タグ別アーカイブ: 勇気

行動する【伏見ひふみ】

伏見ひふみ

行動する【伏見ひふみ】   伏見です 文章のご確認、感謝しています。 ありがとうございます。   今回のテーマは 【行動する】 です。   私は、私達の身体というのは、誕生日の日に 「これは、あなた物ものです」という風に渡されたレンタル品だと思っています。 その自分を、「傷ついたらどうしよう」とか、「危ない目にあったらどうしよう」とか思って、「昨日は安全に過ごせたから、昨日と同じ今日を過ごしたら安全だ。」というように安全を第一優先にして毎日を過ごしていたら、一年前と変わらない今年になってしまう。悪い言い方をすれば、変化のない人生になってしまう。   それで幸せならそれでいいんです。幸せは、他人が決められるものではないし、安全というのは安心もできるので。   でももし、広い世界を見ようと思うのなら、   ・変化を恐れていてどうするのか ・変化を恐れていたら何もできない   という風に最近よく思います。   今この体があるんだから、その間にどんどん使ってあげないとあなたがもったいないと。   人生はきっと、変化のない道を歩むよりも、いろんなコーナーがあって、いろんな障害物があるから面白いんだと思います。   目の前に障害物や壁があって、それをどうやって乗り越えるか?という考え方ではなくて、どうやって自分は味わっていこうか?というように考えていきたいです。   せっかくの今あるこの体を使って、どう捉えていくかは全て自分の思考次第だと思えば、なんだってできる気がします。そして、そんな風にして生きていけば、きっと死ぬ時に「やり切ったな」と言える気がします。   正しい生き方ではこれです。という正義はないと思います。自分が生きたいと思った生き方が正しいと思って、今を生きる事を大切にしなければ、あなたがもったいないです。   他の人から見た正義は他の人の正義。結局のところ、人生は全部選択肢。目の前に沢山の情報があって、どれを取捨選択するかは全部自分が決めればいいです。   そして自分が決めたのなら、自分が責任を持ってやれば良い。難しい事はないです。 とにかく、やらないための理由を探して動かないよりは、動いてこの体を使っていかないと、せっかくの人生が勿体無いと考えます。   「誰のための人生ですか?」と聞かれたら、「自分のための人生です」と全ての人に答えてほしいです。   どんどん選んでやっていって、あなたが信じた通りに生きたらいいし 自分が思った事をやった方が、生きてる感じをもっと味わえるのではないでしょうか。   ただただ何となく繰り返しの毎日を過ごしていたのなら…もしくは、過ぎ去った過去の過ちだったり反省する出来事をいつまでも考えて、まるで死んだように生きるよりも…   あなたの頭で考えて、あなたの体を使って、どんどんチャレンジして行動した方が、今を生きてることを実感できると思います。   やってみないと何事もわからないはず。そして、やってやれないことはないけれど、やらずにできるわけもない。   死ぬときに、「年収このくらいいけば良かった」とか「あの人を超えたかった」とか思わないと思います。 人と比べる事じゃなくて、年収上げる事じゃなくて、とにかく今ある自分を使い切る事。 使い切る事が、本当の意味で生き切る。という事だと思います。   こんな名言があります。 ” 危険を冒して前へ進もうとしない人・未知の世界を旅しようとしない人には、 人生は、ごくわずかな景色しか見せてくれない ”   とにかく、自分の頭で考えて行動する。行動したからには、それを楽しむ! 失敗してもそれで良いと思って、それでも自分は自分の頭で考えて切り進んで行こう。そんな風に思って、もしせっかくの機会・チャンスが舞い降りてきたのなら、しっかり掴んで活かしていったら良い。   後で後悔しないために、毎日をより良くするために、今まさに私も取り組んでいるテーマです。      貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。 ありがとうございます。 それでは、また。 続きを読む

勇気を出す方法

経営

 白坂です、 文章のご確認、感謝しています。ありがとうございます。 まず、 4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!! さて、 勇気を出す方法 いただいたメッセージを1通、、、 >「今回のメール胸に響いて、少し泣いてしまいました。  勇気が出ました。有り難うございます!」 勇気という言葉を聞くと、何かとても勇敢なことをする気持ちという印象があります。たとえば、バンジージャンプに挑戦してみるとか、スカイダイビングに挑戦してみる、とか、、、 もちろん、それら勇敢なことに挑戦するというのも勇気は勇気なのだとは思いますが、経営に直結している勇気というのは、必ずしも、それら勇敢なことをどれだけしたか・どうかだけには止まりません。むしろ、本当の勇気というのは、  自分の良心に素直に従えている時に出てきます  逆の言い方をすると、何か1つでも後ろめたいことがあると勇気というのは出てきません。 人は「論理の生き物」ではなく「感情の生き物」です。だから、頭では「こうやった方がいい」と分かっていたとしても、なかなかその通り完全完璧にはできません。たとえば赤信号は渡ってはいけないという交通ルールがありますが、「周りに車が全然走っていないからいいや」とか、「私だけではなく他の人も渡っているからいいだろう」と自分の都合良く解釈して、何だかんだで頭で知っていることと違うことを考えがち、です。 頭で理解していることをその通りに完全完璧にやることが出来る人なんて、ただの1人もいません。みんな完全完璧には出来ていません。8割でも出来ていれば合格。残り2割くらいは「本当はこっちの方がより正しいのだけれども、実際は、、、」というグレーゾーンみたいなものが、ありとあらゆるところに存在しています。 いついかなる時も清廉潔白(せいれんけっぱく)というのは頭の理屈だけの話で、実際の人間は「白」と「黒」の間のグレーゾーンの中で生きています。だからこそ経営者の器というのは  清濁併せ呑む  に関わっているわけです。濁っている部分に対して、イチイチ、「それはココの部分が間違っている!」「そうではなくて、コッチの方が正しいんだ!!」とやっていたら、世界中のただの1人とも良好な人間関係を築くことなんか出来ません。なぜなら、ありとあらゆる時で、いつ・いかなる時も完全完璧に正しい行為が出来る人なんて1人もいないからです。 「本当はこうするのがより良いのだけど、まぁ80点くらいは出来ているから、この人は大したものだ」というくらいの度量がないと、他人と協力しながら事業を大きくしていくということは出来ないわけです。いわば、  社会というのは80点くらいの人たちの集まりで成り立っている  ということです。 ・頭では100点のことを知っている↓・しかし、人は頭で知っている100点満点のことは実際は出来ない↓・だから、100点のことを頭で知りながら、実際は80点でも良しとする  それが、60点の人をも良しとし、40点の人をも良しとしたならば、それだけ、その人は度量が大きいということになります。 ただし、 それはあくまでも相手や世間に対しての態度であって、自分自身にとっての基準としてはやはり良くないわけです。たとえ、人間は完全完璧にはなれないと頭では知っていたとしても、それでも、  自分自身に対してだけは、あくまでも完全完璧を追求し続ける  「赤信号は渡ってはいけない」というルールが存在しているのであれば、たとえ周囲に車が全然通っていなかったとしても、たとえ他のみんなが赤信号にもかかわらず渡り始めていたとしても、自分だけは赤信号では渡らない。 なぜなら、「赤信号は渡ってはいけない」は法律だから。人が次々に法律を破り出したら、社会の秩序を維持することは出来ません。もし、その法律が時代に合わなくなり、その法律にみんなが従うことが合理的ではないというのであれば、その法律そのものを廃止すべきで。もし、その法律が廃止されずに有効に存在し続けているのであれば、やはり法律に従うことこそが正しいです。つまり、  正しいことを正しくやることが出来ている時にだけ本当の勇気が出てくる  ということです。「他の人がどう言っている」とか、「常識ではこうなっている」とか、「世間のみんながこうやっている」とかではなくて、自分の良心に照らし合わせて何1つとして後ろめたいことがなく、 ・奥さんに対しても、・旦那さんに対しても、・こどもたちに対しても、・社員さんたちに対しても、・株主たちに対しても、、、、  「これが正しいことなので、これをやります!!」  と断固として言おうとしている時に、本当の勇気が出て来ます。つまり、自分にとって本当に大事な人たちに対して、何一つとして後ろめたいことがないことをやろうとする時に  勇気が出て来ます  「これはどう考えても、こうやった方がよい」という自分の内側からの確信があったならば、「誰が反対している」とか、「みんなの賛成が得られない」とか、「あのお偉い先生からの同意が得られない」とか、、、それらのことは、一切、関係なく感じられます。たとえ100人中100人に反対されようが、  「分かりました。では、私1人でやります」  と断固として主張できるようになっています。世間というのは100点満点ではないのです。80点なのです。常識に従っていれば概ね80点は取れるかもしれませんが、100点は取れません。もし100点が取れることがあるというのであれば、それは他人の意見や世間の風潮に従ったときではなく、  自分自身の内から湧き上がる良心の声に従った時だけ  単に周囲からの反対に、ただ頑固だというのではないのです。良心の声というのは複雑ではなくとても単純なので、本当に正しいことというのは簡単に分かることなのです。「赤信号はこういう場合は渡って良くて、逆にこういう場合は渡ってはいけない、、、」などと複雑なものでは決してなくて、「赤信号は渡ってはいけない」と言うほど、極めて単純なものなのです。だから、  良心の声というのはとてもか細いけれど、聞き間違えることは絶対にありません  「いろいろな人がいろいろなことを言っているけれど、物事というのは、本当にそれほど複雑なのだろうか?」と自問自答をしてみます。周囲の複雑さに自分も流されそうになっている時には勇気は出て来ません。その時に出て来ているのは、単なる妥協の気持ち。世間の濁りを自分の基準にもしようとしている、だけ。 たとえ、相手や世間の濁りを許容できる度量は必要だったとしても、自分自身の基準までを世間に合わせてはいけません。仮に生きている間は到達できなかったとしても、あくまでも自分自身に対してだけは求める基準を  完全完璧とする  実際に出来ているか・どうかではなく、あくまでも目指して努力すること。努力し続けること。自分は自分が求めている完全完璧の基準からすると、まだ・まだ、、、だと思えること。それが自分の成長余地です。 そして、いざ本当に大事なことを決断しようとするとき、、、その時に自分の心に何一つ引っかかることがなく、これは ・奥さんにも・旦那さんにも・こどもたちにも・社員さんたちにも・株主たちにも、、、、  「これが正しいことなので、これをやります!!」  と堂々と言おうとしている時、、、その時にこそ、正真正銘、 本物の勇気が出て来ています 勇気を出す方法 貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。ありがとうございます。それでは、また。 白坂慎太郎 追伸:4つの無料プレゼント中!→ ホームページ制作の前に!!  続きを読む