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子育ての言葉かけ【伏見ひふみ】

伏見ひふみ

 子育ての言葉かけ   こんにちは、伏見です   文章をご確認下さいまして、感謝しています。 ありがとうございます。   私の娘が今現在3歳と息子が1歳で、まだまだ子育てはスタートしたばかりですし、勉強中なんですけど、将来大人になった子供達が自分達 親であったり他の誰かに依存することなく、自分の頭で考えて行動できる、胸を張った立派な人間になってもらいたいという強い想いが私にはあります。   子供達に、そう望むその前に、親である私が子育ての重要性を理解していかないといけないなと つくづく思っています。   今の、子育て期の貴重な時間を どう子供達と関わっていったら良いか?という自分の中での課題に対しての答えの方向を、リアルタイムで子育てをしていらっしゃる保護者の方々に共感・共有が出来たら嬉しいです。   難関の学校に合格できたり、倍率の高い大企業に就職が決まったりと、自分の子供達をいわゆる『成功者』に導く親には、共通点があるそうです。 それは、子供達が「嬉しい」と思うような言葉を繰り返し・繰り返し口に出して伝えている。という事だそうです。 そうした言葉には、子供達の無意識中の記憶にしっかりと残って、自己肯定感を高め「生きる力」を伸ばす効果があるそうです。 では、それは一体どんな言葉なのか?子供達が「嬉しい」と思えることばかけを紹介したいと思います。 「子育てが難しいと感じている親ほど、口やかましくなってしまう。」 子育てって大変という言葉一つで表せないくらいの大仕事だと思いますし、上手くいかないことだらけの連続だと思っています。 子育てに迷走してしまった最悪の場合の親は、「私なんていない方がいいんだ」という様に思い詰めることもあるそうです。   「家庭の役割を確認しましょう」 家庭は心と体を休め、栄養補給をする「基地」だと考えると分かりやすいそうです。   私たち親は、子供達の「後方支援」に徹しなくてはならなくて、子供達の前に出て「盾」になってはいけない。ということをしっかり認識しておかなければならないなと感じます。   ほとんどの子供達は、今自分は何をやらなければいけないかはわかっているそうです。ただ、それに立ち向かうには飛行機で言うところの離陸するときに必要な大きなエネルギーがいりますが、そのエネルギーが不足しているから、エネルギー不足=やる気不足。が起きるという事です。 つまり「子供達のやる気」という問題を解決するには、戦場で戦えるだけのエネルギーを家庭でいかに貯められているか?にかかってるという事です。   しかし、私も気をつけないといけないのですが、母親の機嫌が悪かったり、不穏な空気が漂っているような家庭では、やはり子供達はやる気をチャージできません。 「うちの子は、やる気がない」と思っても、やる気を育てるのも削ぎ取るのも、親の言葉かけ次第で変わる。 では、どのように言葉かけを工夫すれば、子供達のやる気を刺激する事ができるのか?東大生に向けた「学力を伸ばすたったひとつの親の習慣」というアンケートには 「子供達の話を聞くこと」という結果が出たそうです。 学力を伸ばすたったひとつの親の習慣とは、「親が子供の話に耳を傾けること」だそうです。 たとえば自己肯定感が高い大学生に話を聞くと、彼らの多くは「自分の親は口やかましくなく、自分の話をきちんと聞いてくれた」と話したそうです。   東大生の親は子供達を「言葉で育てる」という事に徹底されたようです。 人間には「承認欲求」というのがもともと備わっていて、それが満たされることはすごく重要だと私も思っています。   自己肯定感の高い大学生の家庭は、意識していたかどうかはわからないですが「承認欲求」を満たす子育てというのをしていたんだろうなと思います。 「子供達がやる気を失う言葉とやる気が出る言葉」 日本人は、「加点式」で他人を褒めることが苦手で、「減点式」で他人に文句を付けやすいと言われているそうですが、言い方は少し悪いかと思いますが、親は子供達を自分が所有する所有物だと考えてしまいがちで、そのために、他人の子供には絶対にしないような声かけを、自分の子供には してしまうようです。 その結果として、そうした親のことばかけは子供達の意欲を丁寧に、確実に、削ぎ落としていくことになってしまうそうです。   「子供達のやる気を吸い取ってしまう言葉」があります。 ・「勉強しなさい」といった強要。 ・「お兄ちゃん・お姉ちゃんはできたのに、あなたには無理なんだね」といった誰かとの比較。 ・「あなたにはどうせできない」といった否定。   こんな要素が含まれる言葉を繰り返し・繰り返し伝えていれば伝えていくほど子供達はやる気を失ってしまうそうです。   逆に、繰り返し・繰り返し伝えていくと子供達が伸びる、 魔法の「短い言葉」というのもあります。 受験を経験した学生に「親に言われてうれしかった言葉」のアンケートの結果によるものですが ・大好きだよ。 ・ありがとう。 ・へぇ、そうなの?(もっとその話聞かせて) ・頑張ったね!や、頑張ってるね! ・ドンマイ!次に行こう! ・あなたならやれる。 ・結果は気にせず楽しんで♩ ・ナイストライ!いい経験になったね。 という言葉たちだそうです。   「褒め言葉」には驚くべき「威力」がある。 親は、子供たちがこうした言葉かけを聞いてない様な気がしていても、実はしっかり親の言葉を聞いているそうです。そしてそれをひっかりと記憶しているんだそうです。   自分の子、その子そのものを認めるという姿勢を持って、それをちゃんと言葉に出すことが、子育ての肝であると感じます。   こんな名言もあります。 「全ての子は素晴らしい可能性を与えられている。駄目な子なんて一人もいない。」   「親の焦りが子供の本来の輝きを見失わせてしまう。 周りのみんなと同じペースじゃなくていいし、先に行かなくてもいい。」   母親からすれば、育児は戦場だと思います。 本当に1日、何をしていたんだろう?と仕事では分かりやすい数字であったり終わりがあって達成感を感じやすいですが、育児は終わりが見えないですし、失敗の連続です。   子供達と過ごす1日で今日私が出来たことって何だろう…とか、大したことはできなかったな…と思う日もやっぱりあるのですが、 そんな時は、今日1日、私は、澄んだ目をした、この柔らかな髪の毛の子のために、すごく大切な事をしたと、そんな風に考えてみてはいかがでしょうか? という事で、私の育児という日々のお仕事での学びも深めながら、この動画で何らか皆様の励みとなったり、共感が出来たら嬉しいです。  子育ての言葉かけ   今回のお話が、何らかあなたのお役に立てたということであれば嬉しく思います。   貴重なお時間にて、最後まで文章をご確認下さいまして、感謝しています。 ありがとうございます。 それでは 、また。 伏見ひふみ続きを読む

大人と子供の境界線【後編】

経営

  白坂です、   文章のご確認、感謝しています。 ありがとうございます。   まず、   4つの無料プレゼント中! → ホームページ制作の前に!!   さて、   大人と子供の境界線【後編】   前回の【前編】では、 子供であるうちは子供らしいということが1番大事であり、「やりたい!」と感じたことは全部やって、「なりたい!!」と思ったことは、実際になってみることが大切だというお話をさせていただきました。なぜなら、欲は抑えることでは決して消えず、   欲は満たすことで初めて消えるから   だという説明もさせていただいております。   だから、もし子供の時に「こういうオモチャが欲しい!」と感じたならば、何が何でも、そのオモチャを手に入れてみる。そして、自分の欲求を実際に満たす。   そうすれば、   「こういう車が欲しい!」というのも満たすことができるようになりますし、「こういう家に住みたい!」というのも満たすことができるようになります。同じエネルギーですから。   「こういう車に乗りたい!」という欲求や、「こういう場所に乗りたい!!」という夢など、思いつく限りの夢をかなえていくと、欲が満たされます。   すると、いい意味で飽きてくるわけです。これも、子供がオモチャで遊んで・遊んで・遊んで、、、をやってくると飽きてしまうのと、全く同じエネルギーです。   欲求というのは不足感です。 ある何かが欲しいというのであれば、その欲しい理由はただの1つだけ。自分は十分に持っていると感じていないから。   基準は、他者との比較ではなく、自分の夢との比較です。 たとえば、日本人の平均年収約420万円というのは、世界で言えば25位くらいなので、他の170か国の人たちに比べれば、十分なお金を稼いでいるということになります。   しかし、それは他の170か国と比べた時に十分なのであって、実際、もし自分が平均年収約420万円だったら、十分なお金を稼いでいるとは感じられない人が多いのではないかと思います。やっぱり年収1,000万円くらいは欲しい。   ・今は、年収420万円 ↓ ・だけど、年収1,000万円は欲しい ↓ ・だから、580万円の不足感を感じている→【やる気】   で、   もし実際に、「年収1,000万円を稼げるようになったとしたらどうなるでしょうか?」当然ですが、「年収1,000万円になりたい!」という欲求は消えます。なぜなら、もう満たせていますから。   その場合、「年収1,000万円ではなく年収2,000万円になりたい!」という欲求があれば、まだお金を稼ぐということに対して【やる気】を感じられますが、「年収1,000万円あれば、もう十分。満足。」と思ったら、お金を稼ぐことに対しては【やる気】は感じられません。   つまり、 その基準というのは、あくまで本人なりの基準であり、他者との基準ではないということです。本人が不足を感じていれば【やる気】は出てきますが、本人が不足を感じていなければ【やる気】は出てきません。だから、   もし、自分なりに十分に満足していれば【やる気】は出てこない   ・「こういう車に乗りたい!」→「実際に乗れた!」→やる気が消える ・「こういう家に住みたい!」→「実際に住めた!」→やる気が消える ・「これくらい稼ぎたい!!」→「実際に稼げた!」→やる気が消える、、、 こうして、 自分なりに満たしたいと感じることを一通り全部満たせるようになると、   個人的なやる気が全部消える   わけです。 この段階まで至ると【精神的】な子供の卒業です。 逆の言い方をすると、ここまでは【精神的】な子供のままの方が実際に到達できます。もちろん、人によって個人差がありますが、一般的には、   年収2,000万円までは【精神的】に子供の方が達成しやすい   よく、「使命」とか「ミッション」とかを探している人がいますが、もし欲しいのがお金だったら、しかも、年収が2,000万円くらいまではぶっちゃけ「使命」も「ミッション」も全然要らないです。逆に、「私は自分の使命が見つかりません」と言っている人は、正直、厳しい。   年収2,000万円までは、「お金持ちになりたい!」だけで、OK   お金持ちになるのは、論理的には簡単ですから。 「売ればいい」のです。   ・人が必要としているものを、 ・実際に必要としている人に対して、 ・「売る」だけ。   もし年収2,000万円まで達成していないとしたら、それは単に「売る」という行動をしていないから   ・勉強したり ・異業種交流会に参加したり ・みんなでアイデアを出し合ったり、、、はしているかもしれないけれど、 「売っていない」。売っていないから売上が上がっていないというだけ。   「お金持ちになりたい!」から「売りました!!」で年収2,000万円までは達成できます。   使命とかミッションとか、理念とかが重要になってくるのは、個人ではなく組織でやっていこうとしている時。1人だったら自分の好きなようにやれば良かったとしても、複数の人で一緒に何か大きなことをやろうとした場合は、   共通の判断基準が何らか必要になる   ・「『わたしたち』の現状はこういう状況で、 ・ 『わたしたち』はこういう状態を共通で目指していて、 ・ 『わたしたち』は、いざという時は、こういう共通の価値観で意思決定をしていきましょう!」   要するに、   人をまとめたり、導いたり、みんなと力を合わせて一緒にやっていく段階になると、使命とかミッションとか、理念というの【も】大事になっていくということです。もし何もないと、みんながバラバラで意思決定をしてしまうので、組織がヒッチャカ・メッチャカなってしまうから、です。   しかし、まだ自分1人でやっているというのであれば、ぶっちゃけ使命もミッションは要りません。まして、理念なんて全然必要ありません。「お金持ちになりたい!」から「売っています」で、OKです。   年収2,000万円くらい稼げるようになると、よほどの贅沢をしない限り、ほぼ、実現したいと思っていたことは実現できるようになっています。それこそ、「好きな時に、好きな場所で、好きなことを、好きな方法で、好きなだけやる」ということも出来るようになっているはずです。それで、   とりあえず、自分が満たしたいと思っていたことを実際に満たしてみる   そうすると、かつては憧れだった状態に対しても、いい意味で飽きてくるわけです。 結果、今までは湧き上がって来ていなかった新しい欲求が出てきます。すなわち、   貢献   かつて満たしたいと思っていた状態を1度全部満たしてみると、その欲求が消えます。そして、消えた欲求の代わりに、新しく出てくる欲求が「貢献」です。ここから初めて、綺麗事が本気で取り組みたいことになってくるわけです。   今までは「自分のため」に頑張っていたけれど、これからは「自分のため」に加えて、「世のため」、「人のため」に【も】、頑張っていきたいな、と。   「三方よし」を目指して、人との協力を始めて行く   自分1人で成し遂げられる状態を超えて、もっと大きなものを成し遂げていこうとすれば、人との協力も必要になっていきます。   そして、人と協力していこうとしたならば、精神が子供のままでは不可能です。何でもかんでも自分の思い通りにしたいというワガママでは、相手と良好な関係を築いて行くことは出来ません。「組織化」「投資」そして「子育て」の3つには共通点があります、それは、   気が長い   「子育ての結果というのは、一体、何年後に出るのでしょうか?」 「自分が親としてやっている今の子育ての結果というのは、一体、何年後に出るものなのでしょうか?」早くて、   18年後   いざ子どもが親元を離れて自立していこうとしていく時、「子どもはどんな人間として社会に出て行こうとしているのか?」早くて18年後です。しかし、実際は、   40年後   子どもが40才の時に「どんな1人の人間として社会で活躍し始めているのか?」40年後になると、流石に、「自分が親としての子育てがどのようなものだったのか?」が分かってきます。逆のことを言えば、それくらい経ってみないと、自分の親としての子育ての評価は出来ないということです。   この「子育て」と、「投資」や「組織化」というのは、同じです。すなわち、   気が長い   「今、やっていることは、一体、何年後のための行動なのか?」 少なくても、【精神】が子供のままでは、「子育て」はもちろん、「投資」も「組織化」も決して良い結果を生みません。   自分の思い通りにいかないことが起きるたびに、「ギャー!」「ギャー!」と感情を爆発させていたら、誰とも力を合わせることが出来ません。協力できません。「他人も、結果も、自分の思い通りにいかない」。   自分にできるのは、相手を思い通りに動かすことでもなければ、毎回・毎回、自分の思い通りの結果を得続けることでもありません。できることは、ただ、   「今、この時・この瞬間、最善の『行動』は何か?」   を判断し続けるだけ。   もし「今、この時・この瞬間、自分が最善だと考える『行動』を取っている」ということを実際にしているとしたら、たとえ相手が全然自分の思い通りに動いてくれていなかったとしても、たとえ結果が全く望んだものではなかったとしても、   結果を素直に受け止めて、目標達成に対して前向きに解釈する   【精神】が子供のままでも、子供として満たしたい欲求は満たすことが出来ます。いい車に乗れるでしょうし、いい家に住めるでしょう。「やりたい」と感じたことをとりあえず、全部、実際に「やる」こともできるでしょう。だから、【精神】が子供の時は子供として全力で生きて、そして、実際に満たすべきものを全部満たす。   そして、   いざ個人的な欲求を満たすことが出来たならば、今度は、1人の個人としてはどうしても満たすことが出来ない、もっと大きな社会的な課題に挑戦します。その挑戦は決して義務ではありません。挑戦したいから挑戦するわけです。   そして、解決しようとしている課題が大きければ・大きいほど、必要な人の協力も大きくなっていきます。そして、その協力を得る人が多ければ・多いほど、当然に、思い通りにいかないことも増えていきます。その時に、どれだけ   「気が長く待つことができるか?」   つまり、 本当に大きなことを成し遂げていくためには、   【自分は最速で動くけれど、結果に関してはとても気長に待つ】   という矛盾を両立していく必要が出てきます。 もし年収2,000万円くらいは自分1人でも稼げるようになっている人であれば、「自分が最速で動く」は出来るようになっていることでしょう。だから、「【精神】がどれだけ大人なのか?」ということは、   「結果が出るのをどれだけ気長に待てるか?」   に、かかってきます。   ・育てたいのが、もやしなら1日待てば出来るかもしれません。 ・育てたいのが、お米ならば1年待てば出来るかもしれません。 ただ、 ・育てたいのが、桃や栗だったら3年待つ必要があるかもしれませんし、 ・育てたいのが、柿だったら   8年   待つ必要があるかもしれません。 何れにしても、   【自分は最速で動くけれど、結果に関してはとても気長に待つ】   この矛盾の幅を大きく出来れば・出来るほど、その人は【精神的】に大人であると言えます。   ・今日のために今日行動している人よりは、1年後のために今日行動している人の方が【精神的】に大人です。   ・1年後のために今日行動している人よりは、8年後のために今日行動している人の方が【精神的】に大人です。   もし、【精神】が大人であれば・あるほど、より長い時間を待つことが出来るようになります。結果、より大きな時間の味方がつきます。人生や経営に「複利」の魔法が働き始めます。そして、   想像をはるかに超えた大きな成功を収めることができています   大人と子供の境界線【後編】   貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。 ありがとうございます。 それでは、また。   白坂慎太郎   追伸: 4つの無料プレゼント中! → ホームページ制作の前に!!    続きを読む

大人と子供の境界線【前編】

経営

  白坂です、   文章のご確認、感謝しています。 ありがとうございます。   まず、   4つの無料プレゼント中! → ホームページ制作の前に!!   さて、   大人と子供の境界線   「大人と子供の境界線というのはどこにあるのでしょうか?」   身体的には18才なのかもしれません。 なぜなら、18才になれば身体の機能が完成して子供をつくることも可能になっているからです。   法律的にも18才なのかもしれません。 世界的にも日本的にも、18才になったらほとんどの権利が認められるようになっています。   なので、 今回は   「【精神的】な大人と子供の境界線は?」   というのを考えてみたいと思います。   結論から言うと、この【精神的】な境界線というのは年齢では引けません。「どうすれば本当の大人になれるか?」は今回の最後で述べるとして、まずは、【精神的】な子供と大人の違いから先に説明していきたいと思います。   ・子供:  結果に対して自分の思い通りにしたい。  思い通りにならなかったら感情が爆発して「ぎゃー!!」となり突発的な行動を取る   ・大人:  結果は結果として冷静に受け止める。  常に、その時・その瞬間の最善な判断を考えることに集中している。   一見、子供が劣っていて大人が優れているように感じられるかもしれませんが、実は、子供と大人は一長一短です。なぜなら、   子供は感情に素直だからこそ夢実現力が強い   からです。 極論、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分が叶えたい夢を、ほぼ・ほぼ100%実現していきます。たとえば、   ・(おっぱいが飲みたい) ↓ ・「ギャー!!」 ↓ ・おっぱいを飲ましてもらえる   空気を読むということを全く理解していないので、自分の欲求のままに生きているわけです。子供です。ワガママです。しかし、だからこそ夢を叶える力も強いわけです。   逆に、いわゆる「いい子」になってしまうと夢実現力は、極端に小さくなります。   ・まだ幼稚園生なのに、 ・まだ小学生なのに、 ・まだ中学生なのに、、、   真面目で大人しくて、親や教師の言う通りにするいわゆる「いい子」の夢実現力は、絶望的なほどに小さいです。   「いい子」というのは、親や教師にとって管理しやすい子というだけであって、必ずしも本人にとって「いい子」ではありません。   本人の個性も才能も一切が無視された上で、もう通用しなくなっている価値観を大人から一方的に押し付けられてしまったという状態に過ぎません。   ・まだ幼稚園生なのに、 ・まだ小学生なのに、 ・まだ中学生なのに、、、   親や教師の言うことに対して素直というのは明らかに不自然です。本人は全く納得していないのに、世間の空気で無理やり個性を押しつぶそうとしているだけ。   しかし、14才という自我が確立する前に親や教師の価値観で洗脳されてしまった場合は、「いい子」がそのまま「いい従業員」となり、生きている間、一生、安定重視になります。   ・「これが社会なんだ」 ・「これが人生なんだ」 ・「これが自分なんだ」、、、   固定観念でガチガチに自分が縛られてしまい、精神的には、大人を経由することなく、30代前半にしていきなり老人になってしまいます。   もし、   ・まだ幼稚園生、 ・まだ小学生、 ・まだ中学生、、、   だというのであれば、「いい子」になる必要なんて全然ありません。自分の欲求に素直でいい。周囲の親や教師がたとえ笑ったとしても、   自分の欲求に正直に生きていい   それこそ、冷静に親や教師を観察する。   「今、一方的に価値観を押し付けてきている親は、自分が今から叶えたいと思っている夢をもう既にかなえている目標とすべき人なのかどうか?」   「今、一方的に価値観を押し付けてきている教師は、自分が今から叶えたいと思っている夢をもう既にかなえている目標とすべき人なのかどうか?」   もし、親や教師が、自分がかなえたいと思っている夢をかなえている人でないのであれば、その親、その教師の言うことを素直に聞いても、夢はかないません。   本人自身が泳げないのであれば、相手を泳げるようには決して導くことはできないのです。相手の親は、相手の教師は、「こうしたら良いのではないか?」と頭で思っているだけ。本人の単なる感想です。でも、実際は本人でさえ出来ない。   本人でさえ実際には出来ないことを、子供にだけ押し付けている   だから、反発が正解。受け入れる必要は一切ありません。 単に先に生まれたというだけの理由で、年少者を自分の価値観を押し付けているだけ。   ・まだ幼稚園生、 ・まだ小学生、 ・まだ中学生、、、   なのに、「いい子」というのは明らかに不自然です。 自我が確立する14才の前に、大人の固定観念で洗脳されてしまったと言うだけ。世間の常識に絡(から)め取られてしまっただけ。本人が本来持っていた夢実現力は、絶望的なほどに小さくなっています。   だから、   子供の年齢であれば子供であるのが正解   相手がたとえ年長者の親だったとしても、親が言っていることに疑問を持つ。「なぜ?」、と。「なぜ、親は成功していないのだろう?」、と   相手がたとえ年長者の教師だったとしても、教師が言っていることに疑問を持つ。「なぜ?」、と。「なぜ、教師は成功していないのだろう?」、と。   そのたった1つの「なぜ?」という視点で冷静に観察すると、簡単に見えてきます。親は、教師は、単に先に生まれたという   年長者というだけで偉そうなことを言っている   親や教師が、「キミはこうした方がいい」という助言には何の合理的な根拠もありません。単なる感想です。本人が単に「こう思う」という個人的な見解に過ぎません。   もし、親や教師が本当に成功するための方法を知っているのであれば、親や教師本人自身が成功しているはずです。   「いい子」というのは子供にもかかわらず、世間の常識に絡め取られてしまった子。親や教師からしたら管理しやすい大人しい子かもしれないけれど、本人が成功する可能性は絶望的に小さい。   子供は子供のままである方が極めて自然   自分の感情に素直に従う。 もし、自分の内側から「こうしたい!」「こうなりたい!!」という欲求が湧き上がってきているのであれば、その内から湧き上がってくる衝動こそが正解。唯一の正解。   もし、「こうしたい!」「こうなりたい!!」と言ったとして、周囲の親や教師たちから、「何を夢みたいなことを言っているの?」「もっと現実を見なさい!」と言われたとしたら、親や教師の方が間違っている。   親や教師が言っている現実というのは、本人たちにとってだけの現実であって、何も、全世界200か国、76億人の全ての人たちを知った上で理解している現実では全然ありません。   それどころか、日本1億2千6百万人の全員を理解した上で知っている現実でさえ、全然ありません。親や教師が知っている現実というのは、せいぜい、本人の数十年での人生体験によるものです。   自分自身でさえ成功できなかったのだから、目の前の子供も成功できるとは思っていない   もし、親や教師は成功していないのに、目の前の子供が成功したとしたらどうなるでしょうか?子供は親や教師を超えるということになります。今までは年長者だったから偉そうにできていたのに、いざ子供が成功したら実力や実績では、子供の方が自分よりも上だということになります。   どれだけ、言葉では「青は藍より出でて藍より青し」という言葉を知っていたとしても、本当に、そのことを受け入れることができる親や教師というのは1%もいません。残りの99%の親や教師が求めているのは、   本人自身の自己重要感   相手よりも「上」であるという自己重要感を求めている。だから、子供はいつまでも自分よりも「下」であって欲しいと思っている。心の奥底から、子供に親を超えて欲しいとは思っていない。   今まで過去数十年間、一生懸命に生きてきた自分自身が成功できなかったのだから、子供も成功できるとは思っていない。何せ、親自身、教師自身が、   ・「これが社会」 ・「これが人生」 ・「これが自分」、、、   と固定観念でガンジガラメになっているのだから、子供までも世間の常識で絡め取ろうとしているだけ。   だから、親や教師の言うことを素直に聞く子だけを「いい子」と認識し、親や教師の言うことを聞かない子は、   ・問題児 ・落ちこぼれ ・不良、、、   と勝手なレッテルを貼っている。 学校に行きたがらない子供を見たら、   ・不登校の問題児   だと認識してしまう。   「学校に行くのは当たり前」 ↓ 「学校に行った方がいい」 ↓ 「にもかかわらず、学校に行かないこの子は、不登校の問題児である。困ったものだ、、、」   困ったのは、学校に行かない本人ではなく、学校に行かない子供を問題児だと認識している親や教師の方。   ただの1度でも、「『なぜ、学校に行った方がいいのか?』と真剣に考えたことがあるのでしょうか?」   ・「なぜ、小学校に行った方がいいのでしょうか?」 ・「なぜ、中学校に行った方がいいのでしょうか?」 ・「なぜ、高校に行った方がいいのでしょうか?」、、、   人生で、ただの1度でも、真剣に考えたことがあるのでしょうか? 単に、   ・「6才になったら小学校に行くのが当たり前で」 ・「12才になったら中学校に行くのが当たり前で」 ・「15才になったら高校に行くのが当たり前で」、、、   と「常識」というたった2文字で片付けていないでしょうか?もし、ただの1度でも真剣に考えてみたら、今の日本の小学校には行く理由がゼロだということが簡単に見えてきます。   今の学校制度を設計している文部科学省の官僚たち自身が自分の子供たちを公立学校には通わせていない。   当然です。 無意味ですから。意味がありません。 時間の無駄です。たとえば、   「なぜ、今でも小学生は『かけ算の筆算』や『割り算の筆算』を練習しているのでしょうか?」   18才以降で社会に出た時に、「一体、いつ、実際に『かけ算の筆算』や『割り算の筆算』を自分の手を使って実際にやるのでしょうか?」   40年遅れの公的教育   (1)自分の手で筆算 ↓ (2)そろばん ↓ (3)電卓 ↓ (4)エクセル ↓ (5)人工知能、、、、   今の子供たちが社会に出た時に、本人が実際に筆算をすることは100%ありません。人工知能に聞けばいいだけ。「アレクサ、『324×59は?』」   「19,116、です。」   大人になった時に100%使わないことを、できるように一生懸命に練習させている。学校で、自宅で、塾で、、、   無駄   時間もお金も両方ともに無駄です。だから、子供たちがもし本当に子供のままだったら、学校には行きたくないはずです。なぜなら、人間の脳というのは、   自分にとって重要ではないことは忘れようとする機能を持っているから   人間の脳の短期記憶領域というのは、極めて限られた資源です。今、この瞬間、本当に使う必要がある情報だけを覚えています。ちょうど、机の広さに限りがあるので、机の上に置けるものに物理的な限界があるのと同じような感じです。   その限られた短期記憶の領域は、自分の目標達成に向けて重要なことだけに使いたい。逆に、重要ではないことはどんどん忘れていきたい。それが脳という機能です。にもかかわらず、   親や教師が教えてくれることは、自分の夢実現に向けて役に立たないことばかり   (1)親や教師が一生懸命に、「これを覚えなさい!」「これが出来るようになりなさい!!」と一生懸命に押し付けてくる ↓ (2)しかし、脳からすると、「これは役に立つのだろうか?」「これは自分の夢をかなえるのに重要なことなのだろうか?」と疑問を持っている ↓ (3)親や教師が一生懸命に押し付けてくるから、なんとか暗記しよう努力してみるのだけど、でも、本当は重要なことではないから、脳は本能的にどんどん忘れて行こうとする。結果、、、   認知的不協和   重要でもなければ緊急でもないことを無理やりやらせる学校は、子供たちにとっては退屈な場所でしかない。学校の1時間目から6時間目まで懲役刑に服しているのと同じ。ひたすら時計だけを眺めながら、   ・「まだ1時間目か、、、」 ・「まだ2時間目か、、、」 ・「まだ3時間目か、、、」   と思いながら、教師から怒られないように、黙って座りながら耐え忍んでいる。だから、子供が学校に行くのは、決して子供自身のためではありません。   ・親が「行け!」と言うから仕方なく行っているだけであり、 ・教師が「やれ!」と言うから仕方なくやっているだけであり、 ・世間が「学校に行くのが当たり前」だと思っているから、行っているだけ   もし、 子供自身のことだけ考えたならば、今の公立学校は時間とお金の無駄でしかありません。だから、   「学校に行きたくないんだけど、、、」   というのは正解。行きたいはずがありません。無駄ですから。意味がありません。にもかかわらず、「何を言っているの!頑張りなさい!!」   ドリームキラー   「続けることが大事なんだから!  続けていれば良いことがあるんだから!!」   ドリームキラー   実際に続けてきた結果が、今、説教している親の人生。成功できたか・どうかは、誰よりも親自身がよく分かっている。にもかかわらず、子どもを学校に通わせ、頑張らせることが大事だと思っているとしたら、それは子供のことを思ってではありません。   親自身の自己重要感を守るため   「親自身が、真面目に学校に通った」 ↓ 「にも関わらず、自分は成功できなかった。」 ↓ 「もし、『子供に学校は行く必要がない。無駄だから。』と真実を伝えることになったとしたら、、、」   親は親自身の人生を否定することになる   自分を否定してでも子供の成功を心から望んでいる親なんて1%もいません。残り99%の親は、子供が生きている限り、子供に対しては親として偉そうにし続けたいと思っている。   「あなたは未熟」と思いながら、自分で自分の自己重要感を満たし続けたいと思っている。でなければ、   子供を公立学校に行かせ続けるはずがない   日本国憲法においての教育は、   ・親にとっては義務で ・子供にとっては権利     です。   親が親都合で子供を学校に行かせないというのは憲法上の義務に反します。しかし、教育は子供にとっては権利です。選べます。つまり、親都合ではなく   子供都合で「学校行かない」のは大丈夫   子供は子供らしいのが1番。 「やりたい!」と感じたから「やりました!」 「なりたい!!」と思ったから「なりました!!」でOK。   子供は子供だからこそ大きな夢実現力を持っている   親や教師にとっての「いい子」になる必要なんて全然ありません。ワガママでいい。子供が子供で居続けることができる期間なんて限られているのですから。何より、欲は抑えることでは決してなくならず、   欲は満たすことで初めて消える   つまり、 「どうやったら精神的な大人になれるか?」というのは方法ではないということです。論理的には簡単です。   子供として満たしたい欲を全て満たしたら本当の大人になれます   今回の【前半】では、子供であることの長所と、子供の時は子供であることが正解であるということを書きました。次回の【後半】は、「大人としてより大きな夢をかなえていく」をテーマとして書かせていただく予定です。よろしくお願いいたします。   大人と子供の境界線   貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。 ありがとうございます。 それでは、また。   白坂慎太郎   追伸: 4つの無料プレゼント中! → ホームページ制作の前に!!    続きを読む