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日産の歴史から学ぶ経営(2)

白坂です、

 

【日産の歴史から学ぶ経営】
(1)ゴーン前:なぜ日産は経営危機に陥ったのか?
(2)ゴーン改革の光と影
(3)ゴーン後:今後の日産のビジョンと戦略

と言うことで、
今回は、

(2)ゴーン改革の光と影

【結論】
光:日産を劇的に復活させた
影:「技術の日産」というブランドが低下した

日産は目の前の5000億円の資金繰りを
乗り越えるために、フランスのルノーによって
事実上で救済されました。そして、ルノーから

カルロス・ゴーン氏が日産にやって来ます。

今回は、
ゴーン氏の2018年に逮捕されて以降は省略します。
あくまでゴーン氏の日産任期中における
「経営者として」の光と影に特化します。

光:日産を劇的に復活させた
影:「技術の日産」というブランドが低下した

ゴーン氏は経営者らしく、とにかく
数字にコダワリ・数字に強かった経営者だと言えます。

たとえば、
・減価償却の採用基準を変えたり、

・日本にやってきた1999年度の決算では、
工場を売却したことにともなう機械などの
廃棄損などを特別損失で一括計上したり、

・翌2000年度の決算では逆に、
売却できた土地代などを特別収益で
一括計上したり、、、しました。

結果、

ゴーン改革が始まる1999年度の決算では
約7000億円の最終赤字だった決算書が、
ゴーン改革初年度の2000年度の決算書では
逆に3000億円超の黒字として発表されました。

わずか1年で、
プラス1兆円の会計上の利益が発表されました。

合法のやり方なので何の問題もありませんが、
本業の状況があまり変わらない状況で、最初の
初年度で1兆円も決算書の数字が変わったのは、
ゴーン氏が会計を熟知ししていたからこそ、だと言えます。

このことで、
ただ、この演出された劇的なゴーン改革の成果によって、
ゴーン氏は、日産の救世主にしてカリスマ経営者と
見られるようになりました。

その後に本当の改革が始まります。
一番、代表的なのは、経費の20%削減です。

通常、経費を20%を削減すると言うのは、ほぼ不可能とも
思える高い基準ですが、なにせ1年で1兆円も会計上の
利益を改善したゴーン氏です。日産における外科手術を
見事にやり切ります。

・目標を発表→ 市場に達成を約束→ 見事に達成
・目標を発表→ 市場に達成を約束→ 見事に達成
・目標を発表→ 市場に達成を約束→ 見事に達成、、、

気がつけば、
・有利子負債をゼロに
・自動車の販売台数を100万台以上も増やし
・営業利益率はトヨタをも抜いて10%超を達成、、、

という奇跡とも言える改革を成し遂げます。
ゴーン氏の日産における功績が計り知れないほど
大きいのは事実です。

なにせ、ゴーン氏が日産にやって来る前の日産は
経営破綻寸前だったのに、わずか8年ほどで
世界と戦えるくらいの決算書の数字を出したのですから。
ただ、

奢れる者は久しからず

日産はイケイケ・ドンドンの雰囲気になっていました。
気がつけば、

壮大なビジョン:
「世界シェア8%、生産台数720万台」を打ち出します。

そして、
そのビジョン達成のために、生産能力を大幅に増やし始めます。
ブラジル・ロシア・インド、、、などにも工場を作り始めます。

過去の車種を復活させ、しかも、新しい車種も新発表。
気がつけば、日産の車は

全世界で69車種も出ていました。

日産の開発部門が1年で出せるのが8車種です。
つまり、69車種も出してしまうと、古い自動車を
新しい自動車へとモデルチェンジするのが、単純に
8年周期になってしまいます。つまり、

日産の自動車は8年前の自動車が走り続けることに
なってしまう。

自動車は機能だけで言えば、15年・20年、、、と
走り続けることができる耐久消費財です。だから、
安全に走ると言うことだけでいうならば問題はありません。
しかし、8年前の自動車というのは、性能とモデルだけで言えば

古い

ということになります。
経営陣が見ているのは、あくまで規模の拡大。
全世界におけるシェア8%と、生産台数720万台。

単純に量の拡大に重きがおかれ、気がつけば、
商品である自動車の質の低下していきます。
「技術の日産」というブランド価値が低下し
始めてしまったのです。

(2)ゴーン改革の光と影

【結論】
光:日産を劇的に復活させた
影:「技術の日産」というブランドが低下した

壮大なビジョン達成に向けて経営者が規模の拡大へ
まっしぐらに走ってしまう、、、まさに、
ゴーン氏が来る前の日産が過去に通った道です。

経費の大幅削減で日産を建て直したはずのゴーン氏が、
何と自分が来る前の日産と同じ失敗をしてしまいました。

奢れる者は久しからず

やがて、
ゴーン氏は、日産のCEO(最高経営責任者)でありながら、
フランスのルノーのCEOも兼任することになります。

ゴーン氏は「セブン・イレブン」と呼ばれるくらい
朝7時から夜中11時まで猛烈に働く、極めて優秀な
経営者でありビジネスマンでしたが、ルノーの方は日産ほど
業績を向上させることができませんでした。

ルノーの方は、営業利益率が2%〜4%の間が
ずっと続いていました。

ゴーン氏による日産の改革が大成功したのは、
ゴーン氏自身に経営者としての手腕があったことに加えて、
「日産の技術力」と「真面目で勤勉に働く日本人社員」が
合わさったからだった、とも言えます。

日産は、
ブラジル・ロシア・インド、、、での生産を増やしながら、
逆に、日本国内での生産を減らしてしまうことになりました。

ゴーン氏が来る前に比べて、ゴーン氏が解任される頃は
日本国内での自動車の生産台数が4割も減っていました。
だから、

日産車の品質が落ちてしまった。

日本国内で日本人相手に出荷される自動車が最も品質が高い。
それが、海外で生産される日産車は、たとえ日本人による
技術指導に基づいて作られるとしても、どうしても品質が落ちる。
結果、

決算書の数字ほどは顧客の日産への満足度は高くなっていなかった

表面上は、
2018年11月にゴーン氏が逮捕されたというニュースが
日産のブランド価値を大きく下げたという印象かもしれませんが、
しかし、実際は、本業と商品である日産の自動車に対する信頼が
既に揺らいでいました。

(2)ゴーン改革の光と影

【結論】
光:日産を劇的に復活させた
影:「技術の日産」というブランドが低下した

ゴーン氏が建て直した日産は、
ゴーン氏によってブランドが低下しました。

規模の拡大にも・社会的な地位の向上にも
キリがないということなのだと思います。
経営学的に、

【目指すべきは最大ではなく最適】

が、カリスマ経営者:ゴーン氏の19年間から
私たちが学べる最大の教訓だと思っています。

 

【日産の歴史から学ぶ経営】
(1)ゴーン前:なぜ日産は経営危機に陥ったのか?
(2)ゴーン改革の光と影
(3)ゴーン後:今後の日産のビジョンと戦略

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

 

白坂慎太郎