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怒りとの向き合い方

白坂です、

怒りとの向き合い方

【結論】

 

怒ってもいい

齊藤 仁貴(よしたか)さんからのリクエスト、、、
>「私自身怒りやイライラなどがあり、
それが出てしまうときが日常生活にあります。

そのエネルギーを転換して有益なことに利用したいのですが、
そもそもエネルギー転換できるものなのか?
どうすれば有益な力に変えることができるのか?

というような内容の動画を扱っていただければ幸いです。」

怒りとかイライラ、、、とかの感情は
本当はポジティブでもネガティブでもありません。
中立です。もっと言うと、必要だからこそ湧き上がって来ます。

本来は、
中立であるはずの怒りとかイライラという感情が、
まるでネガティブなものであるかのような常識に
なっているとしたら、道徳とか宗教とかの影響が
大きいと思っています。

たとえば、
仏教では、怒りという感情は、貪欲や無知と合わせて
苦悩を生み出す三毒としています。

要するに、
必要以上に求めたり、必要以上に怒ったりすると、
後々で苦しみ・悩むことになる、、、という考え方です。

だから、

仏教などは誤解されがちです。
必用以上に、、、というのがスッカリと抜け落ちてしまい、
欲求は悪い、怒りは悪い、、、と単純化されて解釈されがち
なのです。

ゆえに極論として禁欲だとか、全く怒らない方が
良いこと、、、とまで誤解されてしまうことになります。

もし、
禁欲や全く怒らないことが人生の答えなのだとしたら簡単です。

人生の早い段階からみんながみんな出家してお寺で過ごせば
良いことになります。毎日・毎日、お経を読み、ひたすら坐禅を
し続けていた方が良いことになります。

そうしたら、確かに揉め事は減るかもしれませんが、
社会は決して豊かにはなりません。衰退していきます。

人間関係の表面上の揉め事は減るかもしれませんが、
ニコニコしているだけで本当の人間関係など誰一人として
結ぶことも出来ないでしょう。

欲は必用だから生まれ持って来ています。
そして、もちろん、怒りも必用な感情だからこそ
湧き上がって来ます。

怒りは自分の方が正しい時に湧き上がってくる感情

人は、基本的に善良で・誠実だという前提があったとしても、
時として、相手の優しさに漬け込んで、相手に理不尽を要求し
過ぎることがあります。要求がエスカレートし過ぎる時があります。

・誰だって怒りたくないし、出来れば揉め事を起こしたくない

・だから、多少の理不尽に対しては、相手との人間関係を重視して
怒りを出さないように努力している

・そのように努力しているにも関わらず、やっぱり怒りを
感じるとしたら、

それは、相手の理不尽が度を過ぎている

つまり、
怒りという感情が湧き上がって来た場合、かなりの確率で
相手が間違っていて自分が正しい、、、ということです。

本当は
怒りを感じている自分が悪いのではなく、
怒らないように努力している自分を怒らせた相手が悪い

というこです。

人生は、基本、思い通りになりません。だから、多少の理不尽は
受け入れながら生きていく必要があります。ゆえに、小さなことで
イチイチ怒っていたら、器が小さいとか大人気ない、、、という
ことになるかもしれません。

しかし、
だからと言って、その論理を逆手にとって、怒った方を責めるのは
実際は筋違い。怒らないように努力している自分を怒らせている
というのは、明らかに相手が間違っている。度が過ぎているということ。

日本人は、みんな小学校・中学校で道徳教育を受けています。
だから、「みんな仲良くしましょう」という、ある程度、共通の
価値観を持っています。

だから、人間関係を破壊してしまうリスクが極めて高い行為である、
「相手を怒る」というのは極力、避けようと努力しています。
にも関わらず、やっぱり怒りを感じているとしたら、怒りを感じている
自分が悪いのではなく、

怒らせている相手の方が悪い

大事なのは、
・怒りという感情は中立。必ずしも悪いものではない。
・真面目で優しい人ほど、怒らないことを努力している。
・にも関わらず、怒りを感じているとしたら、

相手が間違っていて、自分が正しい可能性が高い

ということです。
理不尽が多少を超えている可能性が高いです。
度を過ぎた理不尽になっている可能性があります。

もし相手と自分のどちらかが怒らないといけない
究極の2択の場合は、

自分が相手を怒った方がいい

怒るという感情は、人間関係を破壊する最もリスクの
高い行為です。だから、もし、自分が相手を怒った結果、
相手との人間関係が終わってしまう可能性も高いです。
しかし、

それが縁だと割り切る

ということが大事です。

一回、感情を爆発させて本気で怒ったくらいで関係が終了して
しまうくらいだったら、それくらいの縁だった、ということです。

怒ったら人間関係が終了してしまう可能性が高いですが、
100%終わるわけでもありません。もし本当に縁があれば、
怒った後に、相手が自らの過ちに気づき、反省して、怒る前より
逆に人間関係が良くなる場合が、稀にはあります。

それこそ縁です。

縁は人知を超えています。
・生涯のパートナーだと思った人と、いともアッサリと
関係が完全に終了してしまう場合もあれば、
・「なぜ、この人と?」という相手と、10年・20年、、、と
ずっと関係が続いていく場合もあります。

自分の頭でどれだけ考えても、きっと分かりません。
どんな結果になっても、「それが縁だった」と割り切るしかありません。

怒らないように努力している自分が、やはり怒る。
怒りという感情は必要だからこそ、湧き上がって来ます。
だから、怒りという感情や、怒りを感じている自分そのものを
否定しないことが大事。

仏教でいうところの、必要以上に求めない、必要以上に怒らない、、、
というのの「必要以上」というのを実際に実践するのは、残念ながら
知識では無理です。必要以上の過剰を体験してこそ、必要以上だった
と悟ることが出来るだけ。仏教の考え方で言うならば、

・煩悩によって行動する

・行動の結果で苦悩する

・苦悩が煩悩を【1つ燃やす】

という過程になります。

本当にしっかりと学べば、煩悩そのものを抑えようとする
のではなく、苦悩の結果、煩悩が1つずつ燃えて、より
心が綺麗になっていく、、、という過程。

苦悩とは決して避けるべき悪いものではなく、
心をより純度の高いものへと磨いていく
高温の炎なのです。だから、実際には、

・まず行き過ぎてしまう

・行き過ぎてしまい反省をする

・次こそは行き過ぎないように努力する

バランスの取れた人生だとか、
中庸を心がけるだとか、
中道を歩む、、、だとか理論は簡単でも実際は無理。
実際に出来るのは、

行き過ぎてしまった時に行き過ぎを反省して、
次からは行き過ぎないようにホンのちょっと
抑えるように努力すること、だけ。だから、

怒りとの向き合い方

【結論】
怒ってもいい

出来るだけ怒らないのように努力している自分が
どうしても怒りたくなったら、正直、怒っても良いということです。
本来は、外に向けるべき怒りを、自分自身に向けると鬱病にさえなり
かねません。

怒りという感情への対処法は、実際に怒ったという実体験を
通じて学びを深めて行くことが出来ます。

・小さなことでイチイチ怒り過ぎた体験と
・本当は怒るべき時にも怒らなかった体験の

両極端を体験しながら、
少しずつ・少しずつ、怒りという感情とも
上手に突き合えるようになっていきます。
結果として、怒りという強烈なエネルギーを

仕事など本業での大成功へと使っていくことが
出来るようになっていきます。

 

今回は以上です。
本日も文章をお読みくださり感謝しています。
いつも本当にありがとうございます。

 

白坂慎太郎