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人生を極める方法

白坂です、

 

人生を極める方法

 

【結論】
内なる心の基準で生きる

人が何かを判断する時というのは、
大きく2つの基準があります。

すなわち
(1)外の基準
(2)内の基準

人生を極めるというのは、
何か物事を判断する時に、最終的には、

自分の内なる心の基準で選択する

ということです。

では、
判断基準を、まず1つずつ見ていきます。
ます

(1)外の基準

たとえば、

・他人の感想
・みんなの意見
・何らかの数字、、、

です。

外の「言葉」だとか「数字」というのは、
とても説得力のあるもののように感じられます。
ただし、短期的です。その時・その場限りです。

もし人生を半年だとか・1年単位だとかで解釈して、
いつも・いつも、半年だとか1年単位の波乗りのように
生きて行くということであれば、外の基準で生きるという選択肢もあります。

ただ、
外を基準にした場合、実際に、人間として成長し続けることはありません。
理由は簡単です。流行の追っかけには蓄積がないからです。

確実に積み上がって行くものがありません。ある流行が去ったら
次は、また別の流行を探さなければなりません。人としても組織としても
積み重ねがないのです。いつか流行に振り回されるのに疲れてしまい、
やがて下がっていってしまいます。

たとえば、
上場企業の経営者には2種類の経営者がいます。

・1種類は、日々の株価を気にする経営者
・もう1種類は、日々の株価を超越している経営者

あの、アマゾンでさえ、1999年のITバブルの崩壊の時は、
わずか1年で株価が80%も下落したということがありました。
株価が80%も下落したということは、企業価値である時価総額も
1年で80%も下落したということになります。

では、
仮に外からの評価である数字が1年で80%も下落したからといって、
アマゾンという企業そのものの実力も、1年で80%も下落していた
のでしょうか?もちろん、そんなことはありません。

むしろ、
下がっていたのは市場からの評価だけ。それ以外の企業としての
実質は、確実に伸びていました。単に、

・「IT企業だから良いんだ!」という流行ともにバブルが発生し、
・「IT企業だからヤバいんだ!」という不安と共にバブルが崩壊した。

株式市場という他人からの評価は、5年以上の長期だと実力を反映しますが、
5年未満の短期だと、単なる人気投票の結果、です。企業の実力は
1か月・1週間・1日、、、など短期で大きく上下変動することは
あり得ません。

つまり、
一見、論理と数字で説得力がかなりありそうな外からの評価というのは、
期待と不安という感情によって、簡単に大きく上下変動で変わってしまう、
ということです。

そのような簡単に上下変動してしまう外の基準を、自分自身の人生の
判断基準にしてしまうと、結局、外に振り回された結果、疲れ果てて
やがて衰退していってしまう、、、ということです。

実際に本当に伸びて行く人なり企業というのは、
短期的な外の基準を超越した上で、1日・1日、地道にコツコツ、
なすべきことを淡々と・淡々とやっているものです。

(2)内の基準

人生を死からの逆算で見た時に、、、
自分の人生の最後の最後で、「自分の人生はどのような人生だったか?」と
評価できる存在がいたとしたら、それは間違い無く、自分自身だけ、です。

なぜなら、
自分自身の人生の全てを知っているのが、この世の中で自分自身、
たった一人だけ、だからです。究極、生きているのか・それとも、
死ぬのか、、、の違いは、

・生きているというのは、寝た次の日の朝も目が覚めるということであり、
・死ぬというのは、寝た後に、そのまま眠り続ける、、、ということの違いだけ。

であれば、
どのような心境で眠りについているか、、、だけが人生の全て、、、
だと言っても過言ではありません。

自分が自分の1日に対して、たとえ完璧な1日ではなかったとしても、
少なくても、

自分なりの最善だった

という想いで眠りにつけること。
他者からの評価ではなく、自分の頭が考える打算でもなく、
自分の心に正直に、穏やかな気持ちで眠りにつけること、、、
その1日・1日の積み重ねによって、

・次の日も、また目が覚めて1日頑張るのか、
それとも、
・そのまま眠ったまま永眠するのか、、、

だけの違い。
それが生と死の究極的な違いだと言えます。

もし、
半年だとか1年だとか、、、短期であれば、
(1)の外の基準だとかに従って
生きた方が、はっきり言って賢いと思います。

毎年・毎年、、、で流行を追いかけていたら、
賢く生きられるかもしれません。

対して、
(2)の自分の心を拠り所に生きるというのは、
派手さはありません。効率よく華やかにやるのではなく、
地道にコツコツと泥臭くやることになります。

ただ、
人生を死という逆算で見た時、「自分の人生はどうだったのか?」を
総決算するのは、他人ではありません。

自分の全人生を全て知っている自分です。自分自身だけが自分の人生の
評価者です。であれば、

・他人やみんなからの評価を重視して、自分の心を犠牲にするのか?
それとも、
・他人やみんなからの評価を超越して、自分の心に従うのか?

という、
究極的な2択に直面した時、

自分の心に従う

というのを選択することが出来たら、
その状態こそが、

自分の人生を極められている

ということです。
そして、他者からの評価と自分自身の評価の矛盾も
あくまで短期的なものであって、長期的には両立していきます。
なぜなら、

・短期的な快楽は長期的な痛みとなり、
・短期的な痛みは長期的な快楽となって行くから、です。

分かりやすく身体で例えると、すぐに分かります。
・タバコやお酒という短期的な快楽は、将来の病気の原因となり、
・適度の運動という痛みは健康なままでの長寿という長期的に大きな
快楽となっていきます。

それは、
身体だけではなく心も全く同じ。

・心に有害な刺激を受け続けていたら、心はやがて病となり、
・心に綺麗な環境を与え続けていたら、心はやがて健康となって行く

人生を極める方法

【結論】
内なる心の基準で生きる

最善の答えというのは、
何日も・何週間も・何か月も、、、ウンウン唸りながら考えて出てくる
ものではありません。直感です。一瞬です。ただの一瞬で、

>「何となくオカシイ」
と感じたものは、やっぱりオカシクて

>「何となく良い感じ」
と感じたものは、やっぱり良い

そういう、
「何となく、、、」という、心が何気に
フッと感じる感覚こそを何よりも大事にする。

心の中にワダカマリを残さない。
自分の心に素直に正直に生きる。
こどもたちの綺麗な眼差しにいつでも応えられるように、、、

外の一時的な評価に振り回されることなく、
自分の内なる基準に素直に従えるようになっていた時、
その時こそ、自分の

人生を極めることができています。

 

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

 

白坂慎太郎