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仏教の教え 諸行無常

経営

 白坂です、 文章のご確認、感謝しています。ありがとうございます。 まず、 4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!! さて、 仏教に関して、最近、より深い「気づき」があったので共有させていただきたいと思います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 1.諸行無常(しょぎょうむじょう)2.諸法無我(しょほうむが)3.一切皆苦(いっさいかいく)4.涅槃寂静(ねはんじゃくじょう) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今回は、「1.諸行無常(しょぎょうむじょう)」についての学びを深めていきたいと思います。よろしくお願いいたします。 この宇宙に唯一存在している真理が「諸行無常」です。「常なるものはない」すなわち、  ありとあらゆものは「変化」し続けている  このことだけは真理です。では、「この真理を悟っているということは、どのように大事なのでしょうか?」  いつ・いかなる時も通用するような正しい答えなど探し求め「なくなる」  人間の脳というのは、基本、手抜きの天才です。なので、1度、身につけることができた知識や技能で、その後の人生もずっと上手く行かせようとする傾向があります。 ・「あの大先生が教えてくれた情報だから正しいはずだ」・「あの偉大な経営者が教えてくれた知識だから正しいはずだ」・「みんなが言っていることだからこうするのが正しいはずだ」、、、 ありとあらゆるものが「変化」し続けるということが腑に落ちてい「ない」わけです ・その大先生が教えてくれた情報は、その時・その瞬間だからこそ正しい情報だったわけです。 時間が経過した後までも正しいということは一切、保証されていません。 ・その偉大な経営者が教えてくれた知識は、その時・その瞬間だからこそ正しい知識だったわけです。 時間が経過した後までも正しいということは一切、保証されていません。 ・みんなが言っている知識は、ある時・ある瞬間だからこそ正しいことだったわけです。 時間が経過した後までも正しいということは一切、保証されていません。  ありとあらゆものは「変化」し続けている  ・「うちの地域では、今までずっとこうして来たんです」・「うちの業界では、今までずっとこうして来たんです」・「うちの会社では、今までずっとこうして来たんです」、、、  「だから、何?」  ということです。  今、この瞬間の最善は、今、この瞬間の中にだけ存在しています  「過去に正しかったこと」は、「今、この瞬間に正しいこと」とは何の関係もありません。たとえそれが、 ・過去に親から教えてもらったことだろうが、・過去に教師から教えてもらったことだろうが、・過去に上司から教えてもらったことだろうが、  「今、この瞬間も正しいことなのか?」とは一切関係がありません。  もしかしたら算数でたとえると分かりやすいのかもしれません。たとえば、カジノに置いてあるルーレット、、、 ・1回目は、赤が出ました・2回目も、赤が出ました・3回目も、赤が出ました、、、・10回連続で、赤が出ました では、 「次の11回目は?」・10回連続で赤が出たから、11回目も赤が出るでしょうか?それとも、・10回連続で赤が出たから、さすがに11回目は黒が出るでしょうか?答えは、もちろん  わからない  今まで10回連続で赤が出たということと、次の11回目にどのような結果が出るかということには基本、何の関係もありません。だから、10回連続で赤が出たということは一切考える必要なく、次の11回目にどちらが出るかだけを考える必要があるわけです。同じように、 ・過去にAという1つの価値観が正しかったとしても、今の時代にも同じようにAという価値観が正しいとは必ずしも言えません。過去はAで上手くいっていたのに、今はAだと逆に上手くいかないかもしれません。 逆に、 ・過去にBという1つの価値観が間違っていたとしても、今の時代にも同じようにBという価値観が間違っているとも必ずしも言えません。過去はBで上手くいかなかったのに、今度はBで上手くいくかもしれません。 つまり、 「過去どうだったのか?」ということと、「今度はどうなるのか?」ということは基本、関係がない ということです。なぜなら、  諸行無常  過去と全く同じ「考え方」「やり方」が、今も上手くいくと考えるのは単純に脳の手抜き。過去は過去。今は今。過去と今は基本、関係がありません。もし、今、この瞬間に存在している最善は  今、この瞬間の中にだけ存在している  人生というのは、「1度、答えを知ることができたら、それでゴール」というものではありません。過去に正しかった「考え方」「やり方」が、今も必ずしも正しい「考え方」「やり方」であるとは言えないですから。過去は、過去。今は今。  今、この瞬間の正しい「考え方」「やり方」は、今、この瞬間で考える必要がある  「こうして幸せに暮らしましたとさ。めでたし・めでたし、、、」というのは「おとぎ話」の世界だけ。現実は、「過去は、こういう『考え方』、こういう『やり方』で幸せでした。では、  「今、この時・この瞬間、幸せに生きるための『考え方』と『やり方』は?」  を問い続ける必要があります。・悪く言うと大変。生きている限り、決して楽はできないしかし・・よく言うと、  人生は常に面白く出来る  ありとあらゆるものが常に変化し続けているからこそ、常に新しい現実が現れ続けています。正しい答えが変わり続けています。1つの問題を解決できたと思ったら、また次の新しい問題が目の前に現れます。生きている限り、ずっと問題を解決し続けていくことができます。諸行無常だからこそ、人生に飽きるということは決してなく、  いつも楽しく生きていくことが出来ます  貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。ありがとうございます。それでは、また。 白坂慎太郎 追伸:4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!!  続きを読む

人を見下す心理とは?

経営

 白坂です、 文章のご確認、感謝しています。ありがとうございます。 まず、 4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!! さて、 人を見下す心理とは? いただいたメッセージを1通、、、 >「白坂さんの動画に出会ってから自分で考える習慣を持つようになり、色々な面で救われました。私は巷に溢れる情報量の多さに疲れ果てていました。 自身も含めて、炎天下の砂漠の中で情報を渇望するお化けの様に感じていました。心理学・経営学・経済学を動画で学び、自分で考えることで私なりに、人生は感情をいかにコントロールしていくかが重要だと感じました。 まだまだ自分の意志よりも感情が勝つ事ばかりですが、少なくとも以前よりは感情を知識でコントロールする事が出来るようになりました。これまで学習してきた知識を材料として、考える習慣を継続していきたいと思います。 質問なのですが、白坂さんは『人が他人を無意識に見下す(人種差別含む)行為』『見下す事で安心を得る行為』をどの様にお考えになってるかお伺いしたいです。私なりにですが、色々な面で満たされてない時にそうゆう風になってしまう時があります。たくさんの情報を集めて『あの人よりはマシかも』と考えてしまってる時があります。 長文になりましたが、言葉では表現する事が出来ないくらいに感謝している事を伝えたかったです。ありがとうございます。」 メッセージをお送りくださり感謝しております。こちらこそ、ありがとうございます。 ご質問にお答えさせていただきます。 まずは、「心理」と「行為」をはっきりと切り分けて考えることが大事だと思います。すなわち、 ・人を見下す心理と・人を見下す行為 です。 過程としては、【心理→ 言葉→ 行為】という順番になります。 ・まずは心で感じる↓・次に脳内で言語化する↓・最後に実際に行動に移す ということになります。ご質問は、「『人を見下す行為』について白坂はどう思うか?」ということになりますので、行為としては良くないと思います。実際に人を見下す行為を取るというのはやはり良くないとしか言えません。 ただ、行為ではなく心理であれば話は違ってきます。「人を見下す行為」は良くないことですが、「人を見下す心理」であれば、  やむを得ない  と思います。人は生きている限り、「人を見下す心理」を完全に消すことは出来ません。なぜなら、「人を見下したい」という心理は、「人より上に行きたい」という心理であり、それは、  人の生まれながらの本能だから  です。 人は論理的には矛盾した2つの価値観を同時に持っています。すなわち、「平等」と「自由」です。 ・人は生まれながらに平等である・人は生まれながらに自由である 日本語としてはサラッと読める文章ですが、実は、この2つは両立しません。平等を実現しようとすれば、みんなが同じ結果を得続けることしか実現方法がありません。なので、人が成功を目指して競争する自由がなくなります。逆に、人が成功を目指して競争すれば、必ず、勝者と敗者の両方に分かれますので、結果に差がつきます。つまり平等ではなくなります。  競争がなくなれば進化成長もなくなる  人が「進化成長したい」という欲求を持っているというのは、言い方を変えれば、人は「他人よりも上に行きたいという」欲求を持っているということです。他人よりも上に行きたいと思うからこそ、他人と競争しながら成功を目指しているわけです。 もし、「他人よりも上に行きたい」という欲求がなくなったとしたら、競争がなくなるので平等は実現するかもしれませんが、その代わり進化成長もなくなります。みんなが等しく「やる気」がなくなり、みんなが等しく貧しくなります。みんなが等しく貧しい中で我慢し続ける状態になります。それは  社会主義が崩壊したことで歴史が証明しています  「旧:西ドイツ」と「旧:東ドイツ」、または「韓国」と「北朝鮮」、、、などは、元々同じ国で同じ民族の人たちでしたが、第2次世界大戦後に、「資本主義」と「社会主義」とに体制が分かれました。その後の数十年間で、両国がどのようになっていたか、、、をわたしたちは知っています。 社会主義はみんなが平等であるというのを重視した考え方ですが、そうするとみんなが「やる気」を失い、国民全体が等しく貧しくなってしまうのです。  歴史とは、人々が平等から自由を実現していこうとする過程  日本で言えば、今から1万2千年前の縄文時代の人たちが、最も平等でした。1頭のナウマン象をみんなで協力して倒し、倒したナウマン象の肉をみんなで平等で分け合いながら暮らしていました。当時の縄文人たちは、たった一人では生きていくことができない状況下にありました。なので、みんなが協力するのは当たり前で、その協力で得られた結果をみんなで平等に分けるのも当たり前だったわけです。 平等から始まった人類の歴史。その歴史の進展とともに、人はどんどん自分一人でも出来る能力を環境とともに拡張し続けています。もし縄文人たちが歴史上で最も平等の社会を生きていたというのであれば、今のわたしたち現代人が最も自由な社会を生きているといって良いでしょう。なぜなら、歴史とは、人々が平等から自由を実現していこうとする過程であり、  人は他人との自由競争の中で進化成長をし続けたいという本能を持っているから  「人を見下したい」というのは「人よりも上に行きたい」という心理と同じです。つまり本能です。それこそ生まれながらに持っています。後天的に教育によって与えられたものではありません。だから、生きている限り「人よりも上に行きたい」という本能はなくならず、結果、「人を見下したい」という心理も完全になくなることはありません。だから、人を見下す心理は  やむを得ない  ということです。 ただ、人はみんな同じ人間です。人は「みんな等しく平等であるべき」という論理もまた、みんなが等しく持っている共通の価値観です。平等という価値観からして、人を見下すという実際の「行為」はやはり望まれるものではありません。だから、  人を見下す心理はやむを得ないけれど、人を実際に見下す行為は良くない  ということになります。そこで、制御ということになるわけです。 ・人は人を見下したいという本能を持っている↓・だから、どうしても人を見下したいという衝動が湧き上がってくる↓・では、衝動が湧き上がってきたからといって、「本当に人を見下すという行為を取るのか・どうか?」  実際に行為を取るのであれば、こどもです。その人が30才だろうが、40才だろうが、50才、、、だろうが、「私はこうしたいと思ったから、実際にしたんです」というのであれば、こどもです。 もし大人だというのであれば、「私はこうしたいという衝動が湧き上がっては来たのだけど、それを実際にやるのは良くないと思ったので、実際の行為としてはしませんでした。」ということが出来てこそ大人です。そして、その制御が出来るか・どうかというのに関わっているのが、  言葉  【心理→ 言葉→ 行為】という順番からして、 ・まずは心で感じる↓・次に脳内で言語化する↓・最後に実際に行動に移す  人は心の中で感じたことを、一旦、脳内で言語化します。その時に、湧き上がってきた衝動を「実際の行動に移した方が良いのか・それとも移さない方が良いのか」を考えます。もし、心の底から湧き上がってきた衝動を実際に制御できるか・どうかは脳にかかっています。だからこそ、  脳を鍛えれば鍛えるほど制御できる力も上がる  実際に自分の頭で考える習慣を付けていくこと。単に、「昔からの風習でこうだから」とか、「伝統としてこうだだから」とか、「常識としてこうだから」とか、、、に自分もそのまま従うのではなく、 「なぜ、それが良いのか?」「本当に、それが良いのか?」「どうして、それが良いのか?」、、、 を、自分の頭で徹底的に考える習慣を身につけていきます。そうすると、脳が鍛えられていきますから、 感情を制御する力を向上させていくことが出来ています 人を見下す心理とは? 貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。ありがとうございます。それでは、また。 白坂慎太郎 追伸:4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!!  続きを読む

不安の正体とは?

経営

 白坂です、 文章のご確認、感謝しています。ありがとうございます。 まず、 4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!! さて、 不安の正体とは? 「不安の正体は何でしょうか?」これは、簡単です。  本人の【安心・安定欲求】  原因は外の環境にはありません。「今のこういう状況だから不安を感じて、別の状況になれば不安は感じなくなるだろう」などと不安の原因が外の環境にあるわけではありません。外の環境と不安は一切関係ありません。なぜなら、  外の環境はいつも不確実だから  確実な状況というのはありません。外の環境は常に変化し続けています。ありとあらゆるものが常に変化し続けています。変化し続けている状況の中で確実なものなどありません。変化し続けるということは、状況は常に不確実です。つまり、ありとあらゆる人にとって外の環境は不確実です。外の環境に差はありません。 にもかかわらず、ある人は不安を感じていなくて、ある人は不安を感じているとしたら、その違いは外の環境にはありません。同じ不確実な状況に対して、不安を感じていない人と不安を感じている人がいるという、本人自身の内面に原因があります。 ・不確実な状況に対して不安を感じていない → 本人が安心・安定を求めていない。結果は不確実なのが【当たり前】だと思っている ・不確実な状況に対して不安を感じている → 本人が安心・安定を求めている。結果が不確実なのが当たり前だと感じられていない 「なぜ、不確実なのが当たり前なのに、不確実を当たり前だと受け止められないのでしょうか?」それは、  月給に慣れているから  ・決められた日に・決められた金額を・決められた方法で受け取ることに慣れているから 月に1回、安定的に給料をもらうことに慣れている。外の環境は変化し続けているにもかかわらず、お金に関しては安定が実現している。だから、外の環境にも、まるで安定が存在しているかのような幻想の方を当たり前だと認識してしまっている。 だから、今まで月1回で安定的に給料をもらっていた人が、いざ、その状況を失って独立・起業をしようとするならば、100%、不安という感情が湧き上がってきます。慣れていないからです。結果が不確実であるということに。今まで慣れていたのは安定的な給料であって、結果が不確実であるということには慣れていないので、当然のように不安が湧き上がってきています。 しかし、世の中には不確実な社会の中で生きながらも、不安を感じないで心の平安とともに生きている人たちもいます。なぜでしょうか?簡単です。  不確実な状況に慣れたから  ・外部環境は常に変化し続ける↓・不確実な結果を得続けた↓・不確実なのが当たり前だと思っているから不安を感じない 「不確実なのは当たり前」で、「変化するのは当たり前」で、「ありとあらゆることは、やってみないと分からない」ということに慣れたから心に平安があるわけです。なぜなら、  結果が不確実だったとしても今まで大丈夫だったから  もし、今、不安を感じているとしたら、それは外の環境が原因ではありません。まして、不安をなくすための具体的な方法なんていうのもありません。ある方法を見つけられたら不安が消えるわけではありません。自分の中に安心・安定を求める気持ちがあるうちは不安とともに生き続けることになります。 不安がなくなることと状況は関係ありません。ある状況になったら不安がなくなるということはありません。なぜなら、確実な環境というのはないからです。変化しない状況というのはありません。変化し続ける不確実な社会の中で、それでも心の平安に生きることができているとしたら、  不確実な状況に慣れる  独立・起業して、3年経ち、5年経ち、10年経ち、、、とやっているうちに、不確実なのは当たり前だという真理が腑に落ちているから、不確実な状況に接しても不安という感情が湧き上がって来なくなっています。何かをやる前にどれだけ心配しても意味がありません。  案ずるより産むが易し  事前にいろいろと心配していたけれど、いざやってみたら、結局、何とかなった。そして、その何とかやれたという状況で、3年経ち、5年経ち、10年たち、、、とやっているうちに、いつの間にか安心・安定そのものを求める気持ちが消えています。 ・不確実なのは当たり前で・変化するのは当たり前で・ありとあらゆることを、やってみなければ分からないから  とりあえず、やってみる  不確実な状況に10年もいれば不確実なのが【当たり前】になっています。以前の自分だったら不安を感じても仕方がない状況だったとしても、不安という感情が湧き上がらなくなっています。結果として、 心の平安とともに冷静に生きられるようになっています 不安の正体とは? 貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。ありがとうございます。それでは、また。 白坂慎太郎 追伸:4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!!  続きを読む