【先】のために今を生きているか?」 に尽きるから、です。 ・「今、この時・この瞬間の欲求を満たすために   今を生きているのか?」 ・「10年後に実現したい目標を達成するために   今を生きているのか?」、、、によって、 その人の生き方は 全く違ってきます。 たとえば、 小学生の中学受験。 鹿児島のような地方都市の場合、 「東京の開成中」や「鹿児島のラサール中」のような いわゆる難関中学校に合格する小学生というのは、 クラスに1人どころか、小学校に1人だったりします。 つまり、 99%の小学生は、難関中に合格しないし、 まして、目指してすらいません。 だから 99%の小学生は、小学校から帰ってきたら、 人間らしく、小学生らしく、 今、この瞬間の欲求を満たすための行動をします。 友達と一緒に遊んだり、 自宅でゲームをしたり、、、します。 それが 地方都市の99%の小学生の普通。 その中で たった1人、1週間に6日、塾に通い、 予習・勉強・宿題、、、を、ヒタスラ・ヒタスラ 毎日やり続ける受験生。当然、 孤独 です。 小学校に友達は居ない。 友達が居ないだけなら、まだ良い方。 なかには、イジメられている場合もある。 なぜなら、 友達と一緒に遊んでいる普通の子たちからして、 いつも・いつも勉強ばかりしている子は 友達付き合いが悪いから。変わっている。 普通に対する脅威の存在 だから、 地方都市の中学受験で、 いざ「東京の開成中」や「鹿児島のラサール中」に 合格した生徒たちのための『合格祝賀会』では 保護者たちの反応は、喜びよりも安心の方が遥かに大きかった。 >「先生、合格できて本当に良かったです。   これで、 地元の中学校に進学させないで済みます。」 子どもたちの合格という果実は 孤独の代償によって得られたもの。 99%の普通の子たちが 今、この時・この瞬間の欲求を満たすために 時間を使い続けた1年間、勉強・勉強・勉強、、、に 投資し続けたからこそ得られた成功。 これは 小学生の中学受験に限らず、 基本、 生きている限り同じ 10年後のために今、懸命に努力している 大人というのは、割合的は少ない。 それこそ1%くらいの人たち、だけ。 だから、 残り99%の人たちとは、時間の使い方が違う。 普通の人たちが持ち続けている慣習に従わない。 必然的に 孤独 となる。 人の間に「能力」の差はない。 数学的に完全なゼロではなかったとしても、 ほぼゼロ。 まして、これからの時代は AIとの比較になるので、 人間同士の差は限りなくゼロ。 ・能力はほぼ同じ。 にも関わらず、 もし時間の使い方まで同じだったら 結果も当然、同じ。 平均以上の結果など 望めるはずもない。  ・能力が同じであるにも関わらず、 人より優れた結果を望むのであれば、 当然、 人より時間をかけて努力するのは当たり前 生き方が違う。分かり合えない。 相手は自分を変えることは出来ないし、 自分も相手を変えることは出来ない。 だから、 孤独との向き合い方は、 孤独という状態への 自分の解釈を変えるしかない。 孤独は決して悪いものではなく、 成功を目指す上では 必然 もし孤独という状態を悪いものだと 解釈してしまい、孤独を避けようとすると 自分の本心を殺して迎合するしかない。 群れるしかなくなる。 もちろん、 常識的な慣習に従えば、角は立たない。 丸く収まる。近くに居る人たちの関係を 表面上だけなら繫ぎ止めることは出来る。 ただ、 迎合すればするほど、 群れれば群れるほど 自分の魂が確実に干からびて行く いつの間にか、本気で夢実現を目指さなくなり、 時間の経過とともに緩やかに・緩やかに 周囲とともに衰退し続けて行く。 当然、成功は絶望的になる。 自分が成功しないだけなら、まだ良い。 夢が叶わないだけなら、まだ良い。 最悪なのは、 自分が成功しなかった人に限って、 夢を叶えなかった人に限って、 他者の夢を破壊する側の人間になってしまうこと 子どもは生まれながらに好奇心の塊。 「やりたいこと」ばかり。 しかし、 20年後の20才の時には、 >「やりたいことが分かりません」 という無気力な青年になっていたりする。 なぜか? 周囲の親や教師たちに夢を壊されたから 自分自身が一生懸命に生きたにも関わらず、 夢を叶えられなかった場合、目の前の 相手の夢実現を信じてあげられない。 無理だと決めつける。 無謀だと決めつける。 世間知らずだと決めつける。 そして、 親や教師にとってだけの現実を、 「これが現実だ」と子どもに教えてしまう 目の前の子供達が夢を叶えられなかったことに どこか安心感を感じている。それどころか、 上手くいっていない子どもたちの欠点を 偉そうに指摘し続けている。 そんな 子どもたちの夢を潰すような 最悪な大人にならずに済むのであれば、 孤独、上等。 ただ昔から続いているというだけで 今では何の意味もなくなっている慣習に 従い続けながら自分の魂を干からびせて 行くくらいなら、 30年後・20年後・10年後、、、の 最高の未来に1ミリでも近づくための 努力を実際にした方が100万倍マシ 孤独との向き合い方は、 孤独への解釈を変えること。 孤独は悪い状態ではない。 成功を目指す上では必然。 避けようとする必要はないし、 自分を押し殺して孤独を解消しようとする 必要もない。 孤独、上等 もし、あなたが、今、 孤独を感じているとしたら、、、 それは、あなたは、あなたにだけ見えている 30年後・20年後・10年後、、、の 【最高の未来に続く道】の途上に居るから、 です。   孤独との向き合い方 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

運と実力

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白坂です、   運と実力 まず、 結果に対して 運が関係していることは確かです。 たとえば、 サイコロを振って「1」の目が出る 確率はいくらでしょうか? 長期的に、 ほぼ無限に近い回数でサイコロを 振った場合は、「1/6」です。 しかし、 短期的な少ない回数の場合、 必ずしも「1/6」とは言えません。 6回振るどころか 最初の1回目で「1」の目が 出ることもあり得ます。 「1」の目をが出て欲しいと願い、 1回しか振っていないのに 最初の1回目で「1」の目が出た。 すると、「運が良い」と感じます。 確率で「1/6」というのは、 あくまで、長期的に ほぼ無限に近い回数でサイコロを 振った場合だけ。 短期的には、 最初の1回目で出る場合もあれば、 6回振って1回も出ないこともある。 なので、 結果に運が関係していることは確かです。 ・幸運で結果に恵まれることもあれば、 ・不運で結果に恵まれないこともある。 ただ、 人生に運が関係していることは 確かだったとしても、 運に期待してはいけない 理由は簡単で、 運は制御できないからこそ運だから、です。 再現性がありません。 そして 何より 運に期待するようになると努力が少なくなる もし 結果が運で決まると考えると 努力の価値が低下します。 しかし、 短期的には運で決まるように見える結果も、 長期的には実力で決まります。 たとえば、 中学生の勉強。 ある生徒が ほとんど勉強しなかったのに90点を 取ったとします。 すると、 >「自分はほとんど勉強しなかったのに90点だった!」と 喜んでしまいがち。 勉強しなかった割に点数が良かったことを、 凄いと評価してしまっています。 万が一、 こういう思考法になってしまうと 成功は絶望的です。 なぜなら、 ・ほとんど勉強しないで取った90点よりも、  猛烈に勉強して取った100点の方が価値が高いから ・ほとんど勉強しないで取った90点よりも、  猛烈に勉強して取った100点の方が価値が高いから ・ほとんど勉強しないで取った90点よりも、  猛烈に勉強して取った100点の方が価値が高いから 「時間」「お金」「エネルギー」をほとんどかけず、 まぁまぁの結果に恵まれることを幸運と解釈するのであれば、 成功は絶望的。本当に成功する人は、 「1」の目が出るまでサイコロを振り続ける人 ・最初の1回目で「1」が出なくても、 ・6回振っても「1」が出なかったとしても、 ・10回振っても「1」が出なかったとしても、 「1」の目が出るまでサイコロを振り続ける人 もし、 テストで100点を目標しているのであれば、 運に関係なく、実力で100点満点を取れるだけの 努力を猛烈にし続ける。 結果に運は関係している。 しかし、本当に成功する人は、 たとえ運に恵まれなくても、 結果を必然的に創り出すだけの努力を続ける人 ほとんど「時間」「お金」「エネルギー」を かけていないことなど、自慢にも何にもならない。 幸運は存在していたとしても、再現性が小さいので 長期的には期待できない。 かけていない割に良い結果を得られることより、 たとえ「時間」「お金」「エネルギー」を 猛烈にかけてでも必然的に好結果を 創り出している方がよほど価値が高い。 運を否定することは出来ない。 しかし、運に期待するようになったら 成功は絶望的。 そうではなく、 >「それだけ膨大な『時間』『お金』『エネルギー』を かけて努力したら、それは成功する方が当たり前」 というだけのことを実際に【やる】。 運を制御することは出来ない。 だから、結果を完全に制御することも出来ない。 しかし、結果が出る確率を上げるための 努力であれば制御できる 人生、 6回中1回で、出て欲しい目が出たかどうかは 本質ではない。大事なことは、 出て欲しい目が出るまで10回でも100回でも 振り続けることが出来るか・どうか? 人生、 「PDCAを何回までしか回してはいけない」 という決まりは【ない】。欲しい結果が出るまで 回し続けていい。 結果に運は関係している。 ただ、制御できないからこそ運であり、 制御できないのであれば期待してはいけない。 期待すべきは、 あくまで ・自分の実力であり、 ・実力を高める努力であり ・努力し続けられる自分の潜在可能性 出て欲しい結果が出るまで PCCAを何十回・何百回、、、と 回し続ける。そうすれば、 夢実現を必然的に体験できています。   運と実力 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

怒りが人生を変える

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白坂です、   怒りが人生を変える 怒りという感情は、 他者との関係を悪化させる 可能性があるエネルギーであり 【自分自身を守る】感情でもあります 一般的に、 「怒っちゃいけない」「怒っちゃいけない」、、、 という考え方が常識になっているのは、 自分の周囲に居る人との関係を重視してこそ。 ・みんな仲良くしましょう ↓ ・怒ると相手との人間関係が悪くなる ↓ ・だから怒っちゃいけない、、、 しかし、 そもそも、 「なぜ怒りという感情が湧き上がって来たのか?」 簡単です。相手の言動が許せる範囲を超えているから。 つまり、 度が過ぎているから たとえば、 会う度・会う度に、 小言を言われるとします。 >「あれは良くなかったんじゃないのか?」とか、 >「もっと、こうした方が良かったんじゃないのか?」とか、 >「次から気をつけた方がいい!」とか、、、 完璧主義者は心配性。 100点満点を基準にしているから、 自分の価値観に合わないことがあれば、 些細なことでも、やたら気になる。 小言が分かりにくいのは、 一見、「あなたのために言っている」、、、 という雰囲気であること。 ここで、 真面目な人であれば・あるほど 解釈を間違ってしまう。 >「あぁ、こんなに心配してくれる人に   何度も・何度も注意されて、   自分は何てダメな人間なんだ、、、」と。 違う。 もし、本当に「あなたのため」なんだったら、 あなたに元気・希望・勇気を与えてくれる ことを言ってくれるはず。 相手の小言を聞かされる度に、暗い気持ちに なるとしたら、相手は「あなたのため」になど 言ってはいない。 どれだけ、 言葉は「あなたのため」に聞こえたとしても、 心から「あなたのため」になど小言を言っていない。 単に、 あなたのことを信じていない、だけ 言葉で、 「あなたのため」「あなたのため」、、、と言いながら、 小言を言う度に、 あなたはダメだ、、、という暗示を与え続けている だから、 落ち込む必要などない。 むしろ逆。 「いい加減にしろ!」 「大概にせい!!!」 と怒っていい。 猛烈にブチギレ立って構わない。 >「そんなことをしたら、   相手の関係が悪くなってしまうのでは!?」 では、 逆に聞きたい。 「自分を不幸に引きずり込もうとする相手と 仲良くした方がいい理由は何なのか?」、と。 人生というのは、 何も全世界80億人みんなと仲良く出来なければ、 幸せに生きられないものではない。 もちろん、 日本人1億2千6百万人みんなと 仲良く出来なければ、 幸せに生きられないものではない。 むしろ逆。 1人でいい。たった1人でいい。 >「あなたと出会えて本当に良かった」 と心の奥底から感謝してくれる人と、 80億人中1人で出会えたら、 それだけで人は幸せに生きられる。 「怒らない方が良い」というのは、 あくまで人生を変えないための考え方。 怒ると相手との人間関係が悪化する可能性がある。 だから、人生を変えないためには、怒ることは リスクが高い。今までの環境・人間関係で 今までの人生を続けたいなら、常識通りに怒らない方が正解。 しかし、 もし人生を変えたいのであれば、 怒りが人生を変える 人生の究極の矛盾は、 ・自分の人生は100%、自分の価値観での  判断の結果でありながら、 その 判断基準の100%は、自分以外の 他者が作っていたものであること。 だから、 人生は、 ・100%、自己責任でありながら、 ・100%、他人のせいでもあるという 矛盾がある。 ・判断したのは自分自身。  だから、人生は100%、自己責任。 しかし、 ・判断の大本になっている価値観は  環境・人間関係によって作られた。  だから、人生は100%、他者のせい。 最悪なのは、 ・自分の判断の間違いで上手くいっていないのに、 ・環境や人間関係を変えることなく、 ・何度も・何度も、人生を変えることに挑戦してしまうこと 不可能なことに取り組んでいる 判断そのものを間違ったとしても、 その判断の源は他者が作っている。 だから、 今までと同じ環境・人間関係に居続ける限り、 判断基準の価値観も同じであり続けるので、 自分の判断を変えられない。 大事なのは、 ・変えたくないなら怒ってはいけない。  今までと同じ環境・人間関係を  維持したいのであれば、怒ることは  あまりにリスクが高い。 しかし、 もし変えたいのであれば、 怒っていいい 「いい加減にしろ!」 「大概にせい!!!」 と怒っていい。 猛烈にブチギレ立って構わない。 真面目な人が怒るというのは余程のこと。 優しい人がブチ切れるというのは相当なこと。 怒りは自分自身を守る最後のエネルギー。 そこまで怒らせるというのは、 相手が悪い 本当に「幸せに生きたい」 本当に「成功に向かって挑戦したい」 本当に「夢を叶えたい」、、、のであれば、 その足を下に引っ張る人間関係は 邪魔でしかない 怒ったことで 相手との人間関係は壊れるかもしれない。 しかし、人生、相手が 間違っているということもある。 特に、 今までと違う結果を、これからに 望んでいるのであれば相手は間違っている。 たとえば、プロ野球選手でない人に 「どうすればプロ野球選手になれますか?」と 聞いたところで、本当に役立つアドバイスは もらえない。 もし本気の本気でプロ野球選手に なりたいのであれば、今までの 身近な人たちに聞き続けるのではなく、 プロ野球選手と1分・1秒でも 時間を共有できる環境・人間関係に 自分の方から移るべき 怒りが人生を変える 今までと同じ環境 今までと同じ人間関係で 今までと違う結果を たまたま・偶然に得る、、、ということは【ない】 もし、 今までも身近に居た相手から、 会う度・会う度に、また何か小言を 言われたとしたら、 怒っていいい 「いい加減にしろ!」 「大概にせい!!!」 と怒っていい。 猛烈にブチギレ立って構わない。 なぜなら、 相手が悪いのだから。 相手が間違っているのだから。 「あなたのため、、、」という 雰囲気でありながら、本当は あなたのことなど、ただの1ナノも 信じていないのだから あなたのことを信じていない人に 囲まれながら、あなただけが あなたのことを信じ続けるなど無理。 机上の空論。 もし、あなたがあなた自身を信じられる としたら、それは、たとえ、たった1人でも あなたのことを肯定してくれる人の近くに 居てこそ。 会う度・会う度に、小言を言って、 あなたから元気を奪うような人の 近くに居るのではなく、 あなたに、 元気・勇気・希望、、、を感じさせてくれる人の 近くに居てこそ、あなたはあなた自身を信じられる。 怒りが人生を変える >「怒っちゃいけない」など悪魔の教え。 怒りとは変えるためのエネルギーであり 情熱そのもの。 >「怒っちゃいけない」というのは 「変えてはいけない」と同じ意味であり、 「情熱など持つな」というのと同じ意味。 人から怒りを奪えば情熱もなくなる。 無気力になる。 日頃、 真面目な人が怒るというのは余程のこと。 日頃、 優しい人が怒るというのは余程のこと。 そういう、 真面目な人・優しい人が、心の底から 怒りという感情が湧き上がって来た というのであれば 怒っていい それでダメになってしまう人間関係であれば それまでの縁だった、、、というだけ。 社会には人はたくさん居る。 世界80億人とか、日本1億人とか、、、 途方もない人数の人が居る。 みんなと仲良くしようとか、 誰からも嫌われないようにしようとか、 不可能なことを努力するから苦しくなるだけ。 ・怒りは自分自身を守る最後の砦 ・怒りは変えるための原動力 ・怒りは高い壁へ挑戦するための情熱そのもの 怒りが人生を変える どうしても許せないときは、 許せないのが正解。 怒った自分が悪いのではなく、 怒らせた相手が悪いことだってある。 だったら、 怒りという感情を、これからの夢実現に向けて 行動のエネルギーにしていく。怒りという エネルギーを情熱に高い壁に挑戦していく。 もし、 怒りを境に環境が変わり、 人間関係が変わり始めた時に 初めて、あなたの価値観も変わり始め、 あなたの人生も変わり始めます   怒りが人生を変える 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

嫌われても良い

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白坂です、   嫌われても良い たとえば、 ダイエーというスーパーを運営している 会社があります。 ダイエーは過去20世紀に 1度は、流通業でトップになった企業です。 しかし、 その後、経営はどんどん悪化していき、 産業再生機構の支援を受けました。 最終的にイオンに買収されて現在に至ります。 なぜ、1度はトップになったダイエーは、 支援を受けなければならないほど 経営を悪化させたのでしょうか? 最大の理由は 消費者から嫌われる覚悟がなかったから ダイエーのビジネスモデルは、 基本、 ・生産者から仕入れて ・消費者に売る です。 だから、商売の基本は、 「売り手良し・買い手良し」。 しかし、 ダイエーが追求したのは、 「買い手良し」だけ、でした。 「主婦の味方:ダイエー」という 明確な方針のもと、とにかく、 毎日安い: エブリデーロープライス を追求しました。 スーパーで買い物をする主婦は、 もちろん、高いより安い方が良いに 決まっています。 しかし、 それでは「買い手良し」にしかなりません。 「売り手:生産者」にとっての良しにはならない。 なぜなら、 消費者が安くで買いたいのと同じように、 売り手:生産者は高くで売りたいのだから ダイエーは、 消費者の方しか見ていませんでした。 だから、生産者を敵に回してしまった。 生産者がダイエー以外で売っている価格よりも、 ダイエーでは安くで売ってしまった。 もちろん、 消費者は他店で買うよりもダイエーで買う方が 安くで買える。消費者は、確かに喜ぶ。 しかし、 生産者からしたら、たまったものではない。 商品を創ってもダイエーで売られると利益が出ない。 商品というのは、 魔法のように、 ポッと出来るものではありません。 ・企画 ↓ ・開発 ↓ ・設計 ↓ ・原材料の仕入れ ↓ ・製造 という、 いくつもの段階を経て、 やっと1つの商品が出来上がります。 それだけ 多くの時間・お金・エネルギーをかけて 生産したものであれば、当然、高くで売りたい。 利益を出したい。 もし、 どれだけの企業努力をしたとしても 利益が出ないのであれば、もう誰も 生産活動をしたいとは思わなくなります。 主婦の味方:ダイエーは、 結局、生産者を敵に回しました。 やがて、 生産者はダイエーに商品を 卸さなくなりました。 だから、 ダイエーは確かに安いのだけど、 品質の良い商品が並ばなくなりました。 結果、 ダイエーには何でもあるけれど、 欲しいものは何もない として、 総合スーパーとして1時代を築いた ダイエーは、結局、自主独立の経営を 維持できなくなったわけです。 「売り手良し、買い手良し」というのは 日本語は簡単でも、実現は永遠の課題。 なぜなら、 ・売り手は、出来るだけ高くで売りたい ・買い手は、出来るだけ安くで買いたい と、180度、利害が対立しているから。 なので、 単に安売りしさえすれば良い、 というものでもない。 とにかく安売りすれば、目の前の お客さんには喜んでもらえるかもしれない。 しかし、 安売りは当然に誰にも利益をもたらさないので、 結局、誰をも豊かにしない。 関係する全ての人たちの誰も 給料が上がらないので、 結局、安売りは更なる安売りに繋がり、 社会全体を貧しくしていってしまう。 もし 安売りをすれば好かれるかもしれない。 逆に、 値上げをすれば嫌われるかもしれない。 しかし、 大事なのは、安いか・高いかではなく、 本来は、 価値と価格が妥当かどうか? 生産者が1つの商品を生産するのにかけている、 お金・時間・エネルギーからして、そして 何より消費者が受け取ろうとしている価値からして 妥当な価格であるか・どうか? 価値に見合った正当な価格を付けることで 初めて、「売り手良し・買い手良し」が 綺麗事から現実へと変わって行く。 そのためには、 「嫌われても良い」という覚悟が要る 社会には2種類の人が居る。 すなわち、 ・価値に対して正当な価格を支払うつもりがある人 と ・何でもかんでも安く、出来れば無料を望む人 前者の 価値に対して正当な価格を支払うつもりがある人と 付き合っていると、関係する人みんなが豊かに なれる可能性がある。 一方、 後者の何でもかんでも安く、 出来れば無料を望む人と付き合っていると、 生産者は時間・お金・エネルギー、、、の 全てを奪われて行く。 経済という世界に生きていれば、 全ての人に等しく好かれるということは 絶対にあり得ない。 もし 全ての人に等しく好かれようとすれば 極論、全ての商品・サービスを無料に しなければならない。すると、最後はダイエーのように 何でもあるけれど、欲しいものは何もない という状況になってしまう。 なぜなら、より良い商品・サービスの提供前には、 必ず、生産者側に生産能力を上げるための 投資が必要であり、その投資は究極、利益からしか もたらされないから。 ・安売り ↓ ・利益が出ない ↓ ・投資が出来ない ↓ ・生産能力が上がらない ↓ ・品質が上がらない ↓ ・豊かにならない 一方、 ・高くで売る ↓ ・利益が出る ↓ ・投資が出来る ↓ ・生産能力が上がる ↓ ・品質が上がる ↓ ・豊かになる 消費者は出来るだけ安くで買いたい。 生産者は出来るだけ高くで売りたい。 だから、「売り手良し・買い手良し」の 実現は簡単ではない。 利害が対立する両者とものが納得できる 価値に見合った価格で売るというのは 簡単ではない。 しかし、 その簡単ではないことの実現を 目指し続けるのが、商売でありビジネス。 難しいことを放棄し、 知恵も何も要らない 安売りだけを行い続ければ、 誰からも嫌われたくないという想いが 結局、誰をも幸せにしないという 究極の矛盾を引き起こす。 極論、 もし100人が居る中で、 ・出来るだけ安く、  可能ならば無料が良い人が99人 ・価値に対しては、その価値相応の価格を支払う  予定がある人が1人 だった時、 どちらに焦点を合わせるか。 嫌われることが悪で、 誰からも嫌われたくない商人であれば、 当然、安売りを選択する。 決して、社会に存在している商品の 最高品質のものではないかもしれないけれど、 安くで提供すれば、お客さんからの苦情は 最小化する。 安い価格で提供し続けている商人は 嫌われる覚悟がない。 短期的には消費者から「良い人」と 認識されるかもしれないが、 長期的には社会全体を貧しくすることに 関与している。 本物の商人であれば、 やはり、 価値を理解してくれる100人中1人に 社会に存在している中で最高の品質のものを 価値に見合う価格で提供する人 本物の商人になるには、 覚悟が必要になる。 すなわち、 嫌われる覚悟 たとえ、 100人中99人に嫌われたとしても、 たった1人に心から感謝されるものを 提供する。 商人は商人らしく、 しっかりと利益を出す。 生産能力の向上に再投資して、 将来の更に価値の高い 商品の創造に繋げて行く。 「売り手良し・買い手良し」を 実現しながら、同時に社会全体の 豊かさ向上にも貢献することが出来ている。 すなわち、 本当の意味で 「売り手良し・買い手良し・世間良し」の 【三方良し】を実現することに貢献できています。   嫌われても良い 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

人生の禁句

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白坂です、   人生の禁句 人生で 言ってはいけないだけではなく、 考えてすらいけない禁句は 「いつか・きっと・そのうちに」 もし、 「いつか・きっと・そのうちに」 ということを考えている時間が 増えてきているとしたら、人生は 確実に衰退し始めています 大事なことなので 3回繰り返します。 ・変化とは99.9%の場合、衰退 ・変化とは99.9%の場合、衰退 ・変化とは99.9%の場合、衰退 もし40才の人が50才に変化した ということは、99.9%の場合、 それは衰退した、ということを意味します。 変化にとって、 ・衰退が自然で ・進化は異常 進化は異常です。 極めて稀な出来事です。 そして、進化は たまたま・偶然には絶対に起きない もし、今、 「いつか・きっと・そのうちに、、、」と 考えてしまっているとしたら、10年後も 「いつか・きっと・そのうちに、、、」と 考えています。 時間の経過は、 自然・動物・人間、、、の全てにおいて 衰退を意味します。 たとえば、 自然においても荒地になっていく方が当たり前。 放っておけば、確実に醜い状態になっていく。 一方、 ごくごく稀に、どんどん美しくなって行く 自然があったりする。たとえば、東京の 明治神宮などは例外中の例外で、どんどん 美しくなっている。 「なぜか?」 簡単です。 365日、人間が管理し続けているから 常に常に、 森林に人間が手を入れている。 常に常に、 樹木を伐採し続けている。 自然が自然のままで美しいというのは幻想。 エセ環境保護者は、樹木の伐採に対して 単なるイメージだけで反対する。 >「SDGs(持続的開発目標)が言われている 世の中で、樹木の伐採なんて、大変にけしからん。。。」 分かっていない。 何も分かっていない。 森林は人間による管理、 そして、適切な樹木の伐採がなければ、 衰退し、確実に醜くなってしまうことを。 人間が森林を観察すれば、 一見、樹木同士が共存共栄をしているように 見えなくもない。しかし、それは幻想。 実際は、 それぞれの樹木同士が日光を 奪い合っている。 だから、 もし、人間が樹木を伐採を一切せずに、 自然を自然のままで任せていたら、 古い木だけがドンドン背を伸ばし続けてしまう。 そして、 生まれたばかりの若木には日光が 全然、当たらなくなり、若くして 木がドンドン死んでいってしまう。 結果、 老木ばかりが残り 若木が全くないことで、 森林における新陳代謝がなくなり、 結局、森林全体が衰退していってしまう。 だから、 自然は自然のままでは決して美しくならない。 たまたま・偶然、何かの奇跡が起きて、 急激に、森林が光り輝き出すことはない。 だから、 人間による管理が入らなくなった森林は どんどん衰退して行く。どんどん醜くなっていく。 ・変化とは99.9%の場合、衰退 ・変化とは99.9%の場合、衰退 ・変化とは99.9%の場合、衰退 変化が衰退ではなく 進化に繋がるのは、極めて稀。極めて異常。 たまたま・偶然・何となくには起こらない。 もし、 起きるとしたら、 ・大いなる繁栄を目指す明確な意図があって ↓ ・管理によって、やるしかない状況に追い込まれて ↓ ・1日・1日、衰退する速度以上に  懸命に努力し続けた場合だけ。 進化とは自然には起きない。 明らかに不自然。 日々の懸命の努力がないのに、 たまたま・偶然に進化などしない。 もし、現状維持が出来ていると 思っていたとしたら、単純に、 衰退という現実を直視していない、だけ。 だから、 「いつか・きっと・そのうちに、、、」は【禁句】 ・いつか、旅行しよう ・きっと、旅行のタイミングが来るはず ・そのうちに、旅行しよう ・いつか、引越そう ・きっと、引越しのタイミングが来るはず ・そのうちに、引越そう ・いつか、起業しよう ・きっと、起業のタイミングが来るはず ・そのうち、起業しよう 【禁句】 旅行をするか・どうかは、 その人の価値観。 別に旅行が嫌いなら、 無理に旅行する必要はない。 「旅行しない」なら「旅行しない」で 全然、良い。 ただ、 「いつか・きっと・そのうちに旅行しよう」は 10年後も、 「いつか・きっと。そのうちに旅行しよう」に なっている、というだけ。 引越しをするか・どうかは、 その人の価値観。 別に引越しが嫌いなら、 無理に引越しする必要はない。 「引越ししない」なら「引越ししない」で 全然、良い。 ただ、 「いつか・きっと・そのうちに引越ししよう」は 10年後も、 「いつか・きっと。そのうちに引越ししよう」に なっている、というだけ。 起業をするか・どうかは、 その人の価値観。 別に起業が嫌いなら、 無理に起業する必要はない。 「起業しない」なら「起業しない」で 全然、良い。 ただ、 「いつか・きっと・そのうちに起業しよう」は 10年後も、 「いつか・きっと。そのうちに起業ししよう」に なっている、というだけ。 >「今は、起業準備中です。」 準備とは何なのか。 起業とは、 勢い以外の何物でもない 単純に 「判断」と「決断」の違いが付いていないだけ。 判断とは、やらない理由の正当化。 この社会に、完璧な人、完璧な組織、 完璧なビジネスモデル、、、 など存在していない。 もし、 今からやろうと考えていることに対して、 自分自身が不安を感じているとしたら、 今からやろうとしていることの欠点を 無意識に探し始める。 そして、 欠点を探せば必ず欠点は見つかる。 なぜなら、完全完璧なものは何も 存在していないのだから、やらない方が良い 理由を探せば、必ず、見つかる。 まず 「やることに自信がない」という結論が先にあって、 その結論を理屈で正当化する。そして、論理的に 「こういう理由で、やらないことにしました」 と判断をする。 一方、 決断というのは違う。 判断とは明らかに違う。 決断というのは、 勢いであり、直感。 「やった方が良い」と感じた瞬間に、 もう、やってしまっている。 とりあえず、やってしまって、 後から、何とか・何とか上手く行かせようと 無理やり帳尻を合わせる。そして気合で、 「やって良かった」 という結果を創り出す。 判断は、 「やる」「やらない」を選べる環境で 「やらない」理由の正当化。 決断は、 「やるしかない」環境に自ら追込むこと。 判断の延長には衰退しかない。 決断の先にこそ進化の可能性が生まれる。 推しは、推せる時に、推せるだけ、推す 推しというのは、 自分が支持している人。 応援している人。 もし、 万が一、 推しという支持している人に対して、 「いつか・きっと・そのうちに会いに行こう」 と考えていたら、 実際に会える機会は来ない。 まさに、 BTSという韓国のトップアイドルグループが 突然、活動休止宣言をしてしまい、 BTSのファンたちがコンサートに行く機会を 失ってしまったのと同じようになる。 「いつか・きっと・そのうちに、、、」は【禁句】 人生の最善のタイミングは、 「やりたい!」と感じた、 今、この瞬間しかない。 後先を考えるようになれば・なるだけ 年を取ったということ。 だから成長が遅い。 成長が速い人、 0.1%の稀な確率で進化する人というのは、 後先を考えない。 たまたま・偶然・何となく、、、 タイミングが訪れるのを待つのではなく、 自らの決断で結果を無理やり創りに行く ・変化とは99.9%の場合、衰退 ・変化とは99.9%の場合、衰退 ・変化とは99.9%の場合、衰退 現状維持を望み始めた瞬間、 現実を直視する力が落ちる。 本当は衰退しているのに、 衰退している現実を受け入れられなくなる。 たまたま・偶然・何となく進化することはない。 自然は自然のままで任せておけば老化し、 醜くなっていく、だけ。 もし、 99.9%の必然を断固として拒否し、 あくまで、0.1%の異常な進化を 望むならば、ベストなタイミングは、 「やりたい!」と感じた一瞬だけ もし、やれば、 基本、上手く行かない。 旅行に慣れていない人が旅行すれば、道に迷う。 家でジッとし続けていれば起きなかったであろう 失敗を山ほど経験する。 しかし、 それでも、何とか、何とか、 旅行から無事に家に帰った時、 「やっぱり、あの時に決断して、  勢いで旅行して良かった!」 という、 何にも変えられない【想い出】が残る。 その 【想い出】こそが、人生においては 最も貴重。何よりの資産。 「旅行しない方が良い7つの理由」を 理路整然と説明し続けてるだけでは 決して【想い出】は創れない。 「いつか・きっと・そのうちに、、、」は【禁句】 人生で、 「やりたい!」と感じられる機会は少ない。 大抵は、 ・去年と同じような今年 ・先月と同じような今月 ・昨日と同じような今日、、、の繰り返し。 その中で、 「やりたい!」と感じられたというだけで貴重。 その場合に必要なのは判断ではない。 決断。 「やる」「やらない」を選べる状況から 「やらない」という選択肢を断ってしまい、 「やるしかない」状況に自らを追い込む。 そして、一気呵成に 勢いで始めてしまう 後は はっきり言って無理やり。 「やるしかない」状況の中で 我武者羅に頑張り続けている中で、 欲しい結果を強引に創り出す。 勉強とは止まっている状態でするものでなく、 走りながらするもの。 30年後・20年後・10年後、、、の未来のために 1日・1日、PDCAを全力で回し続ける。 「いつか・きっと・そのうちに、、、」は【禁句】 もし99.9%訪れる衰退を 断固拒否して、無理やりにでも 進化・成長・発展・繁栄、、、を 創り出そうとしたら、 【即断・即決・即行動】だけが創り出していきます   人生の禁句 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む