人間関係の中で人間を磨く
たとえば、自分自身の髪型を整えたい時、、、
1番最初にすることは、「自分の今の髪型がどうなっているのか?」を【鏡】で見ること。
まず今の状態を確認してから全てが始まる。
(なるほど、今の自分自身の髪型はこうなっているから、ここをこういう風にしていったら、もっと良くなっていくな・・・)
つまり、改善する前に現状の確認が先に必要で、そして現状の確認の前には【鏡】を必要とする。
【鏡】を見ることで初めて自分の現在の髪型の状態を知ることが出来る。
では、
もし心を磨き続けて行きたいとした場合に、確認すべき【鏡】というのは何なのだろうか?
「何をすることで今の自分の心の状態を知ることが出来るのだろうか?」
もちろん
他人
他人こそが自分の心の【鏡】
つまり、人は、
人間関係の中で人間を磨く
人はどんな人も自分自身がとても大切。
当然。自分ほど自分の幸せのためにこんなに一生懸命に頑張ってくれる人はいないのだから。
他人は絶対に自分ほど私に対して一生懸命にはなってくれない。
もし1番、一生懸命になってくれるとしたら絶対に自分自身。
だから、人には「自己重要感」という感情が備わっている。
「自己重要感」は他人から不当に扱われないための自己防衛本能。
自分が他人から一方的に不利益に扱われそうになったら自己重要感こそが自分を守ってくれる。
ただ、
自己重要感は自分自身の心を守るために必要な本能だったとしても、過度に働くと他人との接触を断絶させる方向にも働く。
自分自身が他人との関わり合いの中で傷つかないで済む最も安易な方法は、そもそも他人と一切で関わらないこと。
他人と一切で関わらなければ傷つかなくて済む。自己重要感を守れる。だから人は1人を好む。気楽さを求める。
一人暮らしの単独世帯が増えているのは、単純に気楽だから。
人間関係の中で嫌な想いを体験しなくて済むから。自己重要感を守れるから。
そして、この流れはおそらく変わらない。人は自由であろうとし、孤独であろうとする流れは今後も続いていく。
しかし、1人で居続けることでは心を磨き続けることは残念ながら出来ない。
理由は簡単で、【鏡】を見ないから。他人と接しないということは、自分の心の【鏡】を見ないということ。
【鏡】を見なければ自分の今の心の状態は分からない。【鏡】を見ないで、(自分の髪型は、今、きっとこんな風になっているんだろうなぁ・・・)と妄想しているに過ぎない。
たとえ、もし見たくなかったとしても、改善は全て、まず最初に見ることから始まる
他人と「リアル」で接して、その人との時間の共有の中で、もし「感情」が動いたとしたら、その「感情」が自分の心の中の状態を教えてくれる。例えば、誰かと接していて物凄く嫌な体験をしたとする。その時に自分の「感情」が「嫌な気分」に動いたとしたら、
今までの自分も他人に対して物凄く嫌なことをして来ていたということ
他人はするけれど自分は絶対にしないことだったら、自分の「感情」は動かない。
他人は他人、自分は自分と心が完全に割り切ることが出来ている。
例えば、「太ってるね!」と同じ言葉を言われて、傷つく人と傷つかない人がいる。
傷つくのは、言われた本人自身も内心で(自分は太っているのではないか、、、)と思っていた人。
自分でもそうじゃないかなぁ・・・と思っていたことを他人に言われたから傷ついた。つまり図星だったということ。
もし自分自身は無意識レベルでも全然太っていないと思っていたら、仮に他者から「太っているね!」と言われても、傷つかない。
(え!?そうですか??う〜ん、そうかなぁ??)と感じて終わり。
だから、他者の言動を通じて、自分の心が分かる。無意識の状態が分かる。
他者の言動に対して、自分の心が動いたとしたら、
自分の心の中にまだ磨いて行くべき改善点が残っていることが分かる
他者との体験の中で嫌な体験をして、そして、実際に嫌な感情が湧き上がってきたとしたら、、、
それは、
今までの自分も他者に対して嫌なことをしてきた
ということ。
ここを「あの人は何て嫌なことをする人なんだ!」と相手自身の問題だけにしてしまうのは、とても勿体無い。
相手の言動を通じて自分自身の【感情】が動いているのに、相手と自分を完全に切り分けてしまったら、せっかく目の前に心の【鏡】が現れてくれたのに見ないことになってしまう。
もし相手の言動を通じて自分の【感情】が動いたということは、同じ行動の種が自分自身の心の中にあるということ。
嫌な【感情】に紐づいている過去の記憶を遡って行く。「今、自分がされて嫌なことと『似たようなこと』を、今までの自分もして来なかっただろうか?、、、」。そうすれば、して来ていたことに気づける。そして、自分の嫌な言動を通じて、過去の相手がどのような【感情】を体験したのかも想像できる。
人が本当に傷つくのは、他人の言動に対してではなく、自分自身の心に対して
他人は鏡に過ぎない。
他人の言動は、自分の心を引き出す引き金に過ぎない。
もし人が傷つくとしたら、自分の心に対して。
自分にはこんなに自己中心的な部分があるんだという自分自身の心に対して。
もし自分の心を畑に例えるならば、心という畑には私利私欲という雑草がいっぱいに生えている。
身体が1つ、時間が24時間という限られた制約の中で生きている自分は、イザという時にどうしても他人よりも自分を優先しようとする。自分だって他者から効率よく物のように消費されたくはないのに、実際、自分が他者を効率よく物のように消費してしまっている。
物に対しては効率を、人に対しては効果を
人に対して効率を求めると長期的には絶対に上手く行かない。
理由は簡単で、効率よく扱われたい人なんて1人も存在していないから。
結局、たくさんの人を効率よく扱っている人は、たった1人からの本当の信頼をも得られない。
人を効率よく捌いていっても短期的には上手く行くかもしれない。
あくまで、お金の面では。しかし、効率よく扱っている人に沢山の人が集まっているように見えたとしたら、それは信頼ではなく損得勘定。上手くやっている相手と繋がっていたら自分も得できるのではないかという損得勘定。相手が上手くいっているから繋がっている。いざ、相手が落ち目になって上手く行かなくなったら皆んな居なくなってしまう。
もし、
上手く行かなかった時でも離れないで居てくれる人がいるとしたら、それは損得勘定ではなく信頼で繋がった本当の人間関係だけ。
その人間関係が、自分1人だけの1人から、2人になり、3人になり、、、と1人ずつでも増えていったとしたら、それこそが本当の財産。損得勘定を超えて信頼で繋がった人間関係は強い。たとえ地味でも着実に複利で積み上がって行く。
人に対して効率を求め物のように扱ってしまう心。
身体が1つ、1日24時間という制約条件の中で誰よりも自分だけを優先しようとしてしまう私利私欲の心。
結局、常に効率だけを求めていると、誰からの信頼も蓄積されていかないので、生きている間中でずっと効率を求め続けてしまう。いわゆる焼畑農業の状態。いつか体力・気力の衰えから人生全体も衰退していってしまう。
目の前のたった1人の人に効率ではなく効果を求める
最善を尽くす。全力を尽くす。
たった1人の人に膨大な時間とエネルギーを投入する。
非効率かもしれない。非効率極まりないかもしれない。
しかし、確実。堅実。1人・1人、、、確実に信頼関係のある本物の人間関係を構築して行くことが出来る。
まずは、
自分がされて嬉しいことを相手にする
自分がされて嫌なこととは相手にしない。
そして、
自分とは違う「相手がされて嬉しいことは何か?」という相手自身への理解に努める
自分とは違う「相手がされて嫌なことは何か?」という相手自身への理解に努める。
自己重要感とともに人との関わりを避けるのは簡単。
誰とも接しなければ傷つかなくて済む。ずっと自分の頭の中の妄想の世界の中で生き続けることが出来る。
そして、「いつか・きっと・そのうちに、自分の実力を世間がみとめてくれるのではないか?」と期待し続けることも出来る。
ただし、
傷つくことなく成長はない。なぜなら、傷つかないということは【鏡】を見ていないということだから。
本当は寝癖だらけの頭なのに、自分だけ、その寝癖がないと盲信し続けながら生き続けているだけだから。
人とは人間関係の中で傷つきながら成長して行く
傷ついた経験と成長は比例する。
傷ついたということは、成長を求めて人の輪の中に入っていったということであり、挑戦をしたということだから。
そして、傷ついた体験とともに自分の心と真摯に向き合ったということだから。
もし自分自身に才能があるとしたら、、、
もし自分自身に強みがあるとしたら、、、
その才能は誰のためにあるものなのか?
その強みは何のためにあるものなのか?
より自分が強くなるためか?
より弱い他者をイジメるためか?
違う。才能や強みは、
自分より弱い人を守り、助けるため
誰よりも強い人は、誰よりも優しくなければならない。
そして、優しい人間は、より多くの人を守るために、より強くなっていかなければならない。
逃げてはいけない。何よりも、自分の心から。自分の悪しき心の種から。
たとえ「リアル」で他者との体験が増えることで、見たくない自分の心と過去の体験があったとしても見続けていかなければならない。
そして、心の畑の雑草を抜き続けなければならない。どんな危機的な状況でも冷静に落ち着いて、目の前のたった1人に対して最善を尽くせる自分自身になっていくために、、、。優しい人間が強くなって行くために、また、人間関係の中に入って行く、、、
・20歳までは身体を鍛えて行く。
・40歳までは知性を鍛えて行く。
そして、
・40歳以降は、
心を鍛えて行く
外に出て行くこと。
新しい人と出会うこと。
新しい体験をして行くこと。
その体験を通じて感情を動かすこと。
いっぱい、傷つくこと。
傷つくたびに、自分の心と過去の体験と向き合うこと。
そして、いつか・いつの日か、、、自分よりも弱い人を守れる強固で本当に強い自分へと成長して行く。
人間関係の中で人間を磨く
全ての人間関係、全ての体験が、心を磨く研ぎ石。
磨き続ける意志さえあれば、人は生きている限り、無限に成長し続けることが出来る。
文責:
白坂慎太郎