勇気を出す方法
白坂です、
文章のご確認、感謝しています。
ありがとうございます。
まず、
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さて、
いただいたメッセージを1通、、、
>「今回のメール胸に響いて、少し泣いてしまいました。
勇気が出ました。有り難うございます!」
勇気という言葉を聞くと、何かとても勇敢なことをする気持ちという印象があります。
たとえば、バンジージャンプに挑戦してみるとか、スカイダイビングに挑戦してみる、とか、、、
もちろん、それら勇敢なことに挑戦するというのも勇気は勇気なのだとは思いますが、経営に直結している勇気というのは、必ずしも、それら勇敢なことをどれだけしたか・どうかだけには止まりません。むしろ、本当の勇気というのは、
自分の良心に素直に従えている時に出てきます
逆の言い方をすると、何か1つでも後ろめたいことがあると勇気というのは出てきません。
人は「論理の生き物」ではなく「感情の生き物」です。だから、頭では「こうやった方がいい」と分かっていたとしても、なかなかその通り完全完璧にはできません。たとえば赤信号は渡ってはいけないという交通ルールがありますが、「周りに車が全然走っていないからいいや」とか、「私だけではなく他の人も渡っているからいいだろう」と自分の都合良く解釈して、何だかんだで頭で知っていることと違うことを考えがち、です。
頭で理解していることをその通りに完全完璧にやることが出来る人なんて、ただの1人もいません。みんな完全完璧には出来ていません。8割でも出来ていれば合格。残り2割くらいは「本当はこっちの方がより正しいのだけれども、実際は、、、」というグレーゾーンみたいなものが、ありとあらゆるところに存在しています。
いついかなる時も清廉潔白(せいれんけっぱく)というのは頭の理屈だけの話で、実際の人間は「白」と「黒」の間のグレーゾーンの中で生きています。だからこそ経営者の器というのは
清濁併せ呑む
に関わっているわけです。濁っている部分に対して、イチイチ、「それはココの部分が間違っている!」「そうではなくて、コッチの方が正しいんだ!!」とやっていたら、世界中のただの1人とも良好な人間関係を築くことなんか出来ません。なぜなら、ありとあらゆる時で、いつ・いかなる時も完全完璧に正しい行為が出来る人なんて1人もいないからです。
「本当はこうするのがより良いのだけど、まぁ80点くらいは出来ているから、この人は大したものだ」というくらいの度量がないと、他人と協力しながら事業を大きくしていくということは出来ないわけです。いわば、
社会というのは80点くらいの人たちの集まりで成り立っている
ということです。
・頭では100点のことを知っている
↓
・しかし、人は頭で知っている100点満点のことは実際は出来ない
↓
・だから、100点のことを頭で知りながら、実際は80点でも良しとする
それが、60点の人をも良しとし、40点の人をも良しとしたならば、それだけ、その人は度量が大きいということになります。
ただし、
それはあくまでも相手や世間に対しての態度であって、自分自身にとっての基準としてはやはり良くないわけです。たとえ、人間は完全完璧にはなれないと頭では知っていたとしても、それでも、
自分自身に対してだけは、あくまでも完全完璧を追求し続ける
「赤信号は渡ってはいけない」というルールが存在しているのであれば、たとえ周囲に車が全然通っていなかったとしても、たとえ他のみんなが赤信号にもかかわらず渡り始めていたとしても、自分だけは赤信号では渡らない。
なぜなら、「赤信号は渡ってはいけない」は法律だから。人が次々に法律を破り出したら、社会の秩序を維持することは出来ません。もし、その法律が時代に合わなくなり、その法律にみんなが従うことが合理的ではないというのであれば、その法律そのものを廃止すべきで。もし、その法律が廃止されずに有効に存在し続けているのであれば、やはり法律に従うことこそが正しいです。つまり、
正しいことを正しくやることが出来ている時にだけ本当の勇気が出てくる
ということです。
「他の人がどう言っている」とか、「常識ではこうなっている」とか、「世間のみんながこうやっている」とかではなくて、自分の良心に照らし合わせて何1つとして後ろめたいことがなく、
・奥さんに対しても、
・旦那さんに対しても、
・こどもたちに対しても、
・社員さんたちに対しても、
・株主たちに対しても、、、、
「これが正しいことなので、これをやります!!」
と断固として言おうとしている時に、本当の勇気が出て来ます。
つまり、自分にとって本当に大事な人たちに対して、何一つとして後ろめたいことがないことをやろうとする時に
勇気が出て来ます
「これはどう考えても、こうやった方がよい」という自分の内側からの確信があったならば、「誰が反対している」とか、「みんなの賛成が得られない」とか、「あのお
偉い先生からの同意が得られない」とか、、、それらのことは、一切、関係なく感じられます。たとえ100人中100人に反対されようが、
「分かりました。では、私1人でやります」
と断固として主張できるようになっています。
世間というのは100点満点ではないのです。80点なのです。常識に従っていれば概ね80点は取れるかもしれませんが、100点は取れません。もし100点が取れることがあるというのであれば、それは他人の意見や世間の風潮に従ったときではなく、
自分自身の内から湧き上がる良心の声に従った時だけ
単に周囲からの反対に、ただ頑固だというのではないのです。
良心の声というのは複雑ではなくとても単純なので、本当に正しいことというのは簡単に分かることなのです。「赤信号はこういう場合は渡って良くて、逆にこういう場合は渡ってはいけない、、、」などと複雑なものでは決してなくて、「赤信号は渡ってはいけない」と言うほど、極めて単純なものなのです。だから、
良心の声というのはとてもか細いけれど、聞き間違えることは絶対にありません
「いろいろな人がいろいろなことを言っているけれど、物事というのは、本当にそれほど複雑なのだろうか?」と自問自答をしてみます。周囲の複雑さに自分も流されそうになっている時には勇気は出て来ません。その時に出て来ているのは、単なる妥協の気持ち。世間の濁りを自分の基準にもしようとしている、だけ。
たとえ、相手や世間の濁りを許容できる度量は必要だったとしても、自分自身の基準までを世間に合わせてはいけません。仮に生きている間は到達できなかったとしても、あくまでも自分自身に対してだけは求める基準を
完全完璧とする
実際に出来ているか・どうかではなく、あくまでも目指して努力すること。努力し続けること。
自分は自分が求めている完全完璧の基準からすると、まだ・まだ、、、だと思えること。それが自分の成長余地です。
そして、いざ本当に大事なことを決断しようとするとき、、、
その時に自分の心に何一つ引っかかることがなく、これは
・奥さんにも
・旦那さんにも
・こどもたちにも
・社員さんたちにも
・株主たちにも、、、、
「これが正しいことなので、これをやります!!」
と堂々と言おうとしている時、、、
その時にこそ、正真正銘、
本物の勇気が出て来ています
貴重な時間にて文章をお読みくださり感謝しています。
ありがとうございます。
それでは、また。
白坂慎太郎
追伸:
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