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ウマ娘から学ぶ経済の実際

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白坂です、   ウマ娘から学ぶ経済の実際 『ウマ娘』というのは スマホで遊べるゲームです。 個人的には社会人になってからは ゲームをほとんどやっていませんでした。 なぜなら、 私は社会人経験を進学塾の講師から始めており、 塾講師にとってゲームというのは、ある意味、 敵対的な対象でさえあったからです。 塾に子ども達を預けてくださる保護者様の 最大の悩みは、 >「先生、うちの子は家で全然、勉強しません。   家では漫画を読んだりゲームばっかりしています。。。」 でした。 だから、 塾講師という仕事柄、 >「いかに子ども達に勉強をさせるか?」 が仕事であり、 言い方を変えれば、 >「いかに子ども達にゲームをさせないか?」 という立場の人間でした。 しかし、 この『ウマ娘』に関しては、 実際にゲームをやってみました。 しかも、 3か月間、しっかりとやりました。 なぜなら、 上場企業の1社である「サイバーエージェント」社が この『ウマ娘』というゲームで、記録的な 好業績を続けていたからです。 【流行しているものには  流行しているだけの理由が必ずある】 「これは実際に自分もゲームで遊んでみるしかない」 と思いました。自分自身が実際にやりもしないで、 外からの観察結果だけで「あーだ、こーだ」言っていても、 評論家の域を絶対に出れないからです。 「なぜ『ウマ娘』は、これだけ流行っているのか?」 やり始めて、 1か月半くらいで簡単に分かりました。 そして、分かったことは、腰が抜けるほど シンプルなことでした。 【ゲームとして物凄く面白い】 上手く行っているものから学べることは 結局、いつも、とてもシンプル。 たとえば、外食。 飲食屋さんにお客様が求めていることは、 ・早く ・安く ・美味しい物を食べたい という極めてシンプルなこと。 だから、たとえば『スシロー』などは、 「美味しいお寿司をお腹いっぱい」という 極めてシンプルなことを追求し続けている。 当然、業績も良い。 一方、 他の飲食屋さんは、 >「うちは、こんなにコロナ対策を行っています」 >「うちは、こんな新しい注文システムを導入しています」 >「うちは、こんなに環境に配慮した取組みをしています」、、、 という、 お客様が最も求めていること「以外」の所に 力を入れていがち。 だから、 お客様が最も求めていることを徹底的に追求している お店に勝てないでいる。 同じように、 ゲームを遊ぶ人が ゲームに対して最も求めていることは 「どれだけゲームが面白いか?」 に尽きる。 個人的には、 次世代ゲームと呼ばれているブロックチェーンを 活用したブロックチェーンゲームなども、 スマホにダウンロードして、少し触ってみた ことがあります。 しかし、 はっきり言って、現時点までの 「ブロックチェーンゲーム」は、 ゲームそのものがツマラナかった。 いくら、 「ゲームで育成できたキャラクターや アイテムを売却することで、お金を稼ぐことも 出来ます」と言われたとしても、 面白くもないゲームをやり続けて、 お金を稼ぐというのは、 苦役以外の何物でもない。 それだったら、わざわざゲームでお金を稼ぐ必要はなく、 今、実際に目の前にいるお客様に対して 本業に全集中した方が圧倒的に良い。 ゲームなのにゲームそのものが面白くない というのであれば本末転倒。いかに、 革新的な技術が使われていたとしても 全く意味がない。 一方、 『ウマ娘』は、 ゲームそのものが物凄く面白い。 『ウマ娘』は、 調教師(トレーナー)になって、 競走馬(ウマ娘)を育てるという育成ゲーム。 そもそも、 競馬場を馬ではなく、女の子が走るという アイデアそのものが非常に画期的。 ただ、その見た目以上に、 ゲームとして非常に奥が深い 目的は、 「強い『ウマ娘』を育てること」と 極めてシンプルなものであるものの、 では、 「どうやったら強い『ウマ娘』を育てられるか?」 に関しては、ほぼ無限の改善手段がある。 育成をすれば・するほど、 育成がどんどん上手くなるという 「実力」勝負の要素が、まず面白い。 そして、 『ウマ娘』をゲームとして面白くしている 実力「以外」のもう1要素もある。 それは、もちろん 運 たとえば、 同じゲームでも将棋などは、この運という要素が ほとんどない。 なぜなら、将棋というのは、どこまで言っても、 悪い手を指したら負け、という自己責任 100%のゲームだから。 だから、 単純に、脳の情報処理能力で 勝負が決まってしまう。 AI(人工知能)に人間が将棋で全く 勝てなくなったのは、AIの方が 1秒間で計算できる情報処理能力が 圧倒的過ぎるから。 AI(人工知能)の方が人間よりも 悪い手を指す確率が圧倒的に小さい。 だから、 職業として将棋を指しているプロ棋士以外、 誰も、AI(人工知能)相手に将棋を 指し続けたいとは思わない。 指す度に、ほぼ100%の確率で 負けると分かっている勝負をやり続けたいと 思う人は、誰もいない。 しかし、 『ウマ娘』は違う。 実力の要素が大きいので、 やれば・やるほど上手くなり、 より強い『ウマ娘』を 育てられるものの、 運によっても結果が大きく変わる 「どのキャラクターを育成できるか?」 「どのサポート体制で育成できるか?」 「育成中、何回、何人のサポートを受けられるか?」、、、 などは、 運になっている。 だから、 全く同じ人が、同じように育成しても、 育成結果が、1回・1回で大きく変わる。 つまり、 実力によって下限を安定させることは出来ても、 「上限をどこまで伸ばせるか?」は、 運の要素が大きい。 『ウマ娘』は、 この 「実力」と「運」の要素が絶妙。 だから、 ゲームとして物凄く面白い。 そして、 ハマる人はハマる。 とことんハマる。 『ウマ娘』は、この文章を書いている時点で、 日本国内で1,500万ダウンロードされている。 1人1回のダウンロードではないので、 1,500万ダウンロードは、そのまま、 1,500万人が遊んでいることにはならないものの、 数百万人以上は遊んでいる。 『ウマ娘』は、基本、無料で遊べるゲームなので、 99%以上は、無料で遊んでいる。 しかし、 残り1%の数万人はハマっている。 とことんハマっている。 だから、ハマっている人たちは、 毎月:何万円と『ウマ娘』にお金を使っている。 人によっては、累計:500万円以上を、 『ウマ娘』に使っている。運の要素を、 お金の力で最小化している。 そして、これこそが 経済の実際 ゲームには大きく、 ・ゲームソフトを買ってもらって、  その買ってもらった人たち全員から  数千円ずつをゲームソフト代として受け取る ・ゲームそのものは、基本、無料で遊んでもらう。  1%の超ヘビーユーザーの方から、何万円、  何十万円、何百万円、、、と受け取る という 大きく2つのゲームがある。 しかし、 収益金額が圧倒的に大きいのは後者。 1人・1人から数千円ずつのソフト代を受け取るより、 ごく1部の人から、物凄く大きな金額を受け取る方が、 ゲーム会社は圧倒的に大きな収益を受け取っている。 これが 経済の実態 お金には「平等」という原則が働かない。 たとえば、日本には1,000兆円の家計部門での 現預金があるものの、みんなが等しく、同じ金額ずつの 現預金を持っているわけでは、当然にない。 ・借金の人もいれば、 ・貯金ゼロの人もいれば、 ・何億・何十億、、、という現預金の人もいる。 つまり、 お金は偏っている。 平等ではない。公平ではない。 昔は、2割のお金持ちが8割のお金を持っていたが、 最近は1割のお金持ちが9割のお金を持っており、 やがて、1%のお金持ちが99%のお金を持つ社会へと 近づいていく。 だから、 どんな人からも等しく、お金を受け取ろうとする ビジネスが最も難しい。 なぜなら、人によっては借金があり、 また、人によっては貯金ゼロなので、 その人たちからもお金を受け取ろうとすると、 互いに不幸な結果が待っている。 一方、 お金を持っていない人は持っていないが、 持っている人は、持っている。 『ウマ娘』に500万円以上も使える人は、 単純に、500万円以上の余裕資金があるから。 500万円以上も使いながら、後悔など 1ミリもしていない。むしろ、今日も 明るく・楽しそうに、『ウマ娘』に関する動画を YouTubeに上げ続けている。 ウマ娘から学ぶ経済の実際 どんな人からも等しくお金を受け取ろうとすると、 どうしても値下げ競争に陥る。余裕資金を 持っていない人にも買えるようにするには、 安くするしかない。 そして、安くするというのは、値段を書き換えるだけなので、 知恵が働かない。簡単に出来る。だから、 誰かが安くすると、必ず、もっと安くする 競合が必ず現れる。 結果、 1位の大企業だけが「規模の経済」を活かして 利益を確保することが出来て、2位以下の 企業が全て負ける。 衣食住など生活必需品であれば、それでも みんなが買える必要もあるので、安値競争も 仕方がないとしても、最低限の生活必需品は 日本人は既に持っている。 生活必需品「以外」の商品・サービスは、 全て、【贅沢品】。買っても・買わなくても どちらでも良いもの。 買えば豊かさ感覚を感じられる、 というもの。 だから、 極論、99%の人たちは買わなくていい。 本当に欲しい1%の人たちだけが買えばいい。 そして、 その1%の人たちに、 「いかに払ってもらったお金以上の  豊かさを感じてもらえるか?」 だけに知恵を全集中で働かせる。 それがビジネス。 『ウマ娘』を、ただの1度も遊んだことがない人、 特に評論家は、一生、実感できない経済の本質。 外から観察し、頭だけで分かった気になり、 偉そうに言葉で評論している人は、 たとえ経済を言葉を語っていたとしても、 その人は、経済を動かしてはいない。 本当に 経済を動かしているのは、 『ウマ娘』に何万・何十万・何百万円、、、と 使っている人たち。たとえば、 NFT(非代替性トークン)などにも、 何万・何十万・何百万と使っている。 そして、さらに同じ人たtが、 税金も、やはり何百万・何千万・何億、、、と 払うことで、経済を実際に動かしている。 ウマ娘から学ぶ経済の実際 かく言う私も『ウマ娘』をやるまでは、 まさか1ゲームに500万円以上も 払っている人たちを身近に感じることはなかった。 暗号資産や株式投資のように 直接のリターンを期待できるものならともかく、 ゲームに500万円以上も使っている人たちが 居ることを身近に感じられたのは、とても新鮮だった。 ちなみに、 『ウマ娘』は、私だけではなく、 10才の娘も遊んでいる。 別に彼女に「やった方がいい」と勧めたわけでは なかったものの、たまたま、私が遊んでいるのを見て、 彼女も「やってみたい」と言ったので、彼女の タブレットに入れてあげた。 結果、 10才の娘もハマっている。物凄くハマっている。 流石に彼女は10才なので、『ウマ娘』に課金を しているわけではないのだが、無料でも十分に 彼女なりの楽しみ方で楽しんでいる。つまり、 『ウマ娘』は、やはりゲームとして物凄く面白い おかげで、この3か月間、 娘との会話の機会が格段に増えた。 娘と私は年の差が37才もあるので、 本来なら共通の話題は何もない。 しかし、この3か月間、娘と私の 共通の話題として『ウマ娘』が出来た。 結局、ゲームもSNSも、 人と人のコミュニケーションの手段 だということも 強く実感できた。 そして、 かつて私が子供たちに教えていた 教科としての「社会」よりも、 この『ウマ娘』の方が、100万倍以上、 本当の社会を身近に感じさせてあげることが 出来たと心より思っています。   ウマ娘から学ぶ経済の実際 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎   追伸: → ブログ読者さんへの無料プレゼント続きを読む

【リカレント教育】とは?簡単に

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白坂です、   リカレント教育とは?簡単に 『リカレント教育』とは、 簡単に言えば、 【生涯学習】のことです。 『リカレント』とは 「繰り返し」という意味です。 だから、 大学を卒業した後も、 「繰り返し学習し続けましょう」というのが、 『リカレント教育』になります。 だから、 大きなところで言えば、 「生きている間、学び続けましょう」ということで、 【生涯学習】と『リカレント教育』は、表面上は同じです。 では、 過去から考え方としてあった【生涯学習】と、 カタカナで出てきている『リカレント教育』では、 「厳密には」何が違うのでしょうか? 過去20世紀の場合、 大学卒業まで学習したら、22才までに 獲得した知識・技能で、残り40年間、 仕事をする、、、というのが大前提でした。 だから、 昔からあった【生涯学習】というのは、 ある意味、趣味に近かった。仕事に必要な 知識・技能は22才までに獲得済み。 それ以上で学ぶと言うのは趣味になります。 ところが、 『リカレント教育』というカタカナが 出てきた背景には、22才までに獲得した 知識・技能で40年間、仕事をし続けられなくなった という前提があります。 もし 社会で活躍し続けようとしたら、 常に、知識・技能を更新し続ける必要が 出てきました。 だから、 【生涯学習】と『リカレント教育』というのは、 「生きている間、一生涯、学び続けましょう!」 という大元は同じでも、 【生涯学習】: 趣味として学びを一生涯で続けましょう 【リカレント教育】: 実益として学びを一生涯で続けましょう という点で 厳密には異なります。 だから、 【生涯学習】の場合、大学卒業後に、 もう1度、大学生が通っている既存の大学に 聴講生として参加するということはあったとしても、 『リカレント教育』の場合、大学卒業後に もう1度、大学生が通っている既存の大学に 聴講生として参加するということは「ありません」。 なぜなら、 既存の大学とは、大学生が学ぶための 机上の空論の知識を学ぶ場だから。 ・中学の先生は、中学生のための先生 ・高校の先生は、高校生のための先生 ・大学の講師は、大学生のための講師、です。 大学の講師は、 残念ながら社会人のための講師ではありません。 大学までは机上の空論で良い。 もし、精神世界で論理が成り立っていたら、 たとえ現実社会で役に立たなくても、 講師は知識を教え、生徒は知識を学ぶ。 しかし、 社会に出た後に必要な知識は、 机上の空論では意味がない。 目の前の課題を実際に解決できる実践学でないと無意味 だから、 既存の大学で「幸せとは?」と哲学的に研究することは、 学問としては成立しても社会では意味がない。 哲学者になったら幸せになれるわけではないから。 既存の大学で「経営とは?」と経済学的に研究することは、 学問としては成立しても社会では意味がない。 経済学者になったら経済的成功を実現できるわけでもないから。 学問は、 表面上に出た結果を、「言葉」や「数字」で あれこれと分析して、解釈して、推論している、だけ。 だから、 表面上のことは分かったとしても、 表面上のことしか分からない。 実際に行われている水面下のことは 全く分からないで、勝手な憶測を 好き勝手にやっているだけ。 実社会の悩みや課題は、 学問の世界よりも もっと・もっと・ずっと身近で具体的。 だから、 解決策も、学問の世界よりも もっと・もっと・ずっと具体的で、 地道で泥臭い 大学教授たちは、 大学の研究室という、ある意味、自分たちの 狭くて・細い世界にとじ込もって研究しているだけで、 「地道で泥臭い」ことを本人が、やっていない。 もちろん、 「地道で泥臭い」ことを本人がやっていないので、 当然、伝えられない。本人がやっていないことは、 どうしても抽象的な話しか出来ないので、現実社会では 役に立たない。 なので、 【生涯学習】として、趣味として何か学ぶために 大学生が通う既存の大学に通うことはあり得たとしても、 『リカレント教育』として、実益のために何かを 学ぶ場合、大学生が通う既存の大学に通うことは「あり得ない」。 ・もし結婚生活で幸せになるために学ぶのであれば、  実際に、良好な夫婦生活を築けている、  夫や妻から学んだ方がよく、 ・もし幸せな子どもを育てる方法を学ぶのであれば、  実際に、幸せそうな子どもを育てている、  親から学んだ方がよく、 ・もし起業して会社を経営する方法を学ぶのであれば、  実際に、起業して会社を経営している経営者から  学んだ方がよい、、、、 相手が 実際に実践している実践者であれば・あるほど、 話が具体的で、しかも、地味で泥臭い。 知識としては当たり前のことだったとしても、 その当たり前のことを、地道にコツコツ 実践しているからこそ、上手く行っているという 実学を学ぶことが出来る。 と言うことで、 『リカレント教育』とは、 「生きている間、一生涯を通じて学びましょう!」 という意味で、【生涯学習】のことであり、 目の前の課題を実際に解決できる知識・技能を 生きている限り、「繰り返し」学び続けること です。   リカレント教育とは?簡単に 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎続きを読む

関わらない方がいい人

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白坂です、   関わらない方がいい人 関わらない方がいい人: 簡単です。 完璧主義者 です。 100点満点の完璧を あなたに求める人には 関わらない方がいい。 なぜなら、 もし完璧主義者と関わってしまうと、 会う度・会う度で、欠点を指摘したり 批判をしてきたりするから、です。 ・会う度・会う度に、  欠点を指摘してくる人と、 ・会う度・会う度に、  褒めてくれる人と、 「どちらの人に、【また】会いたい  と思うでしょうか?」 言うまでもありません。 ・会う度・会う度に欠点を  指摘してくる人に【また】会いたいと  思う人はいません。 もし 【また】会うならば、 会う度・会う度に褒めてくれる人に 【また】会いたいと思います。 それが、 【人情】です。 完璧主義者の一見、分かりにくいところは、 相手のために厳しいことを言っているように 見えることです。暗に >「あなたのために、あなたの欠点を指摘している」 と見えなくもないこと。 しかし、騙されてはいけません。 たとえ一見、 >「あなたのために、、、」と見えたとしても、 実際は、「あなたのため」でも何でもない。 単純に、 自己重要感を満たしたいだけ 相手の欠点を見つけて、 相手の欠点を指摘して、 相手よりも自分の方が優れている、、、と 自己重要感を満たしたいだけ。 もし、 本当に相手のためなのであれば、 相手の欠点を指摘しない。 褒める。 それが、最も、相手のヤル気が高まる 方法だから。 人は、自分に甘く・他人に厳しい なぜなら、 自分は自分が24時間365日で どれほど頑張っているかの全てを 知っているのに対して、 自分は他人が24時間365日で どれほど頑張っているかを、ほとんど 何も知らないから。 だから、 もし、自分自身が結果を出せなかった時は、 >「これだけ頑張ったのだから仕方がない」と 思えるのに対して、 もし、他人が結果を出せなかった時は、 >「頑張りが足りないから。もっと頑張るべき」と 物凄く冷徹な態度になる。 人は、 どんな人も完璧にはなれない。 完璧は概念上の神様や仏様の話。 人間は78点で最高。 現実は、60点で合格。 もし、自分自身にしろ、他人にしろ、 昨日よりも1センチでも1ミリでも 成長しているというのであれば、 それ以上、何を求めることがあるのだろう? 誰だって、 ・批難されたら元気がなくなり、 ・褒められたら嬉しい。 それが【人情】。 それでも、 >「いいや。相手のことを思えばこそ   言いたくないことでも、厳しいことを言うべき。   相手は自分の指摘を受け入れるべき。」 という人が居たら、 関わってはいけない。 その人は、 地に足が着いた物理世界を生きていない。 頭の概念上の精神世界だけで生きている。 頭の概念だけで言えば、 何でも考えられる。何でも言える。 まるで自分や相手が、神様や仏様で あるかのように捉えられる。 だから、 >「どんな人をも等しく愛して、   受け入れて、、、」というような 概念上の博愛を語ることも出来る。 それは、 頭の概念上の話。宗教上の話。 地に足が着いた物理世界では無理。 博愛は千年・二千年、、、と 唱えられているにも関わらず、 今だに実現しないのは、 単純に無理だから。不可能だから。 たとえ頭で考えて出来そうだったとしても、 実際には出来ないことが山ほどある。 博愛は、その典型。 >「どんな人をも等しく愛して、   受け入れて、、、」 は、どれほど頭で出来そうだったとしても、 千年・二千年、、、実現しなかった。 そして、これから千年・二千年、、、でも やはり実現しない。不可能だから。 現実は、 ・地球の裏側の南米の人より、  目の前の奥さん・旦那さんの方が  100万倍、大事で ・地球の裏側の南米の人より、  目の前の子どもや親の方が  100万倍、大事で ・地球の裏側の南米の人より、  目の前の顧客の方が  100万倍、大事。 だから、 相手によって接し方は、当然、変わる。 ある人は自分にとって もの凄く大切だから 自分の時間とエネルギーを たくさん投資して、 ある人は自分にとって 大事ではないから 自分の時間とエネルギーは ほとんど使わない。 そして、 ある人とは、関わらない。 完璧主義者とは関わらない 会う度・会う度、欠点を指摘して来る人に 「【また】会いたい」など、思うはずがない。 会いたくないから、会わない。 それで幸せに生きられる。 もし関わってはいけない人が 完璧主義者だと明確になると、 逆に、関わった方がいい人も 明確になる。当然、 自分を褒めてくれる人 褒められたら気持ちが良い。 自分を褒めてくれる人には、 「【また】会いたい」と思う。 そして、自分を認め・褒めてくれた人の 期待に応えらられるように、 もっと頑張ろうと思う まさに、 『ピグマリオン効果』: 教師が生徒たちは優秀だと信じれば信じるほど、 生徒は教師の期待に応えられるように頑張る。 そして、実際に生徒たちは教師の期待に応える。 褒めると言うのは、 リスクは極めて小さく リターンが極めて大きい。 褒めることにリスクは、 最悪でも「お世辞を言っているのか!?」と 思われる程度。欠点の指摘ように 絶交になるほどのリスクはない。 一方、 リターンは、相手が自分の想像以上に 成長する可能性があること。 頭で考えた概念だけの教育から いかに脱することが出来るか? 完璧主義者は、 頭で考えた概念だけの世界で生きている。 だから、現実社会で実際に幸せに 生きられない。 もし、 現実社会で幸せに生きたい場合、 完璧主義者とは関わらない。 自分を認め・褒めてくれる人と 積極的に関わる。 そうすれば、 自分を認め・褒めてくれた人の 期待に応えられるように精一杯に頑張る。 結果、大きく成長できた上に、 最高の人間関係の中で幸せに生きられます   関わらない方がいい人 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎続きを読む

使命は誰を幸せにしたいか?

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白坂です、   使命は誰を幸せにしたいか? 使命とは、 「生きる【目的】」。 別に、 目的がなくても生きることは可能です。 ・最低限の着る服があって、 ・お腹を満たせるだけの食べ物があって ・安全に寝れる住居があれば、 たとえ、使命(生きる目的)がなくても、 生きていける。長生きも可能。 では、 「使命というのは何のために必要か?」 と言えば、やはり 成長のため だと言えます。 人は目的がないとダラダラします。 手を抜きます。サボります。 楽な方・楽な方へ流され続けます。 そして、 「なぜ、やれなかったのか?」に 関する言い訳の達人になります。 使命がなくても生きてはいける。 ただ、何の生きる目的もなければ 文字通り無意味な人生になる。 だから、 使命を考える。一生懸命に考える。 食べて・寝て、、、の人生に 何か意味を見出そうとする。 では、 どうやったら使命を見い出せるのか? 生きる目的に気づけるのか? 残念ながら、 >「自分は何が好きなんだろうか?」とか、 >「自分は何がやりたいんだろうか?」など、 自分の『好きなこと』や『やりたいこと』から 発想している間は、 使命を見出すことが出来ません。 なぜなら、 使命とは、「好きなこと」「やりたいこと」ではなく、 【目的】だから、です。 つまり、 【目的】である以上、 【目的語】が必要です。 すなわち、 【誰を?】 「私は一生を通じて【誰を】幸せにしたいのか?」 という問いへの答えが、使命です。 生きる目的です。 そして、 その【誰を?】への答えは、 大抵、苦痛体験からもたらされます。 なぜなら、 1度は「幸せにしたい」と思った相手を 自分の未熟さ故に幸せに出来なかった、、、 という体験が、 次こそは、【この人】を幸せにしたい という強い『想い』へと 繋がっていくから、です。 ・1度、挑戦した ↓ ・失敗し・挫折して・苦痛を感じた ↓ ・次こそは必ず、、、という『想い』こそが、 「私は、【この人】を幸せにしたい という使命(生きる目的)に繋がって行く。 だから使命ありきではない。 あくまで挑戦ありき。 体験ありき。 使命があるから行動できるのではなく、 行動し続けるうちに見出せるのが使命。 そして、 使命があるから上手く行くわけでもない。 何の使命がなくても、 たまたま偶然、流行に上手く乗っただけで 上手く行くこともあれば、 どれだけ真面目に一生懸命に 使命のためと思って取り組んでいたとしても、 社会の不確実性の前に、全く上手く行かない こともある。 使命とは、 見出しさえすれば上手く行くというような 魔法の杖ではない。そんな有難いものではない。 では、 使命とは何なのか? 簡単です。 何度も・何度も立ち上がる力になる 挑戦していれば上手く行くことばかりでない。 むしろ、上手く行くことは稀。大抵は上手く行かない。 失敗する。 その時に、 「何のため?」というのが何もなければ、 最初の1回目の失敗で簡単に諦めてしまう。 >『「何を?」が間違っていた」とか、 >「『どのように?』が間違っていた」とか、、、 極めて短絡的に考えて、だから、やることや やり方を変えようとしてしまう。変え続けようとしてしまう。 しかし、 もし「何のため?」という目的が明確であれば、 1度や2度の失敗では諦めない。めげない。 極論、上手く行くまで何度でも立ち上がるための 原動力になる。 使命は、 「自分が何が好きなのか?」「何がやりたいのか?」と 自分から物事を見続けているうちは永久に見出せない。 「【誰を】幸せにしたいのか?」 という相手が明確になってこそ見出せるもの。 それが使命。生きる目的。 その人のために生きる。 その時・その瞬間の自分の最善で その人のために全力で生きる。 使命さえあれば、 毎回・毎回で上手く行くわけではない。 百発百中はサーカス。現実にはあり得ない。 たとえ使命が明確でも失敗する時は失敗する。 しかし、 もし幸せにしたい対象が明確であれば、 たとえ上手く行かなくても諦めない。 上手く行かなければ、 上手く行くまで挑戦し続けられる 使命(生きる目的)を原動力に、 途中どんなことがあっても、 上手く行くまで挑戦し続けていれば、 最終的に使命を全う出来ます。 すなわち、 本当に幸せにしたかった人を 幸せに出来ています   使命は誰を幸せにしたいか? 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎続きを読む

苦痛が最大の学びに

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白坂です、   苦痛が最大の学びに 人は苦痛の体験を最も強く記憶します。 たとえば、 今から1万2千年前の縄文時代。 人は当たり前の野生の物を食べていました。 仮に目の前に2種類のキノコがあったとして、 1つのキノコを食べたら実は、毒キノコだった。 知らずに食べてしまった結果、ものすごく 体調を悪くした、、、とします。 もし、その苦しんだ体験を 簡単に忘れてしまったらどうでしょうか? 記憶に全く残っていなかったら、 当然、また毒キノコを食べてしまうかもしれません。 しかし、 脳はもちろん忘れません。 苦痛が強かった体験であればあるほど 強く覚えています。だから、もう2度と 同じ毒キノコは食べないで済む。 もし毒キノコであれば、簡単です。 覚えてさえすれば、もう2度と、 同じ毒キノコを食べなければ良い、だけ。 ただ、 現代社会の私たちの悩みは、 「毒キノコを食べる」・「食べない」 よりも、ずっと複雑です。 たとえば、 一般的に人生における3大苦痛と 言われることもある ・離婚 ・破産 ・親しい人の死 もし離婚を経験すれば、 当然、その離婚の記憶は強く残ります。 辛い想いをしていれば・しているほど 記憶が深く残ります。 そして、 脳は必死に考えるわけです。 「どうすれば同じ苦痛を  2度と体験せずに済むか?」 つまり、 「どうすれば同じ苦痛を避けられるか?」を 考えている時に、人は最も深く考えます。 そして、 人は全く同じ過ちを2度と繰り返さないように 学習をして行く。 苦痛が最大の学びに 離婚による苦痛を体験しているとしたら、 結婚そのものを後悔する気持ちにさえ なるかもしれません。 破産による苦痛を体験しているとしたら、 経済的成功を目指した挑戦そのものを 後悔する気持ちになるかもしれません。 親しい人の死による苦痛を体験している としたら、「なぜ、あの人が生きている うちに、、、」と過去を強く後悔するかも しれません。 辛い出来事が起きた瞬間であれば・あるほど、 そのような後悔の気持ちが湧き上がって 来ることは避けられません。 しかし、 5年後・10年後・20年後、、、に 必ず気づける時が来ます。そして、 感謝できる日が来ます。なぜなら、 その苦痛の体験を機に本当に深く考え、 学び、そして成長したことによってこそ、 夢実現や成功への道筋が拓かれたことに。 社会には冷めた人たちも多い。 離婚が苦痛に繋がるのであれば、 最初から結婚願望を持たない。 破産が苦痛に繋がるのであれば 最初から経済的成功を目指さない。 親しい人の死が苦痛に繋がるのであれば 最初から誰とも深い人間関係を築かない。 願望そのものを持たない。 当然、体験にも踏み出さない。 失敗せず、苦痛も感じず、 逆に、失敗し・苦痛を感じている人を 批難し・批判する。それが、さも 賢い在り方であるかのような人たちも多い。 もちろん、 人の生き方は自由。 ただ、 冷めた人たちが社会を発展させることは絶対にない。 みんながみんな、何の願望も持たず、 何の挑戦もしない社会が発展することは 有り得ない。 社会を発展させる人が居るとしたら、 やっぱり強い願望を持っている人。 挑戦に踏み出す人。そして、 苦痛の中から最大限に学び成長している人 もし 苦痛を感じているとしたら、それは単純に 挑戦したから。 もし離婚を経験し、強い苦痛を感じている としたら、少なくても1度は、 大切な人と2人で幸せな家庭を築こうと 挑戦したから。 もし破産を経験し、強い苦痛を感じている としたら、少なくても1度は、大切な お金を賭けて、成功に向けて挑戦をしたから。 もし親しい人の死を経験し、強い苦痛を 感じているとしたら、相手と深い人間関係を 築けていたから。 苦痛が最大の学びに もし離婚の原因を100%、自分の責任だったと考えたら、 「自分の何が良くなかったのか?」を深く・深く 考える。そして、学ぶ。その学びが、次の結婚生活で 幸せな家庭を築くのに繋がって行く。 もし破産の原因を100%、自分の責任だったと考えたら、 「自分の何が良くなかったのか?」を深く・深く 考える。そして、学ぶ。その学びが、次の挑戦での 経済的成功へと繋がって行く。 もし親しい人の死を機会に苦痛を感じたら、 「自分の何が良くなかったのか?」を 深く・深く考える。 相手に感謝を伝えるのを、 「いつか・きっと・そのうちに、、、」と思っていたら、 そのタイミングを永久に失ってしまったからこそ これほど苦痛を感じているのだという気づきに至る。 だから、 親しい人の死を機会に、時間を何より大切にすることに 繋がって行く。「いつか・きっと・そのうちに」から卒業し、 「もし今、出来るならば、今、【やる】」という 即断・即決・即行動の習慣へと繋がって行く。 苦痛が最大の学びに 苦痛を感じているということは挑戦をした、 ということ。もし、大きな苦痛を感じているとしたら 大きな挑戦をしたということ。 出来事が起きた瞬間、過去への後悔の念が 湧き上がって来るのは仕方がない。 人の脳は、苦痛を強く記憶する本能を 持っているので避けられない。 ただ、 時間が薬になる。 「日にち薬」になる。 そして、 辛い出来事が起きた5年後・10年後・20年後、、、に 必ず気づける。感謝できるようになる。 あの苦痛体験のおかげで、 本当に深く・深く考え、学び そして、 夢実現に繋げることが出来た、と   苦痛が最大の学びに 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎続きを読む

止めているのは自分自身

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白坂です、   止めているのは自分自身 人生は大小・無限の選択の連続。 たとえば、ものすごく身近なところでは、 朝食は、 「ご飯を食べるか?」 それとも 「パンを食べるか?」 もし迷えたり・悩めたり出来たとしたら、 最高に幸せなこと。なぜなら、どっちを 選んでも、人生にとって大差がないから。 つまり、 どっちでも良いことに対しても 迷えるほど時間に余裕があるということ。 最高に幸せな状態。 迷えたり・悩めているということは、 どちらを選んでも結果に大差がないから。 つまり、どっちでも良い。 もし、 決断の結果によっては、その後の人生が 大きく変わる可能性がある場合、 明らかに分かる。なぜなら、 身体に出るから ・鳥肌が立ったり ・呼吸が荒くなったり ・武者震いをしたり、、、 強い恐怖の感情に襲われる >「あぁ、これにYESと応えたら   本当に人生が変わるんだな」 というような場合、 迷ったり・悩んだりはしない。 ただ・ただ怖いという 感情で全身が覆われる。 だから、 ・NOと断って、一刻も早く  恐怖の感情から解放されたくなったり、 ・現在、比較的に上手く進み始めているものを  なぜか止めて過去の状態に無理やり戻そうとしたり、、、 一見、 とても理不尽な言動を取ろうとしてしまう。 なぜなら、人は、マイナス方向に対してだけでなく、 プラス方向に対してさえ、 変化【そのもの】を恐れているから たとえば、 もし40歳だとしたら、少なくても、過去40年間は、 今までの自分の考え方で生き延び続けることが 出来ていたということ。 もし変化がなければ、今後、更に40年間も 生き延び続けられる可能性が高い。 なぜなら、今までの過去の記憶が、 これからの参考になり続けるから。 ところが、 これから環境・人間関係が大きく変わってしまい、 今までとは全く違う環境・人間関係に変化した場合、 これまで40年間の記憶が全く役立たないことになる。 未体験の状況に対して、どのように考え、 どのように行動すれば良いか、過去の記憶の集大成である 自我には全く分からない。 「この先どうなるか分からない」というのが 恐怖という感情になる。そして、自我が感情を通じて、 身体に伝える。安心が保障されていない領域に 進まないように自我が全力で止める。つまり、 止めているのは自分自身 >「いいや、そんなことはありません。 私自身は挑戦したいんです。やりたいんです。 ただ、妻が、子どもが、友達、、、が止めるので 私はやりたくても出来ないんです。」 嘘 他者から止められているのが嘘なのではありません。 実際、本当に止められているのでしょう。 もし、相手にとって、あなたが大事な 人間関係の1人なのであれば、あなたの変化は 相手の変化。当然、相手だって恐い。 変えないで欲しいと思うのは極めて自然。 では、 何が嘘なのかといえば、止められているという 事実が嘘なのではなく、止められているから 出来ないというのが嘘。なぜなら、 本気中の本気の人を止められる人は1人も居ないから 自分自身でさえ恐い。不安。成功に確信が持てていない。 だから、自分自身でさえ揺れている。 そこに、妻・子ども・友達、、、の反対もあった。 だから、「他者のせいで出来ない」と正当化し 自己重要感を守っている、だけ。 もし、自分自身は覚悟が決まっていて、 たとえ百人中百人が反対しても、 断固として絶対に【やる】と覚悟が決まっていたら、 その本気の人を止められる人は誰もいない。 止めているのは自分自身 もし「他者のせい」で出来ないのだったら、 その問題は解決不可能。なぜなら、 人は他者を変えることは出来ないから。 しかし、 もし「自分のせい」で出来ないのだと 素直に認めれば、課題の解決可能性が生まれる。 なぜなら、人は、自分自身だけは変えて行く ことが出来るから。 もし止めているのが自分自身であり、 恐怖という感情なのだと気づけたら、 あとは、「その恐怖という感情と どのように向き合うか?」という自分の課題になる。 人の成長は、不確実性への許容度合 よく「あの人は『器』が大きい」というような 日本語が使われる。この時の『器』というのは、 抽象的な表現。器というのは、具体的には 不確実性への許容度合のことを言う。 たとえば、 赤ちゃんは器がゼロ。 つまり不確実性を受け入れられない。 だから、 お腹が空いたら何とか空腹を満たそうとする。 そして、お母さんが母乳をくれるまで 全力で泣き叫び続ける。 要するに、 赤ちゃんは全て自分の思い通りにしたい。 不確実性への許容度がゼロ。だから、器もゼロ。 そこから、人は成長して行く。 完全完璧主義という器ゼロの状態から、 人生を通じて、 人生は自分の思った通りにならない ということを繰り返し体験することで、 不確実性を少しずつ許容し始めて行く。 理想を常に追い求め続けながらも、 しかし、実際には、やってみないと分からない、 という現実を受け入れ始める。 だから、 人は成長すれば・するほど、 恐怖との付き合い方も上手になって来る。 なぜなら、 恐怖とは分からないことに対して 湧き上がって来るものだから。 「ある程度、分からなくても構わない」と 不確実性への許容度が上がって行くと、 恐怖の感情そのものが小さくなる。 人間の頭は完全完璧主義。 だから、100点満点からの減点方式で 物事を視る。 しかし、 現実は真逆。ゼロからイチへの加点方式。 基本、ゼロ。上手く行かない。そして、 上手く行かない可能性の方が圧倒的に高い。 圧倒的な低確率の中で何とかイチの結果を 無理やり創り出そうと大量行動を やっている時にこそ、人は最も成長する。 不確実性への許容度が上がる。器が大きくなる。 止めているのは自分自身 過去の人生を振り返ると、 どんな人にも転機というものがある。 >「この選択次第で、その後の人生が 確実に変わる」という瞬間がある。 そして、 もし人生が変わっていないとしたら、 毎回・毎回、同じパターンの反応をしている。 変化を拒絶する選択や、変化の進行を 破壊する判断を行なっている。 自分自身の選択のパターンを 客観的な視点で自覚できた時、 人は初めて、次の転機で違う反応が 出来る可能性が生まれる。 たとえば、 ・今度こそ、絶対に「YES」の選択をしよう、とか、 ・今度こそ、「この先どうなるか分からない」  という不確実性を受け入れて、何もせずに  進行を見守り続けよう、など 今までの自分とは違う反応が出来るようになる すると、初めて人生が変わり始める。 結局、全ては自分次第であり、 しかも、 恐怖という感情との向き合い方次第 いつまでも 全て自分の思った通りに、、、という 完全完璧主義は、身体だけ大きくなった 赤ちゃんのまま。 人は完全完璧にはなれない。 事前に未来を100%、見通すことなど 誰にも出来ない。結局、最後は、 やってみないと分からない。 だから、やってみる。 ということに尽きる。 100点満点からの減点方式が 価値観のままだと、基本、 何も変わらない。これまで同様の結果を、 これからも得続けるだけ。 しかし、 現実は、100点満点からの減点方式 どころか、ゼロからイチを無理やり 創り出そうとするものだということを 腑に落とし始めた瞬間、 不確実性への許容度が上がる もし、 可能性ゼロだと思って始めたのに、 1%は上手く行くという現実からの 反応が得られたら、後は、 ・「どうすれば母数を10倍・100倍、、、に   増やせるか?」 そして、 ・「どうすれば1%を2%に上げられるか?」 という 改善のサイクルに入って来る。 >「失敗したくない」 >「損をしたくない」 >「分からないことは怖い」、、、 というのは自然。普通。 でも、 それは全て基準が100点満点だから。 100から1が減点されるのを恐れている、だけ。 実際は、 ゼロからイチ。 元々、何も持たない裸の赤ちゃんとして 生まれてきているのであれば、最悪、 全て失ったとしてもゼロに戻るだけ。 以下、 大事なことなので3回、繰り返します。 ・人生は最悪でゼロ。  マイナスは数学上の単なる概念。 ・人生は最悪でゼロ。  マイナスは数学上の単なる概念。 ・人生は最悪でゼロ。  マイナスは数学上の単なる概念。 最悪、全てを失ったとしても ゼロに戻るだけ。 もし、今、何か「人」「物」「お金」 「肩書き」「地位」「名誉」、、、など 何かを持っているとしたら、それは全て 後天的に得ることが出来たもの。 最初は何も持っていなかった。 だから、挑戦して失う可能性があるのは 全て、後天的に得たもの、だけ。 だったら、 この後の挑戦で最悪、全てを失ったとしても、 ゼロに戻るだけ。そして、 実際に、全てを失うことはない 現実は、 ・想定していた最悪と ・思い描いていた最高の ・中間で進行して行く 止めているのは自分自身 これまでの機会は仕方がない。 問題は、これからの機会で 今までと違う反応が取れるか・どうか? ・今度こそ、絶対に「YES」の選択をしよう、とか、 ・今度こそ、「この先どうなるか分からない」  という不確実性を受け入れて、何もせずに  進行を見守り続けよう、など 過去の自分とは 明らかに違う反応が出来るようになったら、、、 次こそは結果を変えて行くことに 成功できています   止めているのは自分自身 今回は以上です。 本日も文章をお読みくださり感謝しています。 いつも本当にありがとうございます。 白坂慎太郎続きを読む