鹿児島から東京へ
白坂です、
文章のご確認、感謝しています。
ありがとうございます。
まず、
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さて、
鹿児島から東京へ引越しをしました。
生まれ育った鹿児島。
途中、27才から29才までの3年間を熊本で生活したことがありましたが、それ以外の41年間は、ずっと鹿児島で生活をしていました。「人生を変える唯一の方法は、環境を変えて・人間関係を変えること」と言いながら、これまでは鹿児島の中だけで環境を変えていたわけです。
なぜ、そこまで鹿児島という環境を変えられなかったかと言えば、一言です。
鹿児島は、
あまりに居心地が良過ぎる場所だから
・気候が温暖です
・食べ物が美味しいです。(知覧茶・黒牛・黒豚・地鶏・新鮮な魚介類・豚骨ラーメン、、、)
・土地が広いです。(百貨店、スーパー、ショッピングセンター、、、)
最後に住んでいた場所は、鹿児島中央駅まで徒歩5分という所でした。
なので、ちょっと歩けば、生活に必要なものは全て買いに行けました。鹿児島中央駅に、電車・バス・タクシーなど全ての交通機関があったので、自分で車を持たなくてもどこにでも自由に行けました。おまけにプール・マシン・レッスンスタジオなどが完全完備している巨大なスポーツジムにも通えました。そして、自宅からは毎日
朝日を浴びる雄大な桜島
を眺めることができていました。
たまたま偶然に生まれ育った鹿児島は、わたしにとっては最高の環境でした。
これほどまでに居心地の良い場所から離れるということは、長年、どうしても出来ませんでした。
しかし、
それでもどうしても決断して鹿児島を離れる必要がありました。
しかも、この時・このタイミングで引越す必要がありました。
理由は、
教育
私一人だったら良いです。パソコン1台とインターネットにつなれる環境があれば、世界中どこででも生きていける人間ですから、これからの人生も鹿児島に一生住み続けるというのでも構いません。しかし、私は良くても6才の娘と1才の息子は、そういうわけにはいきません。こどもたちは、
これからも伸びゆく地域で育っていって欲しい
経済というのは複雑に解釈しようとすればどこまでも複雑に解釈できます。それこそ500ページを超えるような経済学の大著でも解説し切ることは全然できないくらい、難しいと言えば難しいです。しかし、もし究極的に単純に解釈するならば、一言です。たった一言で経済を言い表すことができます。それは、経済とは
人口
当然です。お金を必要としているのは「人」だけですから。
・人が増えるということは、消費者が増えるということです
・人が増えるということは、生産者も増えるということです
人が一人増えたら、その人は、食べる必要があります。何か服を着る必要があります。どこかに住む必要があります。食べ物・衣服・住居、、、が必要になってきます。であれば、その増えた人のために、食べ物・衣服・住居、、、を準備する人も必要になります。人が増えれば必ず消費者が増えます。生産者も増えます。だから、経済は右肩上がりに成長していきます。
一方、
もし人が一人減ってしまったら、、、
・消費者が一人減ります。
・生産者も一人減ります。
ある方がお亡くなりになったということは、その方はもう食べ物を必要としません。着る服も必要としません。住む場所も必要としません。食べ物・衣服・住居、、、ありとあらゆるものが必要なくなります。であれば、その人のために食べ物・衣服・住居、、、などを準備する人も必要なくなります。人口が減っていくと経済は右肩下がりに衰退していきます。経済とは実は単純。
人口
鹿児島はとても居心地の良い場所です。
しかし、人口は右肩下がりです。
・1955年・・・・・・200万人
↓
・2015年【現在】・・160万人(40万人減)
↓
・2040年(予測)・・130万人(30万人減)
鹿児島は、この60年間で人口が40万人減りました。
予測で言うならば、これから25年間でさらに30万人も減ります。
しかも、県の人口に占める65才以上の高齢者の割合は逆に右肩上がりです。
2015年現在で、鹿児島県民の約30%の約50万人は65才以上の高齢者です。
これが、2040年には鹿児島県民の約40%が65才以上になっています。
2040年、、、今1才の息子が22才です。わたし家族にとって関係のない未来ではありません。現実です。
極めて現実です。1才から22才までの約21年間、人口が減り続け、そして、高齢化が進み続けるこの環境は、こどもたちにとって良い教育環境だとは、どうしても思えませんでした。
もし、わたしが政治家だったら地方創生を叫ぶのでしょう。もし、わたしが慈善家だったら地域の活性化に取り組むのでしょう。しかし、わたしは政治家でなければ慈善家でもありません。投資家であり経営者です。ものごとを数字と論理で判断します。そして何より
一人の親
地方創生とか地域活性化とか、そのような希望的観測でこどもたちの教育環境を判断することはできません。
これから起こりうる最も確率の高い予測に基づいて現実的に対応する必要があります。
人は環境の産物です。
環境の影響を必ず受けます。
自分が24時間365日で、見たり・聞いたり・感じたりしていることの影響を100%受けます。
わたしのような44才の人間は団塊ジュニア世代です。
「受験戦争〜バブル崩壊〜就職氷河期」と、最も多感な10代後半から20代前半を厳しい環境で育ちました。
わたしたちより上の世代のように、右肩上がりで最も華やかなバブル経済というのを体験していません。環境によって人生がどのようになるかというのを身をもって体験しています。
あと21年で人口が30万人も減り、高齢化の割合が10%も上昇すると分かりきっているのに、そのような環境で2人の子どもたちが育っていって欲しいとはどうしても思えませんでした。だからこその
決断
実は、引越した後の今だからこそ言えるのですが、本当は海外に移住するつもりでした。
その理由も一言で、
人口
日本は総人口が減っています。鹿児島だけではなく日本全体の人口も減っています。
であれば人口が増えていく国に移住するというのが最も合理的な判断になります。昨年2018年まで海外旅行をたくさんしていたというのは、2019年の海外移住先を探していたという理由もありました。
そして、1度は決めたのです。フィリピンに。
なぜなら、フィリピンという国は、経済で見るとものすごく大きな潜在能力を持っている国だからです。今、1億人の人口が、それこそ今から21年後の2040年には1億3,700万人になっています。最終的には、今の実に約1.8倍である1億8千万人にまで増加していることが見込まれています。まさに伸びゆく国です。今までいろいろな海外を見て、フィリピンが最も大きな潜在能力を持っている国であるように思えました。
なので、フィリピンで、こどもたちが通うことになるであろう学校を2校にまで絞り込み、そして、ビザ取得の申請手続きも開始していました。「いよいよ来年から、このフィリピンに移住かぁ・・・」という段階まで行っていました。
そして、いざ移住が99%決まっている段階で、最終確認として昨年もう1度フィリピンに行ったときに、フィリピンへの移住を急遽、取りやめました。それは、もう
直感
です。
「海外旅行でフラッと行く」のと、「いざ来年からここに住むんだなぁ・・・」と思いながら行くのでは、同じフィリピンでも、見える景色が全然違いました。今まで見えていなかったフィリピンが急に見えたのです。
たとえば、フィリピンの玄関口であるニノイ・アキノ空港。そのホンの徒歩5分くらいのところに、ものすごいゴミ山があり、そこに小学校低学年くらいの子たちがたくさん集まって、ゴミを漁っていました。そういう光景は海外旅行をしているときには見えていなかったのです。
人は環境の産物です。環境の影響を100%受けます。
いくらフィリピンが経済的に大きな潜在能力を持っているとはいえ、国としての最大の玄関口である国際空港近辺のゴミ山とそのゴミを大量に漁っているこどもたちの影響を全く受けないというわけにはいきません。まして、6才の娘や1才の息子は100%、必ず、何らかの影響を受けます。
繰り返しになりますが、私は政治家でもなければ慈善家でもありません。投資家であり経営者です。ものごとを数字と論理で判断します。そして何より
1人の親
です。
フィリピンの貧富の差が尋常ではなく大きいという社会問題も、「いつか・きっと・そのうちに、解決されていくだろうなぁ・・・」などという希望的観測で判断するわけにはいきません。投資も、経営も、教育も、遠い国のおとぎ話の世界ではありません。違います。
極めて現実
です。
日常24時間365日の実際に関わっている部分です。
現実に関わることであれば現実的に対応する必要があります。
しかし、正直、困りました、、、
・鹿児島で子育てをし続けるという選択肢を1度は斬った
にも関わらず、
・フィリピンに移住するという選択肢が急遽、消えてしまった、、、
途方に暮れたこともありました。
「やっぱり、これからも鹿児島でいいんじゃないかなぁ・・・」と思ったことも何度もありました。
この子たちにとってのおじいちゃん・おばあちゃんたちも、みんな鹿児島にいます。そんな環境・そんな人間関係の中で、それでもやっぱり、「どうしても鹿児島を出なければならなければならないのだろうか、、、」
出なければならない
そこで、東京でした。
日本全体の人口が減っているとはいえ、東京の人口はまだ増えています。何だかんだ言っても人口1,300万人の日本最大都市。東京であれば、6才の娘と1才の息子たちに、
伸びゆく環境を感じさせてあげることができる
今、この文章を書いている時点では、東京に対しての期待よりも鹿児島に対しての感謝の方が正直、大きいです。何だかんだ言って、「依存状態から自立状態へ」と私を育ててくれたのは、鹿児島という環境と、鹿児島の人間関係でした。ただ・ただ、「鹿児島、ありがとう」という気持ちでいっぱいです。その感謝の気持ちとともに鹿児島を離れ、わたしたち家族、そして、わたしたちの会社の、
東京での新しい生活が今から始まります
貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。
白坂慎太郎
追伸:
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