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大人と子供の境界線【前編】

 

白坂です、

 

文章のご確認、感謝しています。

ありがとうございます。

 

まず、

 

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さて、

 

大人と子供の境界線

 

「大人と子供の境界線というのはどこにあるのでしょうか?」

 

身体的には18才なのかもしれません。
なぜなら、18才になれば身体の機能が完成して子供をつくることも可能になっているからです。

 

法律的にも18才なのかもしれません。
世界的にも日本的にも、18才になったらほとんどの権利が認められるようになっています。

 

なので、
今回は

 

「【精神的】な大人と子供の境界線は?」

 

というのを考えてみたいと思います。

 

結論から言うと、この【精神的】な境界線というのは年齢では引けません。「どうすれば本当の大人になれるか?」は今回の最後で述べるとして、まずは、【精神的】な子供と大人の違いから先に説明していきたいと思います。

 

・子供:
 結果に対して自分の思い通りにしたい。
 思い通りにならなかったら感情が爆発して「ぎゃー!!」となり突発的な行動を取る

 

・大人:
 結果は結果として冷静に受け止める。
 常に、その時・その瞬間の最善な判断を考えることに集中している。

 

一見、子供が劣っていて大人が優れているように感じられるかもしれませんが、実は、子供と大人は一長一短です。なぜなら、

 

子供は感情に素直だからこそ夢実現力が強い

 

からです。
極論、生まれたばかりの赤ちゃんは、自分が叶えたい夢を、ほぼ・ほぼ100%実現していきます。たとえば、

 

・(おっぱいが飲みたい)

・「ギャー!!」

・おっぱいを飲ましてもらえる

 

空気を読むということを全く理解していないので、自分の欲求のままに生きているわけです。子供です。ワガママです。しかし、だからこそ夢を叶える力も強いわけです。

 

逆に、いわゆる「いい子」になってしまうと夢実現力は、極端に小さくなります。

 

・まだ幼稚園生なのに、
・まだ小学生なのに、
・まだ中学生なのに、、、

 

真面目で大人しくて、親や教師の言う通りにするいわゆる「いい子」の夢実現力は、絶望的なほどに小さいです。

 

「いい子」というのは、親や教師にとって管理しやすい子というだけであって、必ずしも本人にとって「いい子」ではありません。

 

本人の個性も才能も一切が無視された上で、もう通用しなくなっている価値観を大人から一方的に押し付けられてしまったという状態に過ぎません。

 

・まだ幼稚園生なのに、
・まだ小学生なのに、
・まだ中学生なのに、、、

 

親や教師の言うことに対して素直というのは明らかに不自然です。本人は全く納得していないのに、世間の空気で無理やり個性を押しつぶそうとしているだけ。

 

しかし、14才という自我が確立する前に親や教師の価値観で洗脳されてしまった場合は、「いい子」がそのまま「いい従業員」となり、生きている間、一生、安定重視になります。

 

・「これが社会なんだ」
・「これが人生なんだ」
・「これが自分なんだ」、、、

 

固定観念でガチガチに自分が縛られてしまい、精神的には、大人を経由することなく、30代前半にしていきなり老人になってしまいます。

 

もし、

 

・まだ幼稚園生、
・まだ小学生、
・まだ中学生、、、

 

だというのであれば、「いい子」になる必要なんて全然ありません。自分の欲求に素直でいい。周囲の親や教師がたとえ笑ったとしても、

 

自分の欲求に正直に生きていい

 

それこそ、冷静に親や教師を観察する。

 

「今、一方的に価値観を押し付けてきている親は、自分が今から叶えたいと思っている夢をもう既にかなえている目標とすべき人なのかどうか?」

 

「今、一方的に価値観を押し付けてきている教師は、自分が今から叶えたいと思っている夢をもう既にかなえている目標とすべき人なのかどうか?」

 

もし、親や教師が、自分がかなえたいと思っている夢をかなえている人でないのであれば、その親、その教師の言うことを素直に聞いても、夢はかないません。

 

本人自身が泳げないのであれば、相手を泳げるようには決して導くことはできないのです。相手の親は、相手の教師は、「こうしたら良いのではないか?」と頭で思っているだけ。本人の単なる感想です。でも、実際は本人でさえ出来ない。

 

本人でさえ実際には出来ないことを、子供にだけ押し付けている

 

だから、反発が正解。受け入れる必要は一切ありません。
単に先に生まれたというだけの理由で、年少者を自分の価値観を押し付けているだけ。

 

・まだ幼稚園生、
・まだ小学生、
・まだ中学生、、、

 

なのに、「いい子」というのは明らかに不自然です。
自我が確立する14才の前に、大人の固定観念で洗脳されてしまったと言うだけ。世間の常識に絡(から)め取られてしまっただけ。本人が本来持っていた夢実現力は、絶望的なほどに小さくなっています。

 

だから、

 

子供の年齢であれば子供であるのが正解

 

相手がたとえ年長者の親だったとしても、親が言っていることに疑問を持つ。「なぜ?」、と。「なぜ、親は成功していないのだろう?」、と

 

相手がたとえ年長者の教師だったとしても、教師が言っていることに疑問を持つ。「なぜ?」、と。「なぜ、教師は成功していないのだろう?」、と。

 

そのたった1つの「なぜ?」という視点で冷静に観察すると、簡単に見えてきます。親は、教師は、単に先に生まれたという

 

年長者というだけで偉そうなことを言っている

 

親や教師が、「キミはこうした方がいい」という助言には何の合理的な根拠もありません。単なる感想です。本人が単に「こう思う」という個人的な見解に過ぎません。

 

もし、親や教師が本当に成功するための方法を知っているのであれば、親や教師本人自身が成功しているはずです。

 

「いい子」というのは子供にもかかわらず、世間の常識に絡め取られてしまった子。親や教師からしたら管理しやすい大人しい子かもしれないけれど、本人が成功する可能性は絶望的に小さい。

 

子供は子供のままである方が極めて自然

 

自分の感情に素直に従う。
もし、自分の内側から「こうしたい!」「こうなりたい!!」という欲求が湧き上がってきているのであれば、その内から湧き上がってくる衝動こそが正解。唯一の正解。

 

もし、「こうしたい!」「こうなりたい!!」と言ったとして、周囲の親や教師たちから、「何を夢みたいなことを言っているの?」「もっと現実を見なさい!」と言われたとしたら、親や教師の方が間違っている。

 

親や教師が言っている現実というのは、本人たちにとってだけの現実であって、何も、全世界200か国、76億人の全ての人たちを知った上で理解している現実では全然ありません。

 

それどころか、日本1億2千6百万人の全員を理解した上で知っている現実でさえ、全然ありません。親や教師が知っている現実というのは、せいぜい、本人の数十年での人生体験によるものです。

 

自分自身でさえ成功できなかったのだから、目の前の子供も成功できるとは思っていない

 

もし、親や教師は成功していないのに、目の前の子供が成功したとしたらどうなるでしょうか?子供は親や教師を超えるということになります。今までは年長者だったから偉そうにできていたのに、いざ子供が成功したら実力や実績では、子供の方が自分よりも上だということになります。

 

どれだけ、言葉では「青は藍より出でて藍より青し」という言葉を知っていたとしても、本当に、そのことを受け入れることができる親や教師というのは1%もいません。残りの99%の親や教師が求めているのは、

 

本人自身の自己重要感

 

相手よりも「上」であるという自己重要感を求めている。だから、子供はいつまでも自分よりも「下」であって欲しいと思っている。心の奥底から、子供に親を超えて欲しいとは思っていない。

 

今まで過去数十年間、一生懸命に生きてきた自分自身が成功できなかったのだから、子供も成功できるとは思っていない。何せ、親自身、教師自身が、

 

・「これが社会」
・「これが人生」
・「これが自分」、、、

 

と固定観念でガンジガラメになっているのだから、子供までも世間の常識で絡め取ろうとしているだけ。

 

だから、親や教師の言うことを素直に聞く子だけを「いい子」と認識し、親や教師の言うことを聞かない子は、

 

・問題児
・落ちこぼれ
・不良、、、

 

と勝手なレッテルを貼っている。
学校に行きたがらない子供を見たら、

 

・不登校の問題児

 

だと認識してしまう。

 

「学校に行くのは当たり前」

「学校に行った方がいい」

「にもかかわらず、学校に行かないこの子は、不登校の問題児である。困ったものだ、、、」

 

困ったのは、学校に行かない本人ではなく、学校に行かない子供を問題児だと認識している親や教師の方。

 

ただの1度でも、「『なぜ、学校に行った方がいいのか?』と真剣に考えたことがあるのでしょうか?」

 

・「なぜ、小学校に行った方がいいのでしょうか?」
・「なぜ、中学校に行った方がいいのでしょうか?」
・「なぜ、高校に行った方がいいのでしょうか?」、、、

 

人生で、ただの1度でも、真剣に考えたことがあるのでしょうか?
単に、

 

・「6才になったら小学校に行くのが当たり前で」
・「12才になったら中学校に行くのが当たり前で」
・「15才になったら高校に行くのが当たり前で」、、、

 

と「常識」というたった2文字で片付けていないでしょうか?もし、ただの1度でも真剣に考えてみたら、今の日本の小学校には行く理由がゼロだということが簡単に見えてきます。

 

今の学校制度を設計している文部科学省の官僚たち自身が自分の子供たちを公立学校には通わせていない。

 

当然です。
無意味ですから。意味がありません。
時間の無駄です。たとえば、

 

「なぜ、今でも小学生は『かけ算の筆算』や『割り算の筆算』を練習しているのでしょうか?」

 

18才以降で社会に出た時に、「一体、いつ、実際に『かけ算の筆算』や『割り算の筆算』を自分の手を使って実際にやるのでしょうか?」

 

40年遅れの公的教育

 

(1)自分の手で筆算

(2)そろばん

(3)電卓

(4)エクセル

(5)人工知能、、、、

 

今の子供たちが社会に出た時に、本人が実際に筆算をすることは100%ありません。人工知能に聞けばいいだけ。「アレクサ、『324×59は?』」

 

「19,116、です。」

 

大人になった時に100%使わないことを、できるように一生懸命に練習させている。学校で、自宅で、塾で、、、

 

無駄

 

時間もお金も両方ともに無駄です。だから、子供たちがもし本当に子供のままだったら、学校には行きたくないはずです。なぜなら、人間の脳というのは、

 

自分にとって重要ではないことは忘れようとする機能を持っているから

 

人間の脳の短期記憶領域というのは、極めて限られた資源です。今、この瞬間、本当に使う必要がある情報だけを覚えています。ちょうど、机の広さに限りがあるので、机の上に置けるものに物理的な限界があるのと同じような感じです。

 

その限られた短期記憶の領域は、自分の目標達成に向けて重要なことだけに使いたい。逆に、重要ではないことはどんどん忘れていきたい。それが脳という機能です。にもかかわらず、

 

親や教師が教えてくれることは、自分の夢実現に向けて役に立たないことばかり

 

(1)親や教師が一生懸命に、「これを覚えなさい!」「これが出来るようになりなさい!!」と一生懸命に押し付けてくる

(2)しかし、脳からすると、「これは役に立つのだろうか?」「これは自分の夢をかなえるのに重要なことなのだろうか?」と疑問を持っている

(3)親や教師が一生懸命に押し付けてくるから、なんとか暗記しよう努力してみるのだけど、でも、本当は重要なことではないから、脳は本能的にどんどん忘れて行こうとする。結果、、、

 

認知的不協和

 

重要でもなければ緊急でもないことを無理やりやらせる学校は、子供たちにとっては退屈な場所でしかない。学校の1時間目から6時間目まで懲役刑に服しているのと同じ。ひたすら時計だけを眺めながら、

 

・「まだ1時間目か、、、」
・「まだ2時間目か、、、」
・「まだ3時間目か、、、」

 

と思いながら、教師から怒られないように、黙って座りながら耐え忍んでいる。だから、子供が学校に行くのは、決して子供自身のためではありません。

 

・親が「行け!」と言うから仕方なく行っているだけであり、
・教師が「やれ!」と言うから仕方なくやっているだけであり、
・世間が「学校に行くのが当たり前」だと思っているから、行っているだけ

 

もし、
子供自身のことだけ考えたならば、今の公立学校は時間とお金の無駄でしかありません。だから、

 

「学校に行きたくないんだけど、、、」

 

というのは正解。行きたいはずがありません。無駄ですから。意味がありません。にもかかわらず、「何を言っているの!頑張りなさい!!」

 

ドリームキラー

 

「続けることが大事なんだから!
 続けていれば良いことがあるんだから!!」

 

ドリームキラー

 

実際に続けてきた結果が、今、説教している親の人生。成功できたか・どうかは、誰よりも親自身がよく分かっている。にもかかわらず、子どもを学校に通わせ、頑張らせることが大事だと思っているとしたら、それは子供のことを思ってではありません。

 

親自身の自己重要感を守るため

 

「親自身が、真面目に学校に通った」

「にも関わらず、自分は成功できなかった。」

「もし、『子供に学校は行く必要がない。無駄だから。』と真実を伝えることになったとしたら、、、」

 

親は親自身の人生を否定することになる

 

自分を否定してでも子供の成功を心から望んでいる親なんて1%もいません。残り99%の親は、子供が生きている限り、子供に対しては親として偉そうにし続けたいと思っている。

 

「あなたは未熟」と思いながら、自分で自分の自己重要感を満たし続けたいと思っている。でなければ、

 

子供を公立学校に行かせ続けるはずがない

 

日本国憲法においての教育は、

 

・親にとっては義務で
・子供にとっては権利
 

 

です。

 

親が親都合で子供を学校に行かせないというのは憲法上の義務に反します。しかし、教育は子供にとっては権利です。選べます。つまり、親都合ではなく

 

子供都合で「学校行かない」のは大丈夫

 

子供は子供らしいのが1番。
「やりたい!」と感じたから「やりました!」
「なりたい!!」と思ったから「なりました!!」でOK。

 

子供は子供だからこそ大きな夢実現力を持っている

 

親や教師にとっての「いい子」になる必要なんて全然ありません。ワガママでいい。子供が子供で居続けることができる期間なんて限られているのですから。何より、欲は抑えることでは決してなくならず、

 

欲は満たすことで初めて消える

 

つまり、
「どうやったら精神的な大人になれるか?」というのは方法ではないということです。論理的には簡単です。

 

子供として満たしたい欲を全て満たしたら本当の大人になれます

 

今回の【前半】では、子供であることの長所と、子供の時は子供であることが正解であるということを書きました。次回の【後半】は、「大人としてより大きな夢をかなえていく」をテーマとして書かせていただく予定です。よろしくお願いいたします。

 

大人と子供の境界線

 

貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。

 

白坂慎太郎

 

追伸:

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